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まっくろけ節


 作詞作曲=添田唖蝉坊 大正2(1913)年

箱根山 昔ゃ背で越す 駕籠で越す 今じゃ寝ていて 汽車で越す
トンネルくぐれば まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ

与市兵衛 杖を頼りに とぼとぼと オ~イオ~イと 定九郎
提灯ばっさり まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ

桜島 薩摩の国の 桜島 煙を吐いて 火を噴いて
十里四方が まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ


 作者の添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)は、明治5(1872)年12月25日~昭和19(1944)年2月8日 享年71 本名=添田平吉 明治・大正期に活躍した演歌師の草分け

 私が唖蝉坊の名を知ったのは、先年亡くなった、庶民派フォークシンガーの草分けの一人の、高田渡(たかだわたる)が唖蝉坊の歌を良く歌っていたからです。「♪新案特許品 よくよく見れば 小さく出願中と書いてある あらほんとに~現代的だわね」って歌詞の「現代節」も唖蝉坊の作だったと思います。唖蝉坊は、この「まっくろけ節」をはじめ「のんき節」などの182曲を作ったとされています。

 この「まっくろけ節」のオリジナルの歌詞は上記のようなもの(これは、かつ江さんのバージョンなので若干違う)で、旅行手段が駕籠から蒸気機関車になって、その煙でまっくろけとか、桜島の噴火でまっくろけだとか、忠臣蔵五段目の山崎街道の場面での、おかるの父親の与市兵衛から、盗賊となった斧定九郎(おのさだくろう)が五十両の金を奪うシーン。ちなみに、このシーンでの定九郎の衣装を工夫したのが・・・中村仲蔵。落語も歌舞伎も流行演歌も繋がってるんですねぇ(^∇^)

 で、この「まっくろけ節」は、歌詞が単純で、何か黒いモノの歌詞を作って、最後に「まっくろけ」と付ければいいだけなので、非常に多くの様々な替え歌が作られてます。ボールペンのCMソングにも使われ、北島三郎さんがその替え歌を歌いました。

ボールペン ○菱マークの ボールペン 軽く書いても まっくろけのけ
それでも30円 まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ


 こんなのは幾らでも作れますね。三遊亭楽太郎さんが、来月、圓楽名跡の六代目を襲名するそうですが・・・彼は、「笑点」と云うバラエティ番組で、腹黒いと云われて、それを根多にしてますね。それを踏まえて、私も次のような替え歌を作ってみました。

楽太郎さん 六代目 圓楽を 襲名するってね 稽古に励んで 芸磨け
それでも腹ん中 まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ


 データ・・・都家かつ江 明治42(1909)年3月15日~昭和58(1983)年9月29日 享年74 浅草で芸人の家に生まれる 都家は劇団の座長だった父親の屋号 本名=利根谷タキ 女優として数多くの映画やドラマに出演しましたが、何と云っても、「女三亀松」と異名を取ったほど、都々逸や俗曲を得意とした寄席の音曲師で、大師匠の膝代わり(トリの真打ちのひとつ前に出る色物芸人の真打ち)を数多く勤めました。志ん生さんや圓生さんの音源で、「ただ今は、女の子でして・・・」と云って笑わせているのは、この都家かつ江さんの事です。

コメント

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高田渉さんとの関係は、漠然と知っておりましたが、はっきりわかりました。勉強になりました。
高田さんの「自転車に乗って」のイントロの前に流れる大正時代風の唄も、関連があるのでしょうか?

No title

藪師匠、おはようございます。

唖蝉坊さんの特集を最近NHKで放送していました。
世相を皮肉るストレートな歌の数々は、この猿山の様な浮世の現実を直視していると感心したものです。

それに、このかぶり物と髭も素晴らしい(笑)・・・・・・・・

No title

むかし「オレたちひょうきん族」で、明石家さんまさんが「しっとるけ」って怪人をやっていた時に、この替え唄で登場してましたね^^。
YOU TUBEでみつけました^^。タイミング、2;37位に出ています^^。
http://www.youtube.com/watch?v=B7VflAFtUTs&feature=related

30円もしってますよ^^。。あれは確か、水原弘さんが唄ってたんじゃありませんでしたっけ^^ゞ?。。。

No title

こんばんわ

都家かつえの声懐かしいですね。
昔の友人にでも会った様に嬉しく拝聴しました。

定九郎の芝居も60年も前に街の劇場で見ました。

彦六の中村忠蔵は歌舞伎を見ているような錯覚します。

勝手な事書いています。

楽しい記事をありがとうございました。ポチ^・^♪☆彡

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こんばんは。こういう唄だったのですか。いつもながら勉強になります。ポチ★
都家かつ江さんはなんとなく覚えています。
ボールペンのCMも子供の頃ですね←なんか若いと無理してるみたいですね・・・

No title

お正月に島田髷に結った芸人さんが舞台に出てくるとパッと明るくなりますね。
内海桂子・好江師匠や都家かつえ師匠がポンポンポンと歯切れの良い話と三味線の音。
寄席が華やかですよね。

にしても…三味線の音が素晴らしいですよ。

No title

かつ江ねえさん、なつかしい!

