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鰻の幇間


 鰻と云うのは、ご説明申し上げるまでもなく、夏の「土用の丑の日」に日本のみで、矢鱈と需要の多い魚です。しかし、鰻は実に不思議な魚で、天然魚は、海で産卵しやがて川に上ってきて成長します。そしてまた海に下り産卵します。何故、淡水の川にやって来るのかが判らない。鮭の場合は、川の上流部で生まれ、やがて海に出ますが、生まれた川のニオイを憶えていて、四年後に生まれた川に戻って来て、その川の上流で産卵して死にます。鰻の産卵場所は深海であるためか、特定できておらず、海で鰻を捕獲する事は困難です。

 海で生まれた鰻が、産卵する訳でもないのに、何故、淡水の川に上って来るのかは解明できていません。落語的に云うならば・・・蒲焼になるためにやって来るってかっ(^ω^)

 ちなみに、寅さん映画では、「天然の鰻を食べたい」と云った中学校時代の先生(東野英治郎)のために、寅さんは粘って、江戸川で天然鰻を釣って、先生のところへ持って行くのですが・・・先生は・・・って事で、寅さんは葬式を仕切りますが・・・山崎努にマドンナを取られちゃって・・・また、旅に出る(^ω^)

 で、幇間(ほうかん)と云うのは、一般的に、「たいこ」または「たいこもち」と呼ばれます。何故、幇間の字が当てられているのかの明確な説明はできませんが、「幇」と云う字には、「助ける」と云う意味があり、宴会などで出席者の間を取り持つ事から、そのような字になったと思われます。何故「たいこもち」と云う名称になったのかに付いては諸説ありますが・・・大阪堺の商人で、秀吉のお伽衆に出世した、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)と云う、機転の利く頓知の天才が、太閤さんのご機嫌を取って、持ち上げたから、そのような職業の男芸者を「たいこもち」と云ったってのが有力です。

 現代には、五代目 古今亭志ん生と、八代目 桂文楽のいずれ劣らぬ、素晴らしい「鰻の幇間」の音源が残されています。もちろん、現代の噺家さんでも、この演目に挑戦なさっている方はいますが・・・あまりにも、お二人の名人の演出が素晴らしいために、それを凌駕する演出は出来ていないようです。

 音源に関しては、既にこのブログで取り上げてあったと思いますので、今回は、動画にします。と云っても、志ん生さんが「鰻の幇間」を高座でやっている動画は残されてませんので、黒門町のカラー動画にさせていただきます。

 この「鰻の幇間」と云う演目は、ウチのブログではお馴染みの「盲(めくら)の小せん(初代 柳家小せん 1883~1919 本名=鈴木万次郎)」と云う、36歳の若さで、梅毒のために死んだ、希代の名人が得意にしていたらしいのですが、黒門町は小せんから直接は稽古を付けて貰っておらず(小せんから直接指導を受けたのは、五代目 志ん生、三代目 金馬、八代目 正蔵、六代目 圓生)、小せんの弟子から教わって、昭和6(1931)年、39歳の時に初演しました。

 黒門町の最後の高座は、昭和46(1971)年8月31日の「大仏餅」ですが・・・この高座はご承知のように「神谷幸右衛門(かみやこうえもん)」と云う名前が出て来なくて「勉強し直してまいります」と云って、高座を途中で降りてしまったので、事実上、最後まで演目をやった黒門町の最後の高座は、昭和46(1971)年7月23日の「鰻の幇間」をやった高座と云う事になります。

 この高座。確かに名人文楽の、78歳時の高座として、しかもカラー映像として、未来永劫に残さなければならない映像です。しかしながら私はこの映像を見て・・・文楽師匠、ご苦労さん。ありがとうございました・・・と云ってあげたい。

 歳は取りたくないよね。自分のベストが出せなくなった噺家さんの辛さが、私には痛いほど判る。この映像の二年前に二歳年上の志ん生さんが高座を降りちゃいました。でも、文楽師匠は、カラー映像まで残せたんだから・・・頑張ったんです。だから私は、78歳までは頑張らないと、彼らに申し訳ない(^ω^)

