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三遊亭百生


 三遊亭百生(ひゃくしょう)と云う噺家の名跡は、現在では途絶えております。百生名跡を名乗った噺家さんは三人いたらしいのですが、初代 百生と云われている人は、圓朝門下の三代目 圓生(1839~1881 初代 圓楽)に入門して初代 圓輔を名乗り、三代目の没後、四代目 圓生(1846~1904)門に移って、初代 百生を名乗ります・・・が、後に幇間に転向し松廼家喜作と名乗ったらしい。この喜作が四代目 圓生門下で百生を名乗っていた事は確からしいのですが、それが、初代 圓輔と同一人物である事には疑問があるらしい。
 
 と云う事で、良く判らない事は、書かない方がよろしい。一般的に三遊亭百生として知られているのは、東京で上方落語をやった二代目 百生(1895~1964)です。何故、東京で上方落語なのかと云うと、二代目 百生は元々、大阪生まれの上方の落語家だったんです。
 
 最初は、初代 桂文我(1849~1926)に入門し、桂我蝶(後に我朝)を名乗ります。二十歳を過ぎた頃に、兄弟子の初代 春團治の内弟子となり、桂我團治を名乗ります。百生が通称=ガーヤンと呼ばれたのは、この辺の名前からきています。その後は、一旦落語家を廃業し、満州に渡って幇間になります。その後洋服屋で成功しますが、終戦で全財産を失い、昭和20年の12月に志ん生とは違って引揚げ船に乗る事ができて大阪へ帰ってきます。
 
 その後、三代目 桂梅團治を襲名しますが、戎橋松竹に出演できず、「上方落語に将来は無い」と悲観し、心斎橋の路上で闇屋をやっていたところを、六代目 圓生(1900~1979)に発見されて東京に招かれ、昭和27(1952)年以降は、圓生の身内として落語協会の高座に立ち、明るい上方落語を披露しました。
 
 当初は、二代目 桂小南を襲名させる予定でしたが、ちょっとしたゴタゴタがあり、圓生一門の百生名跡の二代目を昭和29(1954)年の3月に襲名します。初代 春團治譲りのアクの強い芸風ながら、サービス精神旺盛な明るい上方落語は、東京の落語界には無いスタイルとして大いに受けました。
 
 枝雀は百生から多くの事を学んでおり、枝雀の「宿替え」は、百生から稽古をつけてもらって仕入れたものだそうです。三代目 春團治や二代目 露の五郎兵衛が東京に出向いた時は、百生の中井(法師さん情報^^)の自宅を必ず訪れていたそうです。
 
 出囃子は、東京の桂派のご多分に漏れず「野崎」を使っておりましたが、文楽と同じ落語協会に所属しておりましたので、文楽が出演する高座では、文楽とかち合う「野崎」に替えて、「都囃子」を出囃子に使っていたようです。

 データ・・・二代目 三遊亭百生 明治28(1895)年10月3日~昭和39(1964)年3月31日 享年68 前名=三代目 桂梅團治 出囃子=都囃子 野崎 本名=小河真之介
 
 途中で切れちゃうので、オヤ? っと思うかも知れませんが、「疝気の虫」で「別荘~」と云いながら下がるのと同じように、これで終わりなんです。

コメント

No title

この噺(これから先はちょうずまわしになるわけですが)百生で聴いた記憶はありません。またこの部分の前は同じ名前のおもよという不細工な女中が出てくるのですが、そこは何か余分なような気がします。したがって百生がそこを割愛したのはわかります。
でもこの先はなんとなく「勘定板」や「半殺し」のようになってあまり面白くはないですね。
とにかく長すぎる噺です。私も全部を通して聞いた覚えはありません。
今旅行中ですので、手許に資料がないのですが、たぶん上記の記述に間違いはないと思うのですが、もしほかの噺と混同していたら、平にご容赦。

No title

小南さんで聞いたことがあります。「崇徳院」のような出だしで始まり「勘定板」のような結末で終わるという感じですね。
百生版は、初めてですので、帰宅してから、ゆっくり聞かせていただきます。

No title

藪師匠、

また々話が本題から外れて横道にそれてしまい申し訳がないのですが、
最近見かけないのですが、高座で木を伐採する時に使う大きなのこぎりを弦で引いていた師匠は確か百生さんと記憶していますが?・・・
浅草演芸場でよく見かけました。、、、

No title

 ミュージカルソーというと、つい最近まで都家歌六師匠が高座で披露してましたね! 私が数十回見た歌六師匠の高座は全部ノコギリで、落語は一度も聴いたことがありません。

 私の年代は圓生、先代正蔵、先代圓遊、先代圓馬、先代今輔各師匠方の最晩年がギリギリで、三遊亭百生師匠には間に合っていないのですが、そんな漫芸もされていたんですか。
 
 「夢八」は故小南師匠で聴いたことがあります。

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*けんちゃん。。
「手水廻し」って演目は、上方の落語家さんはよく持ち根多にしていますが、この「貝の村」の部分の後に続く演目なんですか・・・知りませんでした。

「勘定板」は、地方から大阪に出て来た田舎者が、大阪で使っている用語を知らなくて、とんでもない事をしてしまうと云う意味で、「手水廻し」の設定に似ているし、クワイを飲み込んでしまう「百川」にも似ているところがありますね。

いや、私は間違いを指摘できるほど上方落語をほとんど知りませんので、なんとも云えません。「半殺し」と云う演目も、どのストーリーだったか確定できません。旅人が田舎の民家に泊まって、「手打ちにすべぇ」と話してるのを聴いて、本当は蕎麦の話なんだけれども、殺されるんじゃないかと思う演目でしたっけ?

