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禁演落語


 「禁演落語」と云うのは、戦時下で、不謹慎な内容の落語は演じないようにしようと云う事で、廓噺や間男の噺などを、当時の落語団体が、昭和16(1941)年10月30日に、自主的に禁演にした53演目です(下段に表示)。ウィキペディアには、国家権力に依って禁じられたって書いてありますが・・・違うんです。
 
 禁演落語は、噺家の自主規制ですが・・・落語への圧力は、むしろこれではなくて、戦後の進駐軍(GHQ)による弾圧に依って、忠臣蔵や敵討ちの噺などの27演目が禁じられた事なんです。これは、「自粛禁演落語」と云われてますが、進駐軍の強制的な指示により、落語協会と芸協が受け入れざるを得ない形で自粛したものです。昭和22(1947)年5月30日から、昭和28(1953)年に進駐軍(GHQ)の占領が終わるまで続きました。つまり、日本国憲法の作成と同じスタイルで、日本人が作ったと云うのは表向きのタテマエで、GHQによる強制だったのです。
 
 庶民は大名行列なんか怖いとも思ってませんから、GHQがいなくなれば、すぐに禁じられた落語を復活させましたが、日本国憲法は今だにそのまんまの状態です。日本国憲法の草案を作った米国人は、日本では今だに、あんな占領憲法を使ってるのかと驚いてます。つまり護憲派と云うのは、今だにGHQに尻尾を振ってる連中と云う事になります。
 
 で、皆様にお願いがあります。噺家が自主的に禁演にした53演目は判っているのですが、GHQに強制的に禁演にさせられた27演目が、一部しか判ってません。推測するのは可能ですが、それでは正確なデータとはならないので、以下に示す「自粛禁演落語」の15演目に欠落している12演目をご存知の方がいらっしゃいましたら、コメント下されば幸いです。
 
 GHQによって強制された「自粛禁演落語」27演目中で判っている15演目。五十音順。
お七、景清、巌流島、肝つぶし、袈裟御前、後生鰻、宗論、将棋の殿様、城木屋、高尾、寝床、花見の仇討、桃太郎、宿屋の仇討、四段目
 
 なお、これらは一般的な演題で、同内容の演題違いは、一つの演目とされています。ですから、「桜の宮」や「宿屋仇」や「淀五郎」は、15演目に含まれます。
 
 噺家が自主的に禁演にした「禁演落語」全53演目。五十音順。 
明烏、粟餅、磯の鮑、居残り左平次、氏子中、お茶汲み、お見立て、おはらい、親子茶屋
 
紙入れ、蛙茶番、葛籠の間男、首っ丈、郭大学、後生鰻、五人廻し、駒長、子別れ、権助提灯
 
三助の遊び、三人片輪、三人息子、三枚起請、品川心中、城木屋、疝気の虫
 
高尾、辰巳の辻占、付き馬、突き落とし、搗屋無間、つるつる、とんちき
 
二階ぞめき、錦の袈裟、にせ金
 
白銅の女郎買い、引っ越しの夢、一つ穴、ひねりや、不動坊、文違い、坊主の遊び、包丁、星野屋
 
万歳の遊び、木乃伊取り、宮戸川、目薬
 
山崎屋、よかちょろ
 
悋気の独楽、六尺棒
http://o3wg.up.seesaa.net/i/E58FA4E4BB8AE4BAADE5BF97E38293E7949F20E5BE8CE7949FE9B0BB.mp3 15:00 後生鰻 / 古今亭志ん生
 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 本名=美濃部孝蔵 紫綬褒章 勳四等瑞宝章
 
 自主的にも、強制的にも禁演になっているのが、この後生鰻と云う、面白い演目。

コメント

No title

GHQには、日本の「良き」伝統は判らなかったのでしょうね。落語家のほうも反骨精神がなかったのでしょうか?
禁演落語については、これから出かけて帰ったあとに調べて見ます。

No title

戦争中の「禁演落語」の事は知っていましたが、戦後の事は、
映画や芝居だけの事だと思っていました。
落語にも及んでいたとは初めて知りました。
私も及ばずながら調べてみます。

子供の頃NHKで圓遊師の「後生鰻」を初めて見て、
最後のオチで思わず唸って仕舞いました(^^)
最近は勝手にサゲを変えて噺をめちゃくちゃにしている
若手噺家が多くいますが、全く憤慨ものです。

