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男坂


 坂にもいろいろなネーミングがありますが、その場所の地名と云う事ではなしに、単に傾斜がきつい坂を男坂、傾斜が緩い坂を女坂と云っているところが東京には随分あります。

その中で一番有名なのが、湯島天神の男坂と女坂ではないでしょうか。東京を東西に結ぶ幹線道路の春日通りの湯島部分は、切通し(きりどおし)と云われています。

本郷台地から天神下の低地へ至る道路なんですが、かつては男坂と同じような急坂でした。家康が秀吉に命じられて百年前に太田道灌が築いた千代田城へ入城すると共に、家康は武蔵野の荒れ果てた寒村だった江戸を、大坂堺を上回る商業都市にすべく、大土木作業を普請奉行に命じました。

徳川幕府が行った最大の土木工事は、暴れ川でいつも洪水を起こしていた神田川の流れを変えた事でしょう。八丁堀に流れていた神田川を、本郷台地を削って江戸川橋から飯田橋、水道橋を通り御茶ノ水から万世橋、浅草橋を経由して隅田川に流しました。

本郷台地を削った土砂は、千代田城の東南側の湿地帯の埋め立てに使いました。現在でも築地と云う地名が残ってますが、それは当時の湿地帯を埋め立てた名残りで、江戸湾埋め立ての最初の土木工事だったと云えます。多分当時本郷台地を削った土砂は、富士山の噴火による関東ローム層の赤土で、有害物質は含まれていなかったと思われます(^ω^)

藪さんが子供の頃は、映画「大脱走」のチャールズ・ブロンソンと同じように穴掘りが大好きで、ウチの庭を掘ってはおばあちゃんに怒られてました(^ω^)

でもそれは、現在に至るも重要な学習に繋がってるんです。小石川の地べたを50センチくらい掘ると、関東ローム層の赤土に、貝殻が混じって出てきます。って事は、かつての小石川は浅い海だったって事です。

生涯学習って事で、単にお祭りを楽しむんじゃなくて、地元がどうなっているのかを考察するのも面白いですね(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=6ewZI7TGcPM
 撮影データ・・・平成29(2017)年3月4日(土)午後三時過ぎ 湯島天神

コメント

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この前湯島天神に行った時は神社の下の駐車場に車を停めて行ったので男坂は登りませんでした。(年寄りを連れていましたので)
この辺りは本当に境なので地形が面白いですね(^^)

No title

男坂、女坂と言われて真っ先に思い浮かぶのが、「寛永三馬術」!曲垣平九郎の「誉の梅花」または「出世の愛宕山」ですね。
三代家光が、父の墓参の帰り道、愛宕神社の白梅・紅梅の枝に見惚れる。
あの梅を男坂から登り取っまいれ!!と、下知を飛ばしますが、馬で愛宕山の男坂の階段を登るのは至難の技。
三人の馬術至難が挑戦するも、階段から転落し、瀕死の重傷。四人目以降手を上げる者ナシ。
知恵伊豆が、何とか家光を宥めて帰城しようと行列を進めていると、そこに「待たれい!今、暫く」と、
曲垣平九郎が、現れて見事!男坂を馬で登り、更には下りは女坂で良いと指図する家光に、
またも、男坂から降りて来て、二色の梅花の枝を渡し、日本一と褒められるお噺!

今は亡き、宝井馬琴先生の十八番です。

No title

おはようございます。(*^-^*)
徳川幕府の時代にも河川工事が行われていたなんて・・・
ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
足の悪いお爺ちゃんと付き添うように下るお婆さん。
階段の上り下りに苦労しても湯島天神さんにお参りに行きたかったのでしょうね。o(*⌒―⌒*)oにこっ♪
こちらの屋台ではカルメ焼きを焼けるテキヤさんがいなくなってカルメ焼き屋台はありません。εミ(ο_ _)ο ドテッ…
屋台の世界でも職人技を繋いでもらいたいですね~。
今日は寒いですね。
お風邪をひかないようにお気をつけて下さいね。

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男坂の波型の手すりは滑らない工夫でしょうか天神様は優しいですね。

子供のころの夢は屋台の食べ物を一口づつ食べて全軒制覇することでした~。いまだにやってみたいと思っていま~す。!(^^)!

男の子ってどうして穴掘りが好きなんでしょうね。友人の園長さんが物置の陰の園児が大穴を掘ったっていってました~。

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*菖蒲園さん。。
湯島天神の北回廊の下には、春日通りの切通しに面して駐車場があります。その駐車場には、文京区の播磨坂の住人だった石川啄木だったかが、上野広小路の新聞社へ通うのに、節約の為に東京市電には乗らずに歩いて切通しを通ったとかなんとかって書かれたプレートがあります。藪さんどんどん記憶力が鈍っちゃって、正確な事を憶えていなくてすいません。機会があったら、今度そのプレートをちゃんと取材します(^ω^)

藪さん的には男坂は手すりがあるので登りやすいんです。女坂は踊り場が四ヵ所くらいあるのですが、手すりがないのでヨレヨレしちゃって登りにくいんです(^ω^)