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*キャバンさん。。
出だしは、「崇徳院」のような感じがしますね。

小文治と百生と小南が、東京に上方落語を伝えましたが、大阪弁丸出しの上方スタイルではなくて、東京でも判るように多少アレンジしてやりましたので、何を云ってるんだか判らないと云う落語ではなくて、東京でも判りやすい上方落語をやってくれました。

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*エキさん。。
寄席でのこぎり音楽をやった噺家は、三木助に入門して、その後、四代目 圓遊一門に移った、当代の都家歌六(みやこやうたろく)さんです。歌六さんは、実家がレコード屋だったと云う事もあるのか、落語のSP盤の収集家として有名です。

近年、SP盤がCDで復刻されてますが、それらのものには、歌六さんのコレクションが多く使われているようです。

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*櫻川さん。。
そうですね。寄席の、のこぎり音楽は歌六さんです。上方のボーイズ(漫才)にもいますけどね。私も、歌六さんの落語音源は、一つも持ってません(^ω^)

百生さんは、46年前の東京オリンピックの年に亡くなってますから、円歌、金馬、可楽、三木助(すべて先代)同様に、実際の高座に接した方は、ご高齢ですね。志ん生が高座を降りる四年前に既に亡くなってますからね。

「夢八」は、いずれ小南さんの音源でもう一回やりたいと思います。小南さんのやり方の方が、東京の方には判りやすいと思います。

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藪さんへ:若旦那とおもよさんが貝の村へ赴いて一晩泊って、朝、「手水をまわしてくれ」(手拭と歯ブラシを出してくれ)と言うのが田舎の連中が分からなくて、転失気のような話になり、それがどういうものか知ろうと思って、大阪へ出てきて勘定板のような話になります。
半殺しはおっしゃる通りのものです。
エキさん、櫻川さんへ:
百生師ののこぎりは見聞きしたことはありませんが、黒門町の紫綬褒章の祝いの会(東横落語会)で百生師が頭の上で布団を回して眼が回ってひっくり返ってしまったのを見た記憶があります。
この時高座の余興で黒門町が七面鳥のものまね(実にセコ)を披露した途端、柏木が「これが紫綬褒章をもらった人です」といって会場が爆笑に包まれました。昔のことで、年寄りの思い出です。

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すみません、百生師が布団を回す余興をやったのは、ことによったら三代目三木助追悼の第35回東横落語会(昭和36年12月27日)だったかもしれません。記憶が定かでないことを書いて申し訳ありません。

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ごめんなさい…久しぶりに最後まで聞けなかったです。

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*けんちゃん。。
「手水廻し」を改めて聴き直したのですが・・・あの噺は確かに、丹波の貝の村から、「手水」とは何かを調べに大阪へ出て来て旅館へ泊まる訳ですが、大阪へ出て来るのは、貝の村の宿屋の主人と板前の二人連れですよね。

「貝の村」と云う演目では、若旦那は大阪の大店の息子。おもよさんは、迎えに行く甚兵衛さんの出身地の貝の村の住人です。ですから、貝の村と云う村は一緒なんですが、手水廻しの登場人物との関連が不明ですね。貝の村の宿屋へ泊まって、「手水を廻してくれ」と云ったのは、大阪の若旦那である可能性はありますが、その事には一切触れられてないので、二つの演目を聴く限りでは、その関連性は不明ですね。

黒門町の「七面鳥の物真似」はコレ↓ですね(^∇^)
http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/61339281.html

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*けんちゃん。。
「おもよど~ん」と叫ぶ演目を聴いた事があるのですが、何だったかを思い出せません。演者は、圓生さんか歌丸さんだったと思います。

それと・・・「おわすどん」と云う演目があって、それと混同しているのかも知れません。

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*しゅうさん。。
えっ?
詰まんなかった? (^ω^)

まあ、あんまり面白い噺じゃないんですが、最初の部分の、小拍子をバタバタ叩く、上方落語独特のやり方の解説がありますので、この音源を出したのですが・・・もっとも、現在の上方落語では、板付きでやる人も、ほとんど小拍子を叩かなくなりましたし、東京と同じように、動作が良く見えるように、板無しでやる落語家さんの方が多いみたいですね。

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*すいません。間違えました。
「おわすどん」ではなくて、「おすわどん」でした(^ω^)

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おもよど~ん、と叫ぶのは何かあったような気がしますが、思い出せません。確か三代目三木助がやった演目だったような気がします。
おすわどんは五代目小さんが得意としていましたが、今は喜多八師が夏になるとやっています。かれはこの噺を五代目がやっていたことを知らなくて、私が東宝演芸会のプログラムを見せてあげました。

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*けんちゃん。。
「おもよどん」が出て来る演目が、もう一つありました。川崎大師の由来の「大師の杵」です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/42266925.html

でも、私の記憶にあるのは、この金馬さんの音源じゃないんですよね。

この百生さんの「貝の村」は、かなりカットしてあって、ストーリーが良く判らないですね。改めて「手水廻し」部分が入っている松鶴で聴き直しましたが、貝の村の部分は複雑な割りには詰まらないので、「手水廻し」を独立してやるようになったんでしょうね。

「手水廻し」だけをやる場合は、おもよさんの名前を出さないので、貝の村との関係は判らないですね。「手水を廻してくれ」と云うのは、病気が癒えた若旦那ですが、おもよさんは跡取りがいないので、若旦那とは夫婦になれない。仕方無しに、一日だけ婿入りするために貝の村へ行って宿屋へ泊まった翌朝の出来事ですね。

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