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五目講釈


 「五目講釈(ごもくこうしゃく)」と云う落語演目があります。談志一門は、「桑名船」とか「鮫講釈」と云う演題でやってるかも知れませんが、元々は上方落語の「西の旅」の一編である「兵庫船」の講釈部分を独立させたものだと云えます。
 
 東京では、講談好きな談志さんがやった、次から次へといろんな物語を繋げて講談で語ってしまう「二人旅/桑名船」が有名で、弟子の談春なんかは「鮫講釈」の演題でやってたと思います。
 
 私はもちろん落語が好きですが・・・詳細にジャンル分けをした場合は、落語や落語の歴史に関連した、社会事象の時代考証フェチなのではないかと、最近、分析しております(^ω^)
 
 私は、たびたび申し上げておりますように、志ん生フリークです。だからと云って、志ん生が残した音源にすべて合格点をあげるほど、甘ちゃんじゃありません。例えば、志ん生が残した「五目講釈」と云う演目は・・・評価のしようがないほど、駄目だとしか云いようがないでしょ?
 
 しかしながら、志ん生の落語音源としてはどうしようもないのですが、ほとんど知られていないこの音源の歴史的価値は、かなり大きいと私は思います。
 
 歴史は繰り返すとでも申しましょうか・・・1920年代には世界大恐慌と云うのがあって、近年のリーマン・ブラザースの破綻による世界恐慌以上の経済恐慌が90年前にはあったのです。もちろんその影響は日本にも及び、大正末期から昭和の初めに掛けては、多くの噺家が廃業や転業に追い込まれる状態になりました。
 
 がさつな芸風で自分勝手だったから、売れない噺家の筆頭とも云えた志ん生は、大正10(1921)年9月15日、31歳の時に、金原亭馬きんで真打ちになりました。翌年、清水りんと結婚。その翌年、田端に引っ越して二ヵ月後に関東大震災に遭遇。
 
 1924年1月12日に長女の美津子さんが誕生し、その年の11月1日に古今亭志ん馬に34歳の時に改名して、神田立花亭で披露しますが・・・その半年後には、不況と相まって、それでなくとも売れなかった志ん生は噺家を廃業し、講釈の三代目 小金井芦洲一門に加わり、小金井芦風を名乗りましたが、師匠の芦洲が7月に亡くなってしまったので、半年後にはまた、四代目 志ん生一門に戻り、志ん馬を名乗り、更には、古今亭馬きんを名乗り、二女の貴美子さんが誕生し、師匠の四代目 志ん生が亡くなった後に、古今亭馬生を名乗ります。
 
 はっきり云って、志ん生の改名は、無茶苦茶です。しかしながら、その改名からは、売れなかった志ん生の死にもの狂いさが伝わってきます。その後、三語楼一門に加わり爆笑落語のコツを覚え、44歳の時の昭和9(1934)年3月に、七代目 金原亭馬生を襲名して、SPレコードが吹き込めるほどになる訳ですね。
 
 志ん生が講談をやったのは半年間なので、決して上手くない。この音源は、65歳前後の絶頂期の志ん生だと思いますが・・・客がいるのに、志ん生のこの出来。私には納得が行かないんです。だって、詰まんないでしょ? 本来の志ん生ならもっと面白くやるはずです。おそらくこれは、小金井芦洲に教わったスタイルを、ワザとそのままやったのではないかと思います。この詰まんない志ん生音源を聴くに付け・・・志ん生の頑固さを感じます(^ω^)
http://z2tw.up.seesaa.net/i/E58FA4E4BB8AE4BAADE5BF97E38293E7949F20E4BA94E79BAEE8AC9BE98788.wma 10:31 / 古今亭志ん生
 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 本名=美濃部孝蔵 紫綬褒章 勳四等瑞宝章

コメント

No title

志ん生の五目講釈は実際に鈴本で聴いています。多分初めて志ん生に接した時だと思います。
確かその時は時代の花形だった南極観測船がサゲでした。

No title

五目講釈って珍しい噺ですよね。
私は現役の柳家三三さんが、
寄席で演じるのを聴いた事があります。

若旦那が講釈をする場面で、演目ごとに強弱を変えて
分かりやすく演じていました。
薮井先生のおしゃる通り、
志ん生師匠は教わった通りに演じたのかもしれませんね。

音源としては大変貴重だと思います。
サバーの停止により大変なご苦労されているのに、
貴重な音源を聴かせて戴いて、有難うございうます。
これから寒さも厳しくなって来ますが、
ご無理をせずにお体を大事になさって下さい。(^o^)

