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夢八


 「夢八(ゆめはち)」または「夢見の八兵衛」と云う落語演目は上方落語で、東京でやっている噺家さんはいないかも知れません。ただし、東京で上方落語をやった二代目 三遊亭百生(1895~1964)や、二代目 桂小南(1920~1996)が持ち根多にしていたので、東京でお聴きになった方もいるかも知れません。
 
 内容は・・・怪談噺です。とは云うものの、怪談噺風滑稽噺と云うモノで、怖がらせながら笑わせると云う、落語国独特のスリラーって事になるんでしょうね^^
 
 寝るとすぐに夢を見る八兵衛。甚兵衛さんに呼ばれて家を訪ねました・・・落語国に出て来る甚兵衛と云う名前の人は、善人と云う設定です・・・。八兵衛は仕事もせずにブラブラしているので、食べるものも無い。何もしないで、「吊り」の番をするだけで、銭になる仕事があるけど、どや?
 
 そうでっか。ワテ「釣り」は好きだんね。やりまひょ、やりまひょ。
 
 夜食に煮物や握り飯を出されて、空腹だった八兵衛は有頂天。食べててもかめへんけど、割り木でずっと板の間を叩いてないといかんで。何でです? 寝てしまっては仕事にならんから、寝ないようにな・・・あっ、それと・・・奥にムシロが下がってるけれども、ムシロの向こう側を見たらいかんで~
 
 ここから怪談部分になりますが、ムシロの向こう側には・・・「吊り」があった。この長屋に年古く住む猫・・・落語国では便利なキャラクタ。ディズニーなら魔女と云ったところか・・・が、八兵衛をからかってやろうと、「吊り」に取り付いて、「伊勢音頭歌え~」となります。伊勢音頭を歌わせると云うのは上方落語の定番らしく、「七度狐」の中にも出てきます。
 
 「吊り」が、マジック・キャットの操作で伊勢音頭を踊り出しましたが、吊ってる縄が切れて、八兵衛に覆い被さり、八兵衛は気を失ってしまう。翌朝、甚兵衛さんが来て、昨夜はどうやった? なんや、はなは、やかましかったけど、朝方はシンとなりましたで・・・
 
 なんや、アイツ寝てしまったのかいな。甚兵衛さんが、家の中へ入ってみると・・・八兵衛は「吊り」と抱き合って寝ている。なんやコイツ。こわないのかいな。これ、起きんかい! 「ああ、歌う歌う。伊勢はなぁ~、津でもつ~、津は伊勢でもつ~」と伊勢音頭を歌いだす。あっ、こいつ、伊勢参りの夢見とる・・・

 データ・・・二代目 露の五郎兵衛 昭和7(1932)年3月5日~平成21(2009)年3月30日 享年77 本名=明田川一郎 前名=二代目 五郎 出囃子=勧進帳(舞の相方) 2000年紫綬褒章受章
 
 滑稽噺ではありますが、この「夢八」は、しっかりとしたデッサンの基に出来上がっている一流の演目だと思います。

コメント

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へーー…こんな所でも派閥均衡ですか。。。ツマらない事ですね。
あえて四天王の1人を入れ替えと言わなかったことをお酌み取り下さい(汗)

東京の四天王も派閥じゃ…
でも今は四天王を作ろうに4人上げられませんよ(笑)

上方の方にとってなんで伊勢音頭なのかと思うのに伊勢で御輿を担いでいた私は
伊勢には「古市」の遊郭が有ったからじゃないかと思うんです。
俗に「行きの精進、帰りの観音ご開帳」なんて言いますもの。
古市は内宮と外宮の真ん中当たりの小高い山の中で「いかにも」と言う雰囲気の町なんですよ。

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この噺、百生で何度も聴きました。特にあの「吊り」の格好を見せるところで「わし、これをやるのいやなん」といいながら手ぬぐいで首をつる真似をするところはいつも面白かった。
百生師の家は中井にあって、当時上落合の火葬場のそばに住んでいた私は、顔が見られるかなと思いながら何度も散歩で家のあたりをブラブラしました。

