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砂川捨丸


 砂川捨丸 すながわすてまる 明治23(1890)年12月27日~昭和46(1971)年10月12日 享年80

 中村春代 なかむらはるよ 明治30(1897)~昭和50(1975)年 享年78

 大正・昭和期の漫才師
 「たたかれて鼓とともに70年」。張り扇相手に漫才一筋、明治・大正・昭和の「上方漫才史」を生きた、「漫才の骨董品」-砂川捨丸。その相方を50年つとめた中村春代。兄が江州音頭の音頭とりであったので子どもの頃に初舞台を踏み、神戸の新開地を根城に全国津々浦々を巡業。万歳とともに各地の民謡も広める。捨丸・春代のコンビの前に、中村種春、高橋笑子等ともコンビを組んだこともあり、捨丸・笑子では万歳レコード第1号を吹き込んだ。

 中村春代は、プロになる以前、ミス神戸に当選したという美人。中村種春に入門。大正12年、捨丸とコンビを組む。「一つおにぎやかに数え唄でもまいりましょうか」と古い万歳の型をくずさず、鼓片手に数え唄から色問答、なぞかけに都々逸と型は古くとも日々に変わる時代・世相に適応し、新幹線が走ると「便所でキバル間に五里走る」と早速舞台に掛けるセンスが、亡くなる前日まで現役を貫いた漫才界の家元、大御所の所以である。(大阪府立上方演芸資料館より転載)

 「漫才の骨董品でございまして~」のフレーズで始まる漫才だった。エンタツ(1896~1971)・アチャコ(1897~1974)と同世代の漫才。エンタツ・アチャコは、楽器を使った、それまでの古いスタイルの漫才を廃し、楽器を使わない、「しゃべくり漫才」を確立したが、捨丸・春代は、鼓(つづみ)を一丁入れる、古いスタイルの漫才で押し通した。

 今の若い方は退屈してしまうかも知れないが、この、のほほんとしたペースは、私なんかには、聴いていて心地良い^^
 今日はゆっくり寝坊をさせていただき、朝6時の記事上げをサボりました^^。もっとも、「寝坊」と云うのは、言葉が正確ではないかも知れない。ちゃんと毎朝6時の定時記事上げが出来る時間には目が覚めていたのですが・・・その状態があまりにも快適で、起き上がる気がしませんでした。やがて、セカンド・スリープに突入し・・・また目が覚めては、快適状態が持続するので・・・サード・スリープに・・・(^-^)v

 こんな小噺があります・・・

 「お前はいつまで寝てるんだ!早く起きて働きなさい!」
 「働くとどうなるんですか?」
 「働けばお金が稼げて、左団扇で寝て暮らせる」
 「そうですか・・・働いても、今のオイラとおんなじなんですね。おやすみなさい」

コメント

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*きゃんさん、私は最近思うんですけど・・・アイ・シンク^^。人間って、ひとりの起きている活動時間と、運動している時間ってのは、だいたい決まっているんじゃないかと思います。睡眠時間の少ない人や、運動時間の多い人で、長生きしている人は少ないです^^。運動はカラダに悪い!この音源は、日本人の古い習慣とか、民謡とかを知らないと、どこが面白いんだか、判らないと思います^^

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*お菊さん、鼓やギロをもって二人でやる漫才は、もうほとんど絶滅したと思います。ピンや三人以上のボーイズものになっちゃいますね。上記の上方演芸資料館に捨丸師匠の鼓が展示されています。

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異業種交流会で「捨丸」という名前の人がいました。面白い漢字の名前ですね。

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*ナイスさん、個人の名前と云うのは、実に多岐に渡りますね。何でそんな変な名前なの?って思うものでも、その人の出身地では、その名前は普通だったりします^^。宮崎県知事に当選した、「そのまんま東」も、本名は「東国原(ひがしこくばる)」です。この名前は、他の地方の人からすれば、変な名前と思いがちですが、おそらく、宮崎県では、ごくありふれた名前ではないかと推測されます。捨丸師匠のは、芸名ですから、その名前には特に、故事来歴は無いと思われます^^

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近くにいながら、資料館にはまだ、行った事がありませんーー;一度覗いて見ます。

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*お菊さん、「灯台下暗し」とでも云いますか・・・私は、「江戸・東京博物館」にも「江戸資料館」にも行った事がありません^^。もちろんHPでは、調査済みですけどね・・・^^

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竹庵先生こんにちわ、砂川捨丸の貴重な録音資料を有り難うございます。テレビやラジオに様々な歌や音楽が氾濫している現在ですが、小生にとってはやはり捨丸の歌が一番心が安まります。
ところで、小生も捨丸の音盤を色々集めましたが、「鴨緑江節」と「名古屋甚句」(いずれも替え歌)がまだ見つかりません。何か情報がありましたらご教示いただければ幸甚です。よろしくお願い致します。

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*捨丸フリークさん。。
いらっしゃいませ。
この音源以外のものの資料は所持していません。上記の上方演芸資料館にあるもの以外は・・・見付けるのは困難と思われます。