 映像データ・・・昭和46(1971)年7月23日 第41回落語研究会 国立小劇場 文楽78歳時 文楽の落語研究会に於ける最後の映像 翌月の8月にやった第42回落語研究会の高座が例の「大仏餅」でした。

 データ・・・八代目 桂文楽 明治25(1892)年11月3日~昭和46(1971)年12月12日 享年79 前名=翁家馬之助 出囃子=野崎 紫綬褒章 勳四等瑞宝章 本名=並河益義 通称=黒門町

コメント

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いま、携帯からなんですが。。(^-^ゞ。
わたしが子供の頃には、小学校へ行く通学路にある川で「メッコ」って、鰻の稚魚を捕まえたりしました(^-^)。
全長4センチくらいで、ちっちゃくてもしっかり鰻の姿をしてました。
うちの地方、浜名湖では、海でも天然が釣れたりします。天然と養殖の見分け方は、腹をみて「あお白い」のが養殖、「黄(金)色っぽい」のが天然と見分けます(^-^)☆。

No title

おはようございます。
私、この噺の解釈としては、「お客」の方が最初から、幇間を騙そうと近寄って来たのではないかと思ってるのですが、どうでしょうか?
夏になると、この噺ですね。文楽さんと志ん生さんの聴き比べがいいですね。

No title

*ヤマさん。。
読み直してみたら、ちょっと私が勘違いしていた部分がありまして、この記事の内容の一部を修正させていただきました。

ヤマさんローカルでは「メッコ」と云うのかも知れませんが、一般的には「シラス」とか「シラウオ」と云っているのが、4,5センチの海から川に遡上してきた鰻の稚魚ですね。

一般的に、鰻の養殖と云うのは、その稚魚を養殖池で育てるのです。ですから、シラウオを生きたまま食したりしますが、コハダ(コノシロ)の当歳魚のシンコ同様に、物凄く高価ですね(^∇^)

No title

*キャバンさん。。
よ~く考えてみると・・・この「鰻の幇間」ってのは、不思議な演目ですよねぇ(^∇^)

幇間の一八は、客の顔に見覚えがある程度で、その素性はまったく知らない。にも拘らずこの客は、一八の事をよく知っている。だからこそ、この客は、一八を逆にカモにした(^ω^)

この演目では、後日談は語られてませんが・・・この客の素性は調べれば判ると思いますので・・・いずれ一八は、なけなしの十円札(現代の価値にして一万円か?)を取り戻せるのではないか? ・・・ってのが私の希望的な観測です(^ω^)

キャバンさんならお判りになると思いますが・・・この高座の黒門町は、ボロボロですよねぇ。何度も黒門町の音源を聴いていれば判りますが・・・この高座はシドロモドロの部分があるし、失念しているのか、ちゃんと最後まで語っていないパーツが多々あります。

もちろん、78歳のご高齢ですから、そこまで追及するのは酷なのかも知れませんが・・・

No title

一つ目だけしか見られなかったので残りはまた後ほどお邪魔します。
おっしゃるとおりカラー映像は貴重ですよねっ!

幇間が先かお客が先か・・・(・-・*)ヌフフ♪
推理の働かせどころですね。

No title

こういうのが怖いので、柏木が死んでからは私は落語会には行かなくなりました。早い話、小さんが「大工調べ」でトチる事なんか考えると本当に怖いのです。
21世紀になってまた行き始めたのは、「トチったところで気になるような噺家がいない」ということもあります。
ところで「シラウオ」ですが、これは「シラオ」と発音するように思いますが、間違えでしょうか?
「鰹」のことを志ん生はたしか「カツウ」と発音していたともいます。
明治十年生まれの祖父も、江戸っ子ではありませんが、「鰹」は「カツウ」でした。

No title

*りらっち。。
ご承知のようにチューブには11分制限があるのと、多分割しちゃうと各パーツが行方不明になる危険性があります。この動画は、ギリギリ二本に分割しましたが、そうするとどうしても一本の動画が長くなって重くなります。リラ環境では、重くてキビシイと云う意味ですか?

