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替り目


「よぅ、大将っ! 大将っ!」
「何んだっ! 大将ってっ! 何時、俺がイクサに行ったぁ!」
「車ぁ、差し上げましょう。帰り車なんで、お安くしておきます」
「そうかぁ、力があるなぁ。差し上げてみてくれっ!」

 ご存知、「替わり目」でございます。
 この音源は違いますが、「こりゃ大変だっ。元帳見られちゃった」とサゲるのが普通です。

 志ん生師は、馬生時代から戦後の昭和二十年代にかけて、SPレコードに19席吹き込んでいますが、そのうちの三席が、この「替わり目」です。サゲまでやっていないので、「元帳」や「亭主関白」の演題になってます。
 志ん生師は、昭和24(1949)年(59歳)に、「銀座カンカン娘」と云う映画に出演していますが、最後のところで一人でしゃべっているのが、この「替わり目」です。

 昭和29~36(1954~1961)年に、ニッポン放送の専属になりますが、その七年間に、この噺を11回放送しているそうです。

 昭和14年(1939/3/1)に、49歳で五代目 古今亭志ん生を襲名してから、同26(1951)年迄に、記録によると「志ん生」としては、「火焔太鼓」の「一・二」、「三・四」を含む、7枚のSP盤がテイチクとコロンビアから出ているようです。そのうち「亭主関白(上・下)」として「替わり目」が出ています。志ん生の名前で出ている最古の音源と思われます。ただし、七代目 金原亭馬生として、昭和10~14(1935~39)年に、ビクター、ポリドール、コロナ等の各社から合計14枚のSP盤が出ているようです。

 この「替わり目」は、志ん生師が一番お好きだった演目のようです。多くの噺家さんがやってますが、なかなか志ん生師のような味が出せません。それは、何故かと云うと、この噺は、正に志ん生師の実生活そのものと思われるからです。志ん生師は、生のまんまで、実~に自由奔放に演ってます。

以下、パネル内検索窓貼り付け用コピペ・キーワード
志ん生 替り目
志ん生 替り目2

 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 紫綬褒章 勳四等瑞宝章 本名=美濃部孝蔵

 上手いなぁ~。実に上手い。これが40年掛かって作り上げた志ん生落語です。この、たった13分の演目が、史上最高の落語です。嘘だと思うんなら、区役所行って聞いてみて下さい!^^

コメント

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藪師匠、追伸。

「替り目」、パート2まで、今たっぷりと聴かせて戴きました。
この志ん生師匠のCGの画像は、まさに本人が生きている様で素晴らしいですね。
どうやって作られたのか、興味しんしんです。

今日のNHKの夕刻のラジオ番組で、志の助が「火焔太鼓」を、はじめ色々と感想を語っていましたが、何を言っているのやらその本意が分かりませんでした。(笑)・・・・・・・・・

No title

清元のお祭りに
♪お手がなるから銚子の替わり目と、あがってみたれば…
って一節が有りましたね。

おかみさんの時の声が志乃さんに何となく似てて…
りんさんと面差しも似ていらっしゃるなと思って聞かせていただきました。
この話は「替わり目」じゃなくて良いんですよ。
志ん生師匠だからと言う話ですね。

↑エキさんの仰るようにこの画像は素晴らしいですね。
まるで志ん生師匠を見ている様な動きです!!

No title

しょっぱな、主人公が、横山やすしさんを彷佛とする言葉が続きましたが、
主は、いつから偉くなって、いつから偉く無くなっちゃったんでしょう^^。
お役所の怠慢、官僚の横領、代議士の不正。国会議員の嘘つき^^。
庶民は庶民で、いまだに酒飲んで運転して人殺しはするわ、人の命よりも目先の金
とか云って、35歳の女は何人も人殺しするわ。。
勿体無いの価値観が、物や金ばかりに執着して、人の心や命なんぞを勿体無いなんて思わないようなこんな悪党共には天下の制裁を下してやってください。そそ、もういい加減に、あの力士たちにも。。^^ゞ。

No title

*エキさん。。
今、この噺を、通しでやってる噺家って、三遊亭好楽さんくらいで、意外に少ないんじゃないでしょうかねぇ。
と云うのは、語られている時代が、今ではよく判らない時代なんです。おもいっきり江戸時代ってんなら、それなりのベールに包めるんですが、人力車や新内流しに鍋焼きうどんだから、明治中期から大正の頃の時代設定でしょうね。