No title

聞かせていただきました。

とっても若い方か歴史に興味の無い方がお聞きになったら
何で変で周りが笑っているのか分からないでしょうね。
きっと私の娘もキョトンとしていそうな気がします(汗)

珍しい噺をありがとうございました。

No title

*けんちゃん。。
私は子供の頃の正月に、南極越冬隊のかるたをやった記憶がありますが、日本の第一次南極観測は、昭和31~32年に掛けての南極の夏(北半球では冬)でしたね。
金馬さんも雑俳に人工衛星根多を入れたりしましたが、南極観測は、当時の大イベントの時事根多だった訳ですね。昭和30年代の初期は、志ん生は60代後半で、絶頂期でしたね。

No title

*菖蒲園さん。。
講釈根多と云うのは、憶えなければならない名前がたくさん出て来るので、落語と比べると、何度も稽古をして名前を暗記する必要があるので、好きで自分のものにしない限りできないジャンルですね。

志ん生や金馬は講釈師だった経験があるから、特に稽古をしなくても名前がスラスラ出てきますが、そうじゃないと、談志のように歴史が好きで勉強していないと、落語だから出鱈目でも良いとは云え、出て来る人物の事を正確に知っていないと、出鱈目の面白さを出す事ができませんね。

駄目だと書いたのは、私の言葉の綾で・・・志ん生がやったって詰まんないんだから、並みの噺家がやったら押して知るべしって事なんです(^ω^)

志ん生は早口で喋り捲るのが苦手だから、こう云う根多は合わないんです。しかし、黄金餅の道中付けの部分は、志ん生の語りは誰よりも遅いけど、どの噺家の語りよりも味があるんですねぇ。それが志ん生の落語なんだなぁ(^∇^)

No title

*続き。。
サーバ廃止の件。改めて見直してみますと、5年半の間に、実にとんでもない事をやってきたと云う思いでいっぱいです。

ネット上に、図書館一軒分くらいの音源資料を構築しちゃったんですからね(^ω^)
少なくとも、落語に関しては、こんな事をやった人間は、すべてのニコ動を含めても、ウチ以上のものはありません。まさにギネスものなんですが、だからと云って、ギネスブックへ申請するなんて事は、その性質上やってはならない事です。ネットとは、匿名性を重視したパブリック・ドメインであるべきで、私個人のものではなく、みんなのものなんです。

やる気が起きないと何もしないと云う、超怠け者ですから、作業は遅々として進んでませんが、好きでやってる事なので、無理はしてません。やろうとする意志が継続する限りやりますが、パワーが落ちてしまったので、今までの倍以上の時間が掛かります。人間には寿命があり、すべての再構築は無理と思われますので、新規を含め選択的に、重要と思われるもののみを再構築するつもりです。

No title

*しゅうさん。。
この音源は、ソ連のガガーリンが搭乗した人工衛星が話題になった頃か、その前のライカ犬の頃でしょうから、昭和30年代の前半の収録ですね。

今の人は、人工衛星と云ってもピンと来ませんが、当時は科学技術の最先端だった訳ですね。昭和30年代の日本人は、テレビによって一億総白痴化してませんから、こう云う落語を聴いて笑えたんですね。今の寄席でやったら・・・シーンとしちゃうでしょうね(^ω^)

若い頃の談志は、盛んに講談をやりましたが、晩年はやめちゃったと思います。やっても客が判らないからなんですが・・・それでも敢えてやるのが談志流だと思うんですがね。じゃないと、30年後に談志と云う噺家を語る時に、切り口がなかなか見付からない(^ω^)

No title

最近では立川談春が「鮫講釈」で結構良いテンポでやってますね。

No title

*キャバンさん。。
講釈根多と云うのは、噺家の活舌をよくするためには、最適な演目ですね。それと、記憶中枢を刺激して、名前をたくさん覚えるという面でも・・・

何故最近の落語が駄目になっちゃったのかと云うと、師匠が弟子に小言を云わなくなっちゃったんでしょうね。落語が上手くならなけりゃ飯が食えなかった時代と比べて、今は、落語なんか出来なくたって、テレビに出た方が飯が食える時代ですからね。

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