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竹庵先生、初めまして。
今度、大阪検定を受けるに当たって試験勉強をしていたら、昔の大阪弁そのものに非常に興味がわいてまいりましたので先日、コロンビアから出ていた演芸CDを買い求めました。
捨丸師匠は私が七つの頃にお亡くなりになられていらっしゃいますのでギリギリテレビで鼓を打っていらっしゃるお姿を記憶しておりますし、小学生の頃音声資料をラジオの演芸番組で聞いた事も記憶しておりましたが今回改めて耳にした捨丸師匠の芸ですが、改めて聞くと凄いですね・・・・・本当の芸ですね。
他にもミスワカサ師匠とか西川サクラ師匠とか、本当の芸の修行を積んできた方なのだと驚かされたのと、それ以上に今聞いても全然普通に新鮮に楽しんで聞ける事に驚きました。
果たして今のお笑いの芸人さんの内どれだけの方が百年後の我々の子孫を笑わせてくれるか楽しみです。

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竹庵先生こんにちわ、ご無沙汰しています、お元気ですか?
今朝たま々このサイトを見ていたら、昨年4月に自分が書いたコメントがまだ保存されていたのでビックリしました。Reコメもいたゞいてありがとうございます。
捨丸師匠が亡くなってすでに38年になります。自分の周りにも捨丸を知る人はほとんど無く寂しい限りです。
たまゝま持っていた神戸松竹座の引退記念興行(昭和46年)の実況ビデオが、今では宝物になっています。(これについてはYahoo!の「セカンドライフ」にも書きました)。
homoludensさんもおっしゃる様に、今のお笑いには「騒ぎ」はあっても「芸」がありません。
本当の話芸とは?・・・これを味わう楽しみを少しでも分かちたいと、中田ダイマルやミヤコ蝶々の古いビデオを、機会ある度に娘や孫たちにも見せるのですがあまりピンと来ていない様です。
百年後には芸も笑いも無い寂しい世界にならねばよいがと・・・
まとまりませんが・・・

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*ホモルーデンスさん。。
こんにちは(^∇^)
ここのところ、湿気が高くて、イマイチ頭がピンとしなくて、やる気が起きず、レスが遅れてしまって、すいません(^ω^)

大阪検定ってのがあるんですかぁ? はは、面白いなぁ(^∇^)
私は、落語で江戸時代の庶民文化を研究・・・ってのは大袈裟ですが(^ω^)、主に江戸文化ですが、堺を中心とした商人の町であった、大阪文化ってのも、研究対象としては面白いですよねぇ(^∇^)

捨丸師匠に関しては、ただ普通に知っていると云うレベルですので、ウチの記事があなた様のお役に立つと云う事は無いと思いますが、落語を含めて、調べても判らないものは、いずれ失われてしまう日本の文化ですので、出来るだけ私が集めた資料を出して行く・・・って事をこのブログではやっています。

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*sekio38jpさん。。
改めて、捨丸・春代の漫才を聴いてみますと・・・
現代の、いわゆる「お笑い」の範疇から考えると、別物なんですよね。だからと云って、それは異端ではなく、紛れも無く本筋の本流なんです。

捨丸師匠は、落語の志ん生と同い歳ですね。私は志ん生フリークですから、明治23年に生まれた志ん生の、年齢を追った時代背景ってものをすべて調べ上げました。

捨丸師匠が生きた80年間ってのは、志ん生が生きた83年間と、同じ時代背景と云う事なんですよね。志ん生と云えば・・・志ん朝のお父さんってイメージしか無いんだそうですが・・・オイオイ、ちょっと待て。何が落語ブームだ! 今の噺家で、志ん生の足元に及ぶのか誰かいるのかい? ・・・ってな事をやっているのが、このブログです(^ω^)

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竹庵先生こんにちわ、コメントありがとうございます。
又、色々ご教示もありがとうございます。
私も若い頃から志ん生のフアンでした。LPのアルバムなどもかなり集めたつもりです。たゞ、時代からして無理からぬ事ながら、動画の資料が極端に少ないのが残念です。
手元にはNHKの教育TVから取った「ふろしき」が有るのみで、十八番の「火炎太鼓」もアニメしかありません。
以前竹庵先生のブログで「巖流島」を拝見して、とても懐かしかったです。他にも入手出来る情報がありましたらお知らせいたゞきたいと思います。よろしく・・・戚男

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*戚男さん。。
こんばんは(^∇^)
ついつい、いろんなお節介な事を書いてしまい、失礼いたしました。ブログってのは、基本的には、ご自分がやりたいようにやればいいのです。

ヤフーブログってのは、アバターだとか、名前アイコンだとか、本来はブログとは無関係の機能があるために、ネット初心者の多くは、それに惑わされています。でも、ネットをやる上で一番大事なのは、ハンドルネーム(ネット上の自分の愛称)です。

ヤフーブログってのは、他社ブログと違って、ヤフーユーザー数と云う砂上の楼閣を第一に考えている、ネットの実情を理解していない幼稚な会社ですので、ユーザーにログインさせる事を、ほぼ強要しています。そのために、ヤフーIDがコメ欄に表示されてしまうと云う、セキュリティーの甘い事をやってます(^ω^)