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藪師匠、おはようございます。

私は落語の方面はあまり明るく無いので、話が横道にそれます事をお許し願います。

さて、現在話題沸騰の大相撲界の野球賭博の件に入りますが、
あの世界は一つの村と云うか集落みたいなもので、国技と云う看板を錦の御旗にして、税金もたいして払わずに銭儲けをしている訳です。

力士にした所である程度の地位を保っていれば、ごっちゃん々で簡単に銭が稼げるすシステムになっています。
それは親方衆にも当然として云える事です。
銭の価値を知らないその世界の連中に上手く取り付いて銭儲けを企むのが出て来るのは当然のことで、
まぁ、たけしの一発ギャグ「赤信号皆で渡れば怖くない」式で相撲界全体に賭博が広がったのだと察します。
昔からやっていたのでしようが、ただただ呆れ返るばかりですね。

NHKは即相撲放送を打ち切るべきが、公共放送の正道だと思いますが(笑顔)・・・

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 ご無沙汰してます。

 この高座の出囃子は「鍛冶屋」です。賑やかで明るい曲ですね。露の五郎兵衛師匠が若いころ使っていましたが、怪談を演じるのにそぐわないと、「勧進帳」に替えたそうです。

 ちなみに東京では地囃子として使われることが多いようです。出囃子としては三遊亭楽春さんが使っています。

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*キャバンさん。。
上方落語を東京に持ってくる事を「移植」と云ったりしますが、当然、東京の演目を上方へ持って行った「ちりとてちん」のような演目もあります。上方から東京へ多くの落語を移植したのは、三代目 圓馬と三代目 小さんです。地名が入っている場合には、地元のものに変更します。例えば「六甲山」は「成田山」のような感じですね。

ただし、この演目のように、元々は上方の噺家だった百生さんが、そのままの形で東京でやる場合は、東京の他の噺家さんがその演目をやらないので、移植にはならずに弟子がその演目を受け継がない場合は、一代限りで終わりです。上方ではほとんどの落語家がやっている「七度狐」もそんな感じですね。

ただし歌丸さんなどが、敢えて「菊江の仏壇」や「辻占茶屋」などを演ずる場合もありますが、なかなか東京の演目としては定着しませんね。

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*しゅうさん。。
「派閥均衡的」と政界の用語を使ったのは、的外れかも知れませんが、あながちそうとも云えない部分があるので、敢えてこの用語を使ったんです(^∇^)

四天王とかどうとか云うのは、歌謡界の御三家とか三人娘のような感じで、業者がプロモーションに使いやすいからだろうと思います。そんな事よりもっと重要なのは、「一門」の存在感だと思います。

現在の上方落語は、「桂」の屋号を使っている米朝一門、三枝(旧・文枝)一門、春團治一門、林家一門そして、笑福亭一門と云う、勢力関係は別にして、上方落語の歴史を語る意味で、五つの流れがあります。「戦後の上方落語の四天王」に林家一門が入っていないと云うのは、前述の事情からですが・・・

天満天神に落語の定席の繁昌亭が出来ました。その時の「口上」の動画をチューブに上げましたが・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/57558459.html

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*続き。。
・・・残念ながら、「利用規約に違反している」と云う意味不明な理由によって、チューブに削除されてしまいました。私は、この動画は、上方落語の現状を語る上で、「重要な動画」だと思っております。削除される前にご覧になった方は憶えていらっしゃると思いますが・・・三枝一門の上方落語協会会長の三枝、米朝一門のざこば、春團治一門の春之輔、林家一門の染丸の四人が口上を述べました。司会は、米朝一門の八方でした。

ここで「?」と思っていただかなくては困ります。東京には、少なくなったとは云え、上野や新宿や池袋や浅草に落語の定席があります。戦後衰退してしまった上方落語状況はどうだったのか? 私は良く知りませんが、道頓堀の角座のような、落語の定席ではない劇場で落語をやって来たんだと思います。

繁昌亭と云う落語の定席がやっと出来たのに、何で笑福亭一門が口上の高座にいないんですか?
もちろん、上方の林家は笑福亭の傍流ではありますが、現在、笑福亭の亭号を名乗っている落語家は、数十人に及ぶ大勢力なんです。