その時代の設定が一番難しいんです。時そば(上方は、時うどん)と、うどん屋(上方は、風邪うどん)の時代設定の違いって判ります? 前者は江戸時代で、後者は明治時代の設定でやるんです。それを理解していない噺家が結構いますが、屋台そのモノの理解さえ出来ていない噺家がいます。現代のおでん屋の屋台のような、リアカーに乗せた屋台で語っちゃってるのがいるんです。

落語に出て来るそば屋やうどん屋の屋台ってのは、車が付いていて引っ張るんじゃなくて、振り分け荷物のようにして肩で担ぐ屋台なんです。

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*キャバンさん。。
志ん生の、この「替り目」の良さが理解できる人は、私は落語の優れた鑑賞者として太鼓判を押します(^∇^)

談志さんは、「まっつぐやれ。塀がありますよ。塀を壊せ」と云う志ん生のやり方が気に入らないようですが・・・その一見乱暴に聴こえるところが、志ん生の良さだって事を判って云ってるはずですね。圓生さんは、替り目をやってませんが、談志さんが、もし圓生が替り目をやったら・・・ってんで、見本をやってますが・・・やっぱり圓生さんの語り口には合わない演目なんですよね。

志ん生だからこそ、ここまで出来る訳で、米朝さんや枝雀さんのを聴いても、特にいいとは思えませんものね。

志ん生が何故、前半で切っちゃったのかをいろいろ考えたのですが・・・おそらく、高座では当初、通しでやってたんじゃないかと思います。SPレコードに録音する時に、AB面で6分の制約があるために、「元帳見られちゃった」で切ったところ、後半は要らないって思ったんじゃないでしょうか?

ちょっと前に、三代目 今輔の替り目の音源を出しましたが、今輔は音曲をやりたいために、後半部分を選択してますね。

No title

*エキさん。。
もちろんこれは・・・プロが作った作品で、DVDになって売られています(^ω^)

山藤章二さんが描いたイラストを元に、志ん生さんの弟子だった古今亭圓菊さんのポーズの指導の下に、プロのCG作家が作ったものです。前後の、志ん生と女房のおりんさんのツーショット写真は、私が組み込みましたが・・・(^ω^)

志の輔さんがどのような事をおっしゃったのか知りませんが・・・お判りにならない部分がございましたら、私に質問してみて下さい。生意気な事を云うようで恐縮ですが、少なくとも志の輔さんよりは、落語の事を知っているつもりです。談志さんには敵いませんが・・・(^ω^)

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*しゅうさん。。
へぇ~。しゅうさんのコメは勉強になるなぁ。清元にそう云う歌詞がありますか・・・
「百川(ももかわ)」と云う落語では、二階でお手が鳴ると・・・百兵衛と云う田舎者が・・・「ヒェ~」と云う返事をして二階へ上がって行って、クワイのきんとんを飲み込まされて、目を白黒させたりしますが・・・(^ω^)

三代目 金馬さんの話によると・・・本来、この替り目は、後半部分の新内流しは、下座が三味線を弾きながら舞台裏を歩いてそれに酔っ払った亭主が声を掛けると云う演出だったようです。三代目 今輔は、音曲師だったから、自分で三味線を弾きながら後半部分をSPレコードのAB面に残しましたけどね。

このアニメはプロが作ったもので、全部で17演目くらいあります。チューブに上がっている幾つかは、サンプルとして私が上げたものです(^ω^)

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*ヤマさん。。
日本が戦争に負けた事で、戦前の日本の良かった文化まですべて否定されて、外国の文化に強制的に替えられてしまいました。

道徳は軍国主義に繋がるからいけないって事で、道徳心を持たない日本が出来上がってしまったのが現代日本だと思います。戦前の教育勅語から、軍国主義に繋がる部分を書き替えたものを、教育の基本に据えるべきだと思います。

頑固親父は道徳の塊だとは云いませんが、少なくとも頑固親父が排斥されるような社会は、決していい社会だとは思えません。

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へーー…三代目 今輔は、音曲師だったんですか。

>自分で三味線を弾きながら後半部分をSPレコードのAB面に残しましたけどね。

その新内流しの部分聞いてみたいです♪

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藪さん、こんばんわ

本当に面白い話ですね。
ナメクジ長屋の生活がこういう芸を育てたのかな。

大学での落語家が多いけれど落語が形骸化しちゃって
今一ですね。^・^♪☆彡

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*しゅうさん。。
この記事の一週間くらい前に、「替り目」の後半部分をやっている三代目 今輔の音源を付けた記事が上がってます(^∇^)

ただし、関東大震災前の録音なので、音質はご勘弁願います(^ω^)