No title

小島貞二編著『禁演落語』(ちくま文庫)によれば、GHQの指令によって20演目が「禁演落語」に指定されたと書かれています。
このうち、ここで紹介されていない演目は、「写真の仇討」「山岡角兵衛」「ちきり伊勢屋」「毛氈芝居」「くしゃみ講釈」の5席。
「写真の仇討」は題名に「仇討」と付いているから、「山岡角兵衛」は「個人奉仕を女性に強要した」、「ちきり伊勢屋」は白井左近の占いが「邪教」と見なされた、「毛氈芝居」は噺の中で「石橋山の合戦」が登場するから、「くしゃみ講釈」は火鉢に胡椒をくべるという悪戯が民主主義に反する、という理由でそれぞれ「禁演」とされたのではないかと、小島さんは分析しています。

尚、自分もかつてこんな記事を載せたことがありますので、未読でしたらどうぞ御一読下さいませ。
http://blogs.yahoo,co.jp/mannennetaro2005/58430243.html

No title

*キャバンさん。。
もし進駐軍に、デーブ・スペクターのような日本通がいたとしても、落語を本当に理解できているのかは疑問です。デーブにしたって、若い日本人よりも、日本の事を知ってますが、そのレベルでは、落語を理解できません。

だから、政権交代する前の、与党には何でも反対する野党と同じように、進駐軍は、「日本的なもの」の排除をしたんだと思います。もし、現代でそんな事をやったら、内政干渉、固有の文化に対する抹殺行為として、世界中から非難されるはずです。

No title

*菖蒲園さん。。
噺家が自主的に禁演にした53演目は、本法寺の「はなし塚」に納められましたが、日蓮宗の本法寺と云う寺は、動物供養の寺として有名で、他には「筆塚」などもあります。噺家がやる事と云うのは、洒落なんですよ。

私が何故、国家権力に依って禁じられたのではないと断言するのかと云うと・・・その日付けをご覧下さい。ハワイに爆弾を投下した一ヶ月以上前なんです。当時の情勢は、日本軍は大陸でのみ、アジアの侵略者の欧米列強と戦争していただけであって、西太平洋地域での泥沼の戦争には突入していないんです。

だから、噺家としては、戦争が長引くなんて思ってなくて、戦時下に於ける洒落として、「飲む・打つ・買う」の落語をやるのは、止めようじゃないかと云う、軽い気持ちで禁演にしたんだと思います。

No title

*万年さん。。
小島貞二さんは、20演目としてますか・・・
小島さんほどのご通家がお書きになっているのなら、27演目ではなくて、20演目の方が正しいと思います。

戦前の53演目は判っているのに、何故、戦後の20(27)演目が正確に判っていないのかと云うと、その理由の一つには、戦後の混乱があると思います。当時の日本には主権が無くて、進駐軍(GHQ)が日本の主権を持っていました。何故、GHQと云うのか・・・ガバメント・ヘッド・クォーター、つまり、政府本部と云う意味なんです。

万年さんが追加して下さった、5演目で20演目となり、それで全部なんだと思います。27演目と云うウィキペディアの記述は、演題違いが含まれているのではないかと思われます。忠臣蔵関連だけだって、十演目くらいあるのに、「四段目」しかないのは変ですからね。

万年さんのURLがどう云う訳かリンクしません。まったく同じURLですが↓これでやってみて下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/mannennetaro2005/58430243.html

No title

 ご無沙汰してます。

 雑誌「東京人」2006年9月号に矢野誠一氏の「封印された廿七噺」という記事が掲載されています。
 それによると、戸板康二氏から譲られた資料中、ガリ版刷りの紙片で昭和22年5月30日付け落語協会、日本芸術協会連名の「自粛禁演落語種」なるものがあったそうです(図版で出ています)。
 それによると、犬の目、そば殿、おかふい、試し斬り、さんま芝居、坊主の女郎買、清正公酒屋、九段目、おせつ下、唐茶屋、歌劇の穴、高尾、お七の十、袈裟御前、山岡角兵衛、将棋の殿様、後生鰻、膽つぶし、写真の仇討、毛氈芝居、元犬、神代、三人兄弟、縁切榎、義龍、亀太夫、日蓮記の27種のほかに、桃太郎など「一部訂正を要する話」10種、仇討屋→高田馬場なで「題名変更」4種ほかの記載があります。なんだか内容がわからない噺も幾つかあります。

 一方、雑誌「落語界」昭和49年2月創刊号の沢田一矢氏「戦後落語史」では演目は掲げてないものの「二十本を選んで本法寺のはなし塚に葬った」とはっきり記載されています。

 謎は深そうです。

No title

GHQのGはガバメントじゃなくて、ジェネラルじゃないでしょうか?