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*続き。。
だからこそ、ネットはIDではなくて、ハンドルネームでやるべきなのです。もちろん、ネットのエキスパートには、ハンドルネームでやっていても、IDは判ってしまいます。でも、一般のネットの悪徳業者は、コンピュータの事なんか何も判っていない連中です。つまり、IDを隠す事で、オレオレ詐欺のような単純詐欺からは、90%以上ガードできるって事なんです(^∇^)

ネットのセキュリティーに関してご心配な事がございましたら、相談して下さいね(^∇^)

で、志ん生の高座の動画ですが・・・一席をちゃんとやっているのは、「風呂敷」(NHK映像)と、「おかめ団子」(ヤマハホール)と、「岸柳島(巌流島)」です。その他には、「鰍沢」(NHKのスタジオ収録)があります。その他、いろんな動画をチューブに上げてるんですが・・・著作権の関係があって、なかなか大っぴらには出来ません(^ω^)

でもそれらは、日本の文化遺産であり、志ん生遺族の著作権を侵害して私が不当な金銭的利益を得ている訳ではないので、きっと天国の志ん生師も許してくれていると思います(^∇^)

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竹庵先生こんにちわ、蒸し暑い日が続いてますがお元気ですか?
さて、先日来種々ご教示をいたゞきありがとうございます。
又、志ん生の情報もありがとうございます(変換ミスもお許しを・・・)
ところで、噺家といえば江戸では志ん生、上方では三遊亭百姓の大フアンでした。
百姓の「船弁慶」「天王寺」「貝の村」など、音盤はかなり集めましたが、動画はついに見かけませんでした。志ん生よりもっと難しい様です。
先生の情報網に何かヒントがございましたら、是非教えていたゞきたいと思います。よろしくお願いします・・・戚男

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*戚男さん。。
どの部分の変換ミスですか?
「岸柳島」なら、志ん生以外は「巌流島」と記述します。志ん生モノでも、一部では「巌流島」と書いてあるものもございます。何故志ん生が「岸柳島」って記述させているのかって~と、武蔵・小次郎の戦いになぞらえるのは大袈裟だってのと、圓朝が「岸柳島」の方が景色がいいって事で、それでやってたかららしいです。

「火炎太鼓」は「火焔太鼓」と記述願います(^∇^)

「百姓」ではなく、圓生さんの身内になってから「二代目 三遊亭百生」に改名しましたね。百生さんの動画は多分残されてないと思います。百生さんより一つ年上で、昭和39年、同じ年に亡くなった、先代 金馬さんのような、ある意味、戦後の東京落語の最高の人気者でさえ、「藪入り」一本の動画しか残ってません。

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*続き。。
つまり、当時、既にビデオはあったはずなのですが・・・ビデオテープは、フィルムと違って、何度もその上に録画できる事から、保存用ではなく繰り返し録画すると云う用途に使われていたのです。昭和30年代に残された映像は、すべてフィルムに記録されたものだと云えます。昭和40年代に入ると、テープの価格も安くなって来たので、ビデオテープで保存すると云うスタイルになります。

志ん生や金馬さんや百生さんは、それに間に合わなかったけれども、黒門町は間に合ったので、TBSの映像が20数本残されていると云う訳です。

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竹庵先生こんにちわ、ご無沙汰してますが、お元気ですか?
さて、先日You-Tube から「安来節」を検索していたところ、捨丸の唄が出ていました。竹庵先生は先刻ご存じかも知れませんが、古いSPレコードで、大正時代末頃とのコメントが付いていました。
発売元は「オリエントレコード」タイトルは「萬歳小唄」となっていました。但し、相方が中村春代ではなく加藤滝子となっていました。
ひどい雑音の合間からとぎれゝぎれ聞こえて来る若い捨丸の声に、ちょうど自分らが戦後ラジオで聞いた捨丸を思い出して、とても懐かしい気分になりました。
まとまりませんが、またよろしく・・・戚男

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*戚男さん。。
こんにちは。
寄る年波には勝てず、ここのところ身体のアチコチが痛くて、往生しております(^ω^)

チューブで捨丸さんの安来節を拝聴しました。捨丸さんは志ん生と同い歳なので、録音技術的には音源を残せた世代ですが、志ん生は馬生時代の、昭和10年2月 44歳の時の音源が初出ですが、捨丸さんは人気があったので、28歳の時の大正7年の音源が初出ですね。

あの萬歳小唄は何年頃の録音かは不明ですね。戦前のレコード会社については、今になっては良く判りませんが、日本人の録音技師が録音したSPレコードを発売する日本のレコード会社が出来るのは、昭和に入ってからのようです。

昭和5~10年頃に発売されたディック・ミネさんなんかの歌謡曲のレコードが、日本でレコードが産業として確立する最初の頃のものですね。大正時代に発売されたレコードは、ほとんどが外国人技師が録音したテスト盤とも云えます。文楽師匠は、外人技師が何度も録音をやり直すので、いやになったと語っています(^ω^)

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