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*与太さん。。
でっかい、空飛ぶナメクジや、蚊が多くて向こうが見えないとまで云われた、なめくじ長屋ってのは、今の墨田区の業平近辺の埋立地に、関東大震災後に作られたバラックだったようです。湿気が多いのでナメクジの成長がいいんでしょうね(^ω^)

圓喬スタイルの本格落語を追及していた頃の志ん生は売れなかったから、乞食同然の生活しか出来なくて、女房のおりんさんに養ってもらってました。何故別れなかったかと云うと・・・志ん生は他の事はぞろっぺぇだけど、落語の稽古だけは懸命にやっていたからですね。

金語楼の紹介で三語楼一門に加わって、笑いとは何かを学んで、それを本格落語と融合させて志ん生スタイルを作り上げてます。50歳になってからやっと売れ出したんです。そのハングリーさが、誰にも負けない落語を作り上げたんです(^∇^)

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ありがとうございました。
今、聞かせていただきました。

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*しゅうさん。。
浮世床と浮世風呂って演題が似ているところから、同じような噺だと思ってらっしゃる方がいますが、浮世風呂ってのは音曲噺で、歌が中心なんです。ですから現在の落語界で、浮世風呂を口演する噺家さんはほとんどいないと思います。

上方では、色物(寄席芸のうち、落語以外のもの)で、楽器を入れた漫才等が中心ですが、自分で三味線を弾いて音曲噺をする落語家さんはいなかったはずです。圓生さんが話しているところによると、戦前の東京の寄席では、一つの寄席興行で、三、四人は、音曲噺だったらしいです。

東京の落語では、「はめもの」が入らない代わりに音曲噺があったと理解しています。

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噺家さんが高座で三味線を弾いて噺をしていらっしゃるのを見た記憶がないですね。

そういえば関西では「吾妻ひな子」さんが三味線を抱えて高座に上がっていらっしゃるのを懐かしく思い出しますがそれは「女放談」と仰ってましたね。

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 三遊亭圓龍師匠が三味線の弾き語りしながら「稽古屋」を演じられたのを見たことがあります。
 吾妻ひな子師匠の「女放談」、今では内海英華師匠が「女道楽」として演じてますね。
 東京では玉川スミ、春風亭美由紀、檜山うめ吉、三遊亭小円歌、柳家小菊、明石寿々栄の各師が「俗曲」「粋曲」「三味線漫談」などと称して高座で披露されてます。

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*しゅうさん。。
寄席の音曲師ってのは、落語の定席では色物芸人なんです。
しかしながら、歴史的に東京の寄席では、音曲師が重要な役割を担って来たんです。談志さんはいみじくも、有能な膝代わりがいなくなったから、寄席がダメになったと云ってます。

戦前と表現される時代よりもっと前の時代の寄席。つまり、四代目 橘家圓喬が、人形町末廣の高座に出ていた頃は、圓喬専属の膝代わりの音曲師がいたんです。それは、二代目 柳家三好と云う音曲師です。立花家橘之助と云う、都家かつ江さんのような音曲師が寄席の楽屋にいて、彼女だけが、名人 圓喬と対等に話が出来た人だったらしく、前座時代の黒門町なんか、怖くて近寄れなかったそうです。

三代目 三遊亭萬橘(1866~1937)と云う音曲師は、二代目 圓朝を襲名する予定だった、初代 三遊亭圓右の専属の膝代わりでした。かつての東京の寄席には、名人と云われるような噺家には、専属の音曲師の膝代わりが付いていたんです。

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立花家橘之助と言うと山田五十鈴の「たぬき」のモデルになった方と聞いています。
中々の女傑だったようですね。
面白い方ですのでもっと良く知りたいと思っています。

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*櫻川さん。。
さすが櫻川さんは、現代の寄席にお詳しいですね。
そう云う人たちが、テレビタレントに押し潰されないように、協会が規定を作るべきですね。
噺家が落語以外の仕事をするんなら、噺家を辞めろと云われた時代がありました。

テレビタレントをメインの仕事にしている連中は、協会から除名して芸能プロダクションに所属すればいいんです。相撲協会の会員が格闘技のリングに上がったら、協会から除名されるのと同じです。

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*しゅうさん。。
立花家橘之助の音源は幾つか残ってるのですが、残念ながら音質が悪過ぎて、よく判らない音です。資料も私は持ってないので、桂文楽や金馬が昔の寄席の思い出を語っている音源で、立花家橘之助の事を知るしかありません。

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