No title

落語の文献や歴史書のGHQの「検閲」を調べましたが、映画や文学は、いろいろ資料があるのですが、「落語」がないのはなんだか悔しいです。
でも、落語に検閲が入ったのに対し、相撲には入らなかったのだから、日本の国技は、「落語」だと、GHQに認めてもらったと、善意に解釈しましょう。

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*櫻川さん。。
27演目と云う数字は存在し、その演題も書いてある訳ですね。
お書き下さった27演目は、現在のものとは若干演題が違っているものもありますが、対応が想像できる演題です。

その他にもあったと云う事で、「桃太郎」はその他になってる訳ですね。「仇討屋」が「高田馬場」の演題になったのは判りやすいですね。

戦後も、本法寺に葬った訳ですね。20演目を・・・。小島貞二さんは、その20演目の事をお書きになってると云う事ですね。

う~ん。まとめてみますと・・・
GHQから禁演の通達があったのは27演目で、その他に改変要求が10演目、演題変更命令が4演目あったと云う事で、27演目の禁演と、14演目の改変要求があったと云う事ですね。

実際に東京の二つの協会が、本法寺に葬ったのは、小島貞二さんがお書きになっている20演目だったと云う事ですね。ありがとうございます。これが正解なんだと思います。

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*トシ坊さん。。
すいません(^ω^)
現在の日本政府と同じように、実にいい加減な事を書いてしまいました。

GHQのGは、ガバメントじゃなくて、ジェネラルでした。ジェネラルは、ジェネラル・マッカーサーと云ったりしますが、将軍と云う意味ですね(^∇^)

日本での解釈は、連合国軍最高司令官の意味で、普通は、「総司令部」と云う意味ですね。占領下の日本にも政府はありましたが、その実権は、GHQが握っていた訳で、GHQに文句を云った日本人は、白洲次郎たった一人でした。落語で云うと、お奉行様を凹ませた、池田大助ってとこでしょうか・・・(^ω^)

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*キャバンさん。。
歌舞伎の忠臣蔵や浪曲や講談の仇討ちものは、マジでやってる訳です。でも、落語はそうじゃないですよね。ジョークなんですよ。

「後生鰻」は、残酷だからと戦前に自主的に禁演にし、赤ん坊を残忍な殺し方をするとGHQによって、強制的に禁演にさせられたんだと思います。でも、ちょっと待ってくれよと思いませんか?

本当に赤ん坊を鰻の代わりに蒲焼きにしたり、川へボチャンと逃がす訳じゃないんですよ。本当にはやらない、ブラック・ジョークじゃないですか。

そんな事を云うんなら、昭和20年3月の東京大空襲で、焼夷弾をばら撒いて十万人以上焼き殺したり、日本にはもはやほとんど戦闘能力が無くなった昭和20年8月に、原子爆弾を二発、実際に落とした米軍は・・・あれは、残忍な殺し方ではないとでも云うのでしょうか・・・

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そうだったんですか、全く知らなかったです。僕も及ばずながら、いろいろと調べてみます。本に載ってますかね。
確かに落語というのはそういうものもありますが、やはりお笑いですからね。そういわれると、いろいろと考えてしまいます・・・。

No title

*えび助君。。
落語ってのは、ただ単に面白い噺だって事じゃ済まされない演芸なんだと思います。江戸時代や明治時代にやっていた噺を、今だにやってるんですからね。漫才だったら考えられない事です。

だから私は、今の噺家がやっている、現代にしか通用しないやり方は、落語じゃなくて漫談だって云ってるんです。志ん生は50年以上も前に、この「後生鰻」をやってるんですよ。今の若い人には古過ぎて受けないかも知れないけれども、これなら十分に今の漫才に対抗できていると私は思います。

そしてこの音源は、今の噺家がやっている落語と称する漫談を誰も見向きもしなくなった30年後にも、語り継がれる落語なんです。何故、今の噺家は、目先の受け狙いしか考えずに、30年後にも残る落語をやらないのか・・・

No title

遅くなりましたが、一応私も調べました。^^)
昭和22年5月30日に、はなし塚に20演目を葬むったと、
小島貞二さんが書いていました。、
古今東西噺家紳士録の付属の解説書「寄席150年」に書いてあります。
演目も書いてありますが、重複になるので書きません。
小島さんによると、戦時中の時より皆大層神経を使ったそうです。
でも演劇では古典69種現代物も含めると315種になったので、
落語は良い方だと胸をなでおろしたとの事です。
簡単ですいません。

No title

*菖蒲園さん。。
お調べいただき、ありがとうございます(^∇^)

昭和16年の禁演と、昭和22年の禁演は、まったく意味が違うんだと思います。
戦前のは噺家の洒落で、戦後のは・・・お奉行さんがうるさいんで、取りあえず頭を下げたって事なんだと思います。噺家は権力になんか屈しない力強さを持ってると思います。そうじゃなかったら、本物の落語なんかできないと思います。

上方の落語家の資料はありませんが、東京の噺家の若手は、20人が赤紙で引っ張られてるんです。戦死された方には不謹慎かも知れませんが、20人全員が死なずに帰って来てます。噺家とはそう云う連中なんだと私は思います(^∇^)

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