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*続き。。
最長老は、米朝さんと同い年の松之助さん。仁鶴さんも、枝雀世代ですから長老の部類。となると・・・鶴光、福笑、松喬さらには鶴瓶などのうち、誰かが出て口上をやらないと・・・

それでもまあ、上方落語界は素人の私でも、何とか一門の分類が出来るのですが・・・現在の東京落語界と来た日にゃ、何が何だが訳が判らない。圓生が落語協会を離脱したあと、離脱した圓生本人と、追随して離脱した圓楽一門の動向は、当然ながら注目する必要があるのですが・・・

長老の圓生に離脱されてしまった落語協会は、東京落語の現状に付いての反省をしたんですかねぇ。どうも、圓生と云ううるさい厄介者を追い出して、有頂天になってただけだと思います。

これは私の持論ですが・・・五代目 小さんは、噺家としては高い評価を与えますが、落語協会と云う組織の長を四半世紀もやるべきではなかったと思います。小さんの存命中は、「柳家一門」と云う用語が使えたと思いますが、小さん没後は、「柳家一門」と云う用語が使えなくなっちゃったと思います。この三倍くらい書きたい事があるのですが、疲れちゃったから、またこの次(^∇^)

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*けんちゃん。。
記憶が定かではありませんが、私がこの演目を最初に聴いたのは小南さんだったと思います。
百生さんに関しては、私はまったく知らない年代なので、なかなか記事にする事が出来ません。調べてみたら、まだ「景清」一本だけしか記事にしてませんでした。そのうち、別の演目を記事にしてみたいと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/59907237.html

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*エキさん。。
相撲協会の野球賭博は、疑惑ではなくて、現実にやっていた力士や親方がいた訳ですから、協会としての処分は当然の事ですが、捜査の状況によっては、刑事処分もあり得ます。他の芸能界であれば、その人が出演しているCMや番組はすべて打ち切りとなって、一定の期間職を失うのは当然の事です。

直近に予定されている名古屋場所の興業に付いてどうするかと云う問題がありますが、相撲協会がすべて仕切っている興行ならば、中止が当然なんですが、相撲興行と云うのはいろいろ複雑で、名古屋場所の主催は中日新聞社だったと思います。ですから、名古屋場所開催の決定権は中日新聞社が持っていて、相撲協会は力士と云うタレントを派遣するだけなんだと思います。

お茶屋さんやその他、相撲興行に依存している業者がたくさんいるので、協会の一存で中止の決定が出来ないと云う事情があるほど、公共性が高いと云うか、お相撲さんだけではなく、多くの業者が相撲興行に関わっていると云う自覚を持たなくてはならないんです。

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*続き。。
NHKの放送に関して云うと、現在の日本放送協会は、民間企業です。ただし歴史的に、放送技術の発展を日本政府から委任されてきた企業であるために、現在でも国民の税金からNHK予算が計上され、更には、NHKの放送を見る・見ないに拘わらず、テレビ受像機の所有者から一定の視聴料を徴収する事が許可されています。

つまりNHKも他の民間放送局と同じ立場ではありますが、国の予算が使われ、視聴料の徴収を唯一許可されている放送局であるために、限りなく公共放送に近い訳であって、文部科学省や文化庁から再三に渡って警告を受け、野球賭博を行った力士がいて、それ関係で幕内力士が7人も出場しない名古屋場所を放送するなどと云う事は、とんでもない背任行為になります。

しかしながら、NHKは公共性と云う面から、モンゴルやハワイのような海外へも相撲放送を配信しています。だから放送を中止に出来ないと考えるか、だからこそ放送を中止にするべきか・・・は非常に難しい問題です。

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*続き。。
以前の、力士の薬物使用のスキャンダルは、海外で使用したとか、薬物の個人的な入手ルートは、麻薬捜査官でもなければつかめませんが・・・野球賭博のようなものは、相撲評論家や放送局の関係者や週刊誌の記者なら、薄々感付く筈です。

それを見逃してきたからこそ、このような大問題になってしまった訳で、直近の名古屋場所の開催は、目前に迫っていて、急遽中止にする事は出来なくても、9月の東京本場所以降は・・・賭博スキャンダルの全容および、薬物使用の全容および、八百長疑惑の全容および・・・はは^^何でこんなにたくさんの問題を抱えている団体が、今まで野放しになっていたんだろう。

