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なめる


 この「なめる」と云う演目は、今昔物語集(1120年頃)に書かれている逸話が出典になっているようです。おそらく、江戸時代に滑稽本に書かれたものを、落語にしたのだと思われます。
 
 色仕掛けで・・・と云う要素が無ければ成立しない演目なので、一応、艶笑噺とされています。しかし、落語で扱うエロティックな部分とは、ことごとく滑稽噺に置き換わってしまうので、「引っ越しの夢」などの演目と同様に、滑稽噺と解釈した方がいいと思います。
 
 木戸銭を取って、寄席場(よせば)と云う小屋でプロの落語家が落語を聴かせると云うスタイルが各地で行われるようになったのは、およそ300年位前だと云われています。ルーツは一つではなく、同時発生的に人口の多い各所で、見世物小屋や大衆演劇の一部として落語と云うスタイルが出て来たようです。
 
 話が長くなるので、あれもこれも書けませんが・・・江戸の町には日に三千両の金が落ちた(使われた)と云われます。日本橋と芝にあった魚河岸、吉原に代表される遊郭、猿若町に代表される芝居小屋にそれぞれ千両の金が落ちたと云う按配です。
 
 この演目で圓生さんは、『昔は「しせんりょう」と云った』と語ってから、上記の三つを語ってるんですが・・・「しせんりょう」とは漢字でどう書くのか? 「施千両」なんですかねぇ? もし、「四千両」だとするならば、千両足りません。河竹黙阿弥作で明治18(1885)年、東京千歳座で初演された「四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは 通称=四千両)」と云う歌舞伎狂言があるのですが、これと混同されているのではないかと思われます。
 
 芝居小屋の歴史に関しては、私などの浅学者にはとても解説出来ませんので、専門の方にお任せするとして・・・この「なめる」と云う演目の発端は、猿若町にあった芝居小屋の芝居見物から始まります・・・まさか、そこに罠が仕掛けられていようとは・・・八公には知る由もありません
 
 この演目の最後に出て来る「宝丹(ほうたん)」と云う、龍角散のような粉薬は、延宝8(1680)年創業の、現在も上野池之端で営業している、生薬の老舗、守田治兵衛商店が発売しているものです。私は舐めた事はありませんが、二日酔いや食べ過ぎ・飲み過ぎに効くようです。
 
 騙された男が翌日行ってみたら、引っ越した後だった・・・と云うパターンは、今はお妾さんに納まっている元・女義太夫語りが、押し入った泥棒に嘘八百を並べ立て、逆に泥棒の財布を色仕掛けで語り取ってしまうと云う展開で、そのものズバリの演題の「転宅(てんたく)」と云う演目でも使われていますが・・・「転宅」の原話は、300年前の江戸時代の滑稽本とされています。しかし、同様の手口が使われている事から、その出典もおそらく、平安時代の今昔物語であろうと思われます。
 データ・・・六代目 三遊亭圓生 明治33(1900)年9月3日~昭和54(1979)年9月3日 享年79 前名=六代目 橘家圓蔵 出囃子=正札附 本名=山崎松尾

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