だったら、面倒臭いけど一本を三分程度に分割しますけど・・・そう云う意味じゃなくて、後半の10分57秒をご覧になる時間が無いほどお忙しいとか・・・(^ω^)

文七を1~8まで全部ご覧になるには、気合が必要ですが、20分程度の短い落語は一気に聴くほどの余裕を持っていただきたいです(^∇^)

志ん生さんは、カラー動画はもとより、カラー写真でさえ、私は見た事がありません。その点、文楽さんは、4,5本のカラー動画を残してますね。

野幇間を専門に餌食にする詐欺師ってのがいたら・・・儲かるのは繁盛してない鰻屋さん?(^ω^)

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*けんちゃん。。
名人の芸ってのは、耳に残ってますね。人間ですから、当然歳を取る訳で、全盛期のような訳には行かないのは判っていながら・・・一抹の寂しさを感じます。

志ん生さんも、倒れてから復帰して2,3年は、さすが志ん生! と云う落語をやってたのですが・・・75歳を過ぎた頃から次第にマクラが長くなり、倒れる前には決してやらなかった無駄話が多くなって、しかも同じパーツを繰り返したり、肝心な事が抜けてたり・・・客も聴くのが辛いけど、本人はそれ以上に辛かったと思います。

柏木は、78歳の晩年まで、それほど衰えを見せませんでしたね。東京落語では、80歳を超えてもブレずに高座をやっていたのは稲荷町だと思います。心臓を悪くしちゃったので震えちゃうのは仕方が無いのですが・・・木久扇さんなんかにオモチャにされるようなお師匠さんじゃないんです。

すいません。「シラウ」の件は、ちょっと私には判りません。「鰹」は「カツウ」と云う発音でいいと思います。ただし「カツオ」と発音する場合もあるので、「カツウ」だけじゃないって事ですね。

No title

ごめんなさい、「シラウ」でした。私もそれが唯一の発音だとは思っていません。
柏木に最後に高座で接したのは、なくなった年の東横落語会でしたが、「福寿草」(たぶんネタオロシ?)を危なげなく演じていて見事なものでした。
志ん生師が板付で出るようになったのは仕方ないとしても、ヨレるようになってからは意識して行かないようにしていました。「あの志ん生が!」と言う気持ちになりたくなかったのです。
稲荷町の晩年は必ずしも同意できかねるところもあります。実は累ヶ淵の全集を買ったのですが、ちょっと全盛期とはかけ離れていました。最初の部分を聞いただけで、後は聞いていません。
===
木久扇さんなんかにオモチャにされるようなお師匠さんじゃないんです。
===
激しく同意です。自分の師匠をオモチャにするのは気に入りません。師匠を凌駕していれば別ですけどね。

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*けんちゃん。。
志ん生フリークの私ですから、晩年の志ん生音源は、可哀想で聴いていられない。志ん生が勲四等の勲章を貰った時に、NHKが八木治郎アナで番組を作りましたが・・・78歳の志ん生は、椅子に座ったまま一言も発しなかった(発する事ができなくなってしまった)。

辛いけれども、志ん朝さんやお弟子さんたちが出演して、志ん生の歴史を語っているので、いずれ動画を上げる予定ですが・・・

稲荷町も、晩年の体調によって、出来不出来がありましたね。80歳時の中村仲蔵の語りです↓
http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/56555027.html

木久扇さんに、80歳になってこれが出来るんならやってみろ! って云いたいですね(^ω^)

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八木治郎アナとの対談はDVDで発売されていますね。

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*けんちゃん。。
13巻組だったかの、「志ん生復活」ってDVD全集ですね。
再度見直して確認しないと判りませんが・・・78歳の志ん生は、椅子に座っているだけで、一言も発していなかったと思います。

志ん生の歴史みたない事をさらってますが・・・その部分の司会進行は、当時30歳だった志ん朝さんですね。終わりの方で、高座以外の黒門町も登場する貴重な映像です。

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私は、一八は、この客を本当は知らない。客の方は、一目見てわかる幇間を最初から騙そうとしていた・・・というと腑に落ちるのですけど。

この映像の文楽師匠は・・・・???