No title

藪さん、暫く御無沙汰しておりました。
久しぶりにコメントさせて頂きます。

僕も小学生の頃、『オレたちひょうきん族』で明石家さんまが替え歌として歌っていたことからこの曲の存在を知りました。原曲について知ったのはそれからずっと後のことです。

小沢昭一さんが子供の頃、町内の集まりか何かで「札幌のビール会社の煙突は、太くて長くてシャンとして、噴き出す煙がまっくろけのけ…」と、「まっくろけ節」の替え歌を歌って場内から大喝采を浴びたものの、後でお父さんに叱られたという話を、以前『小沢昭一的こころ』の中で話していた記憶があります。

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*キャバンさん。。
高田渡は、ウディ・ガスリーと云う、ボブ・ディランがフォークをやってた頃に心酔していた社会派歌手を、日本に紹介したとも云えます。ガスリーは、「わが祖国」と云う歌の歌詞を作った人ですが、曲は古い民謡です。

ガスリー自身はたくさんの歌を歌ってますが、そのほとんどは、古い民謡に社会派の歌詞を付けると云う手法を取りました。そのスタイルは、明治・大正の演歌師に似ていたので、渡ちゃんは英語の歌詞で歌う事をしなかった人ですから、ガスリーのスタイルを日本語でやるために演歌師を取り上げたんだと思います。

「自転車に乗って」のイントロで歌われる「♪チリリン、チリリンと乗り出すは~」ってのは、「ハイカラ節」の一部ですね。

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*エキさん。。
そうでしたか。NHKは強制有料放送なんだから、いい番組を放送する義務があるんです。他の民放が視聴率を気にするのは、スポンサーが獲得できないと収入が減るからなのですが、NHKは視聴率を気にする必要は無いのですから、いい番組だけを放送してりゃ良い訳で、民放と視聴率競争をしてるような番組制作者は、首にすべきです。

唖蝉坊さんは多分、先生と呼ばれていたんじゃないかと思いますよ。自由民権運動の高まりと共に、大正時代には街頭で演説する人が増えました。社会の混乱を恐れた政府は、街頭での演説を禁止にしました。そこで急速に広まったのが演歌なんです。つまり、演説ではなく、歌なんだと云う抜け道を考えた訳ですね(^∇^)

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*ヤマさん。。
あのボールペンのCMは、1960年代後半なんですが、水原弘もCMに出てましたっけ?
確かに水原弘のデビューは「黒い花びら」で第二弾が「黒い落ち葉」と云うように、「黒」で売ったんですが、その後泣かず飛ばずで、1967年に 「君こそわが命」でカムバックするんですが、その時には既に「黒」のイメージは無くなってた筈です。

カムバックしたとは云え、一曲しか売れなくて、エアゾール殺虫剤やボンカレーのCMが主な仕事になっちゃうんですね。酒の飲み過ぎがたたって、肝硬変って事ですね。

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*与太さん。。
かつ江さんが亡くなってから、もう30年近くになるんですね。時の経つのは早いです。

私は「彦六」とは云わずに、あくまでも「正蔵」と云います。何故なら、「彦六」と云うのは、噺家としての名跡とは云えないからです。三平が亡くなったので、正蔵名跡を返上します。名前が無くなっちゃったから便宜上、彦六と名乗っただけなんです。しかも、名乗ってから一年後に亡くなったので、彦六を名乗っていた期間は、最晩年のたった一年です。八代目 正蔵を名乗っていた期間は30年です。

ですから、その実績を超える正蔵が現れない限り、正蔵と云うのは、あくまでも八代目 正蔵なんです。

当代の六代目 小さんは、九代目 正蔵の一年半後に襲名されましたが、代数を付けずに小さんと云えば、五代目 小さんの事を指し、六代目の事を云うなら、六代目を付ければいいだけの事です。正蔵とて同じ事。代数を付けずに正蔵と云えば、八代目 正蔵の事を指し、九代目 正蔵は、落語以外の仕事をしている限り、こぶで十分です。

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*ごんちゃん。。
何でさぶちゃんがCMに起用されたのかを考えたのですが・・・鼻の穴が真っ黒だからかな? って思ってます(^ω^)

都家かつ江さんて、あんまり音源が残されてないので、ヤフージャパンで、「都家かつ江」を検索してみたら・・・上の方に、私が書いた記事が出て来た(^ω^)

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*しゅうさん。。
三味線ってのは、日本のオリジナルの楽器ではないのですが、江戸時代に外国から入って来て、日本だけで独自の発展を遂げましたね。細棹・中棹・太棹ってのが出来たのは、ヴァイオリンとビオラとチェロの関係に似てるかも知れませんね。

三味線の動画をチューブに上げると、結構外人からのコメがありますよ(^∇^)

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*けんちゃん。。
法師さんなんかは、志ん生さんや圓生さんの膝代わりで、寄席に出ていた頃のかつ江さんをご覧になっているんでしょうねぇ。羨ましい限りです(^∇^)

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*万年さん。。
小沢昭一さんは、添田唖蝉坊の長男で、「パイのパイ節(東京節)」を作った添田知道と「のんき節」を一緒に歌ってる音源を残してますね・・・と云うか、四年前にコメントをいただいた、「のんき節」の記事の音源をもう一度聴き直したら・・・あれは共演じゃなくて、添田知道の音源に、小沢昭一さんが後テイクで付け加えたものですね。

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日本のウディー=ガスリー。
わかりやすいですね。

No title

*キャバンさん。。
ギターと云う楽器が日本に定着したのはいつ頃かってのがありますが・・・米国でも、初期のジャズはギターではなくて、アフリカ起源のバンジョーが使われているので、1920年代以降だったと思われますから、日本では昭和になってからでしょうね。

大正時代までは、ソロで弾く楽器は、もちろん三味線がありましたが、西洋楽器としてはヴァイオリンが最もポピュラーだったんでしょうね。

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