何年にも渡ってスキャンダルをうやむやにしてきた相撲協会は、この際、一度解体して、新たな組織を作るべきだと思います。その間に、一年や二年の相撲興業の中止はやむを得ないでしょう。

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*櫻川さん。。
この音源の出囃子は「鍛冶屋」。了解。いつも詳しい解説、助かります(^∇^)
調べてみたら、「鍛冶屋」は、五郎兵衛さんが、勧進帳を使う前に使っていた出囃子って事ですね。

現在の上方では、桂雀々さんが、この「鍛冶屋」を使ってるようですね。

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天王寺詣り、池田の猪買い、皿屋敷などなど思い出がいっぱいの師匠です。

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*けんちゃん。。
昭和39(1964)年の東京オリンピックの年には、百生さんを初め、円歌、金馬、可楽と大物噺家がバタバタ逝っちゃいましたね。

金馬が亡くなる一週間前に、金馬の代役で高座に立った志ん生が、本当は自分が先に逝くはずだったと云うジョークを交えて、その前に亡くなった三木助と百生、可楽の死を語っている音源が残ってます。何故か円歌の事は語ってないのですが・・・志ん生後の協会の会長に、円歌ではなくて圓生を推した志ん生は、円歌と気まずくなっていた・・・って事を推測しているのですが・・・(^ω^)

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たしか圓歌が会長にならなかったのは香盤の関係があったように思いましたが。。。それから圓歌の出自の関係も。。。よく覚えていません。

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*けんちゃん。。
当代の圓歌は、志ん生のおとっつぁんの後に、ウチの師匠が協会の会長をやるはずだったけれども、新潟訛りが強いんで文楽さんになったって云ってますけど、それは根多ですよね。そんな事を云ったら、柳橋の後に、栃木訛りの今輔が芸協の会長になったのは変ですからね。

確かに香盤の関係で、序列はあるんですが、既に72歳になっていた円歌と63歳の圓生って事になると、大師匠になってる訳で、香盤は考慮外になっているのではないかと思います。圓生は、3,4歳の頃から品川の圓蔵の身内で子供義太夫をやっていたので、芸暦の算出は難しいのですが、一応、1909年の9歳の時に義太夫をやめて噺家になっているので、それが算出基準になっていると思います。

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*続き。。
1908年に志ん生は18歳で、二代目 小圓朝に正式に入門してプロの噺家になっているので、圓生より十歳年上だけれども、噺家としての芸暦上は一年先輩と云う事なんだと思います。円歌は、小圓朝一門の北海道巡業の時に、前座時代の志ん生と金馬が落語界に誘ったので、金馬より三つ年上の円歌を、芸暦が上の金馬は生涯、弟扱いしていましたね。

二代目 円歌の落語界入りの経緯に関しては、この記事↓に書いておきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/61339281.html

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繁盛亭の動画は削除される前に拝見しました。
その時コメ出来なかったんですよ…だって藪井先生…口上が
「三枝一門の上方落語協会会長の三枝、米朝一門のざこば、春團治一門の春之輔、林家一門の染丸の四人が口上を述べました。司会は、米朝一門の八方」でしょ。。。

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*しゅうさん。。
まあ、あの動画は、口上と云うよりも、「大阪締め」の手の打ち方を説明するために上げたのですが・・・(^∇^)

落語家なんだから、面白ければ、不謹慎でも、何をやってもいいとは云うものの、歌舞伎の口上にしてもそうですが、「口上」ってのは、一つの決まり事なので、それくらいは、ちゃんとやってもらわないと困るんですよね。

八方は単にオチャラケをやってただけなんで、あんなのを口上の司会に使っちゃだめですよ。さすがに三枝は、会長だけあって、米朝が書いた「楽」の字の説明もしたし、聴く者を納得させる口上をやりました。ざこばも、あの口調だから、ちょっとべらんめぇになっちゃいましたが、落語を支援してくれるように訴えたから合格です。春之輔は、口上としては失格。染丸は、もうちょっと貫禄を出さないと、存在感が薄い(^ω^)

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