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*キャバンさん。。
この客と幇間の一八との関係は・・・微妙ですね(^∇^)
裁判員制度で判断していただきたいくらいの事案です(^ω^)

落語で語られている事のみの状況証拠で判断するならば・・・一八は歌沢(歌沢節と云う音曲)の師匠の葬儀で麻布の寺へ行ってる事は事実です。だから、客がその事に言及したのは、そこで、煙草盆を引っくり返してケンツクを食らわせていた一八を見ている事も事実です。一八も、紹介された訳ではないけれども、参列者の顔は、おぼろげながら覚えていた。つまり、二人の関係はその程度と思われます。

この客は、根っからの詐欺師ではないはずです。何故なら、町の稽古屋のお師匠さんの葬儀に麻布の寺へ行っていた訳ですから、単なる蚊弟子なのかも知れませんが、それなりの粋筋の心を持った人のはずです。

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*続き。。
これは詐欺師のプロの手口かと云うと・・・そうじゃないでしょう。繁盛していない鰻屋の代金など、多寡が知れています。買ったばかりの5円の下駄を履いて行ったのを含めると、一八の損害は15円。現代の金額にして、1万5千円と考えられますが・・・もし、プロの詐欺師なら、そんなセコい仕事はしないはずです。

だからこの客は、洒落で、野幇間に悪戯をした粋人と考えるのが妥当だと思います(^ω^)

それから、黒門町のこの高座の出来に関しては・・・一つの記事を書かなければならないほど、複雑なものがあります。個々のダメな点を書いて行ったら切りが無い。他の噺家さんなら、これでもいいんです。でも、黒門町がやっている「鰻の幇間」がこれではいけません。長くなるのでこれ以上は書きませんが、黒門町が高座を降りたラスマイの高座。既にその前兆があったと云う事ですね(^ω^)

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藪師匠、

パート2までたっぷりと聴かせて戴きました。

やはり夏の風物詩である鰻の話は櫓の着物に限りますね(此の呂の字を知りませんので間違っていましたら申し訳がありません)・・・

黒門町の師匠の出囃子「野崎」を聞いたのは久し振りの事です。
湯島と御徒町の中間に位置します旧黒門町にも最近は縁が無く約半年間ぐらいは行っていません。

また訪問させて致しますので宜しくお願い致します。(笑顔)・・・

No title

一年ぶりですが、エキさんの投稿があったので、「My Page」に乗ってきました。
志ん朝師匠の三百人劇場版では、やはり、一八は、客とは面識はあるが、素性は知らない、客のほうも慎重に幇間をかもにするため「先の家」を強調しているように思います。
少なくとも志ん朝版では、何度聞いても最初から、一八が、最初からだまされるというのが師匠の解釈だと思います。

一年経っての記事に遅れ気味ですが、鰻の記事をTBしておきます。

No title

*エキさん。。
着物の生地の「ろ」は、糸偏に「呂」と書く「絽(ろ)」ですね。お菊さんやしゅうさんならお手の物ですが・・・(^∇^)
夏場、白い襦袢(じゅばん)の上に着る、ガーゼのように風通しのいい生地ですね。裏は、花色木綿(^ω^)

現在は、黒門町の地名はなくなっちゃって、「黒門小学校」くらいにしか残っていないはずです。噺家が二人住んでいました。八代目 桂文楽と、五代目 古今亭今輔です。

エキさんは、現地取材した記事を書いてらっしゃいましたね。

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*キャバンさん。。
最近は、古い記事へのコメントがよく、ヤフーブログのトップページに表示されますが・・・ことごとくエロ業者の書き込みですね。ヤフーブログの担当者は、それを何とかしようとする気も技術も無いので困ったものです(^ω^)

この動画は、黒門町が国立演芸場の落語研究会で一席を演じた最後の高座です。この一ヵ月半後の8/31に「大仏餅」を途中でやめて、高座を降りちゃいました。その映像をTBSでは保管しているはずですが、出してくれませんねぇ。

完成品じゃなくても見たいのはファン心理なので・・・。キャバンさんならこの映像の黒門町をご覧になればお判りかと思いますが・・・なんで、あの黒門町が、こんなにモタモタやったいるのか? って思うでしょう。既に言葉が浮かんでこない徴候が、一ヵ月半前の高座で出ています。

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