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*Marsさん。。
先代五代目 馬琴さん(1903~1985)のCD十枚組みセットを持ってますが、戦前に本所に家作を持っていたウチのお婆ちゃんとは親交があったようです。あきれたぼういずの川田義男(戦後に晴久に改名)は、なんとお婆ちゃんの本所の家作に下宿していた(^∇^)

寛永三馬術ですね。男は曲垣と云うフレーズがかつてはありました。今の若い人に云っても判らないだろうけれど・・・(^ω^)

かつて講釈師は先生と云われ、勧善懲悪を説きました。噺家なんざ、下の下だったんですね(^ω^)

談志と同じく昭和11(1936)年生まれで今年81歳になる歌丸さんが引退なさるとか・・・。酸素吸入のパイプを鼻に付けて高座に上らなければならないくらいなら、引退止むなしかな。正座が出来ないくらいならなんとか前に台を置いてカバーできるんだが・・・

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*まーぶるさん。。
秀吉までの戦国時代は堅牢な城を作る事が重要でしたが、家康の時代になって戦乱が終ると、街作りが幕府の最重要課題になった訳ですね。奈良の平城京や京都の平安京なども、争いのない時代でしたから街作りに金を掛けました。

地下鉄千代田線の湯島駅や山手線の御徒町駅から来る場合は、切通しの坂の高さを登る訳なので、急な男坂か緩やかだけれども長い女坂か、春日通り側から一番楽な夫婦坂を登る事になります。階段を使うのが嫌な場合は、地下鉄丸の内線の本郷三丁目駅で降りて、「かねやす」前から正面にスカイツリーを見ながら、ぶらぶらと春日通りを歩くと云う手もあります。

藪さんが子供の頃は、街に飴細工やカルメ焼きを自転車に乗って製造販売しに来る人がいました。飴を膨らますにはコツがあるらしい(^ω^)

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*安寿先生。。
男坂の波型の手すりは珍しいですね。他では見た事がありません。もう一工夫して冬場はラバーのカバーを付けて欲しい。手すりが冷たいんですよ。湯島天神の参拝客にはハトにエサをやるバカがいないみたいで、手すりがハトのフンで汚れてないのがいい。

藪さんは祭りの前なんかをよく取材してますから屋台のセッティングなんかを見ています。何故1964年の東京オリンピックを期に東京の街から縁日の屋台が消えたかと云うと、非衛生だからです(^ω^)

ウチの乾物屋でも保健所の許可証を取って営業してましたが、食品を扱う露天商は保健所の許可証が必要だと思います。根津神社の祭りのあとに、トイレの水でいろんなモノを洗ってるのを見ましたが、そう云うものを見ると屋台で売ってるものは食べたくなくなります。

穴を掘りたくなるってのは、洞窟生活をしていた祖先のDNAが残っているからでしょうか・・・(^ω^)

No title

地面の下は、見えないので難しいですが、おもしろいですね。
都内の今に至る経緯が良くわかる良い記事だと思います。へえ~~そうなのか、と築地や小石川、神田川の文章を読んで思いました。

No title

そういえば、自分も幼少期は無性に穴掘りしたくて、あちこち掘っては怒られてました。台地の上だったので、掘っても掘っても子供の力では、ローム層でしたけど。
ローム層の上に、葉っぱなどの有機物が多いロームよりかは、こげ茶色の土があるんだなあってことは子供のころ感じてました。

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*あおばずくさん。。
いらっしゃいませ(^∇^)
ついでに云うと、豊洲と云う場所は、豊かな洲ですから武蔵野の漁師が沿岸漁業をやる干潟だったんですよね。藪さんが子供の頃には錦糸町(錦糸堀)からバスに乗ってハゼ釣りに行く東雲(しののめ)と云っていた一帯でした。

ふるさとや自分の住んでいるところの歴史を調べてみるのも面白いですね。数千年前から狩猟採集をやっていた縄文日本人が、やがて半島からやって来た農耕技術を持った弥生人に取って代わります。

文京区の本郷で弥生式土器が発見されて弥生と云う地名が残ってます。藪さんは考古学者ではないので調べてませんが、武蔵野台地と江戸湾の境目だった文京区には、数百を超える縄文弥生の遺跡があるようです(^∇^)

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*あおばずくさん2。。
藪さんが子供の頃の昭和30年代には、まだ近所に空き地が随分ありました。家の庭を掘ると怒られるので、空き地を掘っては落とし穴を作って遊ぶのが、ゲーム機がなかった時代に子供だった団塊の世代の子供の遊びでした。

道路には自動車もほとんど通らなかったので、道路でメンコやビー玉をやって遊びました。昭和30年代の前半は日本はまだまだ貧しかったので、親からおもちゃを買ってもらうなんて事はありませんでした。

だから子供たちは、あらゆるゴミを使っておもちゃにしました。新聞の折り込み広告を使って、大阪メンと云っていたメンコを折りました。ビールの王冠は、裏のコルクを剝がしてバッジにし、空き缶は真ん中に穴を開けて麻紐を通して、竹馬のような空き缶馬を作りました。それを履いて歩くと、馬が歩いているような音がする(^∇^)

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