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神楽坂まつり


 神楽坂(かぐらざか)と云う江戸時代から続く粋な地名が現在でも残っています。

江戸八百八町と云うように、かつてはこの地には多くの町名があったのだが、現在では神楽坂一丁目~六丁目と云う詰んない名称になっちゃってます。小石川や白山にしたってかつての町名が廃止になって、単なる番地になってしまった。

神楽坂付近は大正時代には花街として名を馳せました。神楽坂の裏道は現在でも狭い路地で料亭がたくさんあります。今回の取材でも狭い裏道をちょこっと歩きましたが、いつも思うのはもしここが火事になったら、消防車が入れないから大変です。

当然ながら料亭では火の管理を厳重にやっているはずですが、歩き煙草は絶対に止めていただきたいと思います。

神楽坂まつりは今年が第46回。って事は、昭和47(1972)年に第一回をやったんですかね。この数年、取材に行きたいとは思いつつサボってました。神楽坂は新宿区なので藪さんのテリトリーじゃないしね(^ω^)

基本的に現在は四日間の祭りで、最初の二日が毘沙門天善國寺を中心にした歩道の屋台のほおずき市。あとの二日が阿波踊りとなっているようです。

文京区の祭りならば体力の許す限り詳細な取材はしますが、新宿区の祭りなのでテリトリーの侵害はしたくないんです。神楽坂上には矢来町(やらいちょう)があります。そこに住んでいたのが矢来町の師匠ですね。

落語初心者の方に申し上げますが、矢来町の師匠ってのは三代目 古今亭志ん朝の事です。戦後昭和の大師匠時代の噺家には持ち根多と云うのがあって、他の噺家の演目を別の噺家が勝手にできませんでした。歌丸さんは志ん朝の了解を得て火焔太鼓を演じました(^ω^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年7月26日(水)午後六時過ぎ 神楽坂

コメント

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矢来町
現在、地下鉄神楽坂駅から徒歩3分くらいの所にあるベローチェの上・同じビルの三階に新潮社が在ります。
このビルの新潮社では、60人くらいが収容できる会議室・視聴覚室を利用して、各種講演・講座が開催されています。
そんな中、月に一回土曜日の朝10時から「矢来町早朝土曜寄席」と言う独演会が開催されています。
予約不要の会で、人気の二つ目を集めて、落語/講談/浪曲の公演が開催されます。
次回は、桂宮治さんの会で、8/12の土曜日です。木戸銭は千円!是非、興味のある方は、神楽坂へ。

落語協会の二つ目勉強会を、矢来町の師匠・志ん朝が始めた事と、志ん朝と新潮が掛かっている、二つ目の為の独演会です。

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神楽坂は若い頃に事情があり随分通いました(^^)
今は当時よりも色々な店が並んでいて若い人も多いですね。夜なぞ行くと賑やかですね。
町名で噺家の師匠を表す事が出来た最後は「平井の師匠」こと橘家圓蔵師が最後でしょうかね?
現役では高田馬場の小三治師がいますが……。

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こんにちは。(*^-^*)
お祭りだけあって凄い人出ですね。w(゜o゜*)w
これだけの人なので、よしずの向こう側のお店って
良い感じですね。〃⌒ー⌒〃
提灯が華やかですね。
この演歌歌手さんのCDを買うもいるのでしょうね。(*′艸`)
帰れなくなる程の混雑、ご取材お疲れさまでした。

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平井の師匠が最後ですね。高田の馬場!って声は極稀に掛かります。
他は、○○町っ師匠は居ませんね。60過ぎたら、文蔵師匠あたりは「要町!」とか声が掛かると嬉しいですね。

声が掛かる師匠は、それなりにゆっくり上がって威厳が欲しいですよね。
白鳥師匠とか、彦いち師匠、後は、雲助師匠もそうですが、袖から一目散に高座へ上がるタイプは声どろではない。

馬風師匠とかは、ちゃんと落語していたら、町名で呼ばれたろうにと思います。出囃子も威厳あるし!!

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志ん朝のお姉さん。美津子さんはどうしてるでしょうか。だいぶお年なはず。美津子さんの本を読むと、馬生のおかみさんとは仲良しで、志ん朝のおかみさんとは、そうでもないんですよねー。毘沙門天の近くには細木数子センセイの事務所ビルもあります。ワタシ今年大殺界なう、
なんでおとなしくしております。

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*Marsさん。。
志ん朝が一般に知られるようになったのは、25歳くらいの時に谷幹一さんとやったサンデー志ん朝と云う、クレージーキャッツのおとなの漫画みたいなバラエティ番組でした。あの頃は白黒テレビでした(^ω^)

雑誌社の新潮社は、サンデー志ん朝のスポンサーだった筈です。週刊新潮がサンデー○○と云う他社の雑誌のパロディーをやった訳ですね(^∇^)

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*菖蒲園さん。。
今の神楽坂商店街は本当に若者の街と云う感じがします。巣鴨地蔵通商店街とは大違いです(^ω^)

若者目当ての店の騒音に藪さんはイライラして落ち着かない。でも裏通りはまったく違います。若者を排斥している訳ではいないけど、ある程度の金を持ちちゃんとした服装をして行かないと入店を断られる料亭が今だにあるって事が嬉しい(^∇^)

噺家を住んでる場所で呼ぶようになったのは、八代目 文楽の黒門町だったと思います。稲荷町(正蔵)や柏木(圓生)や田端(三木助)や目白(小さん)が有名ですね。

志ん生は日暮里とは云われなかっと思います。ましてや「なめくじ長屋」とは云われなかった。なめくじ長屋も「業平」ならそこそこ粋ですけどね。今ならスカイツリー?(^ω^)

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*まーぶるさん。。
演歌歌手を甘く見てはいけません。浅草六区の大衆演劇の木馬館と同じように、根強いファンがいるんです(^∇^)

噺家とは違ってこう云うライブでのCDは確実に50枚以上売れます(^∇^)

神楽坂って事で、おされ~なワインなんかが売れるのかも知れません。結構そう云う屋台がありましたよ。大塚商人祭りなんか、酒類販売のカクヤスの屋台でワインを出したんだけど誰も飲んでなかった(^ω^)

屋台でもある程度の売り上げを得るには、マーケティング(市場調査)が必要です。でも夏の縁日ってのは、儲けを度外視して客の欲する物を出して欲しいな(^∇^)

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*Marsさん2。。
歌丸さんに「真金町(まがねちょう)」って声が掛かるのは稀でしょう。横浜の遊郭が実家の歌丸さん。そんな事情を知ってる人も少なくなりました。

今は、掛け声としては「たっぷり」が上級でしょうね。「待ってました。大統領」だなんて声を掛けるトーシローがいたら白けます(^ω^)

馬風は「野田~」って云われるんでしょうか?(^ω^) 「床屋~」ってのも面白いなぁ(^∇^)

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*盆町子さん。。
志ん生とおりんさんの四人兄弟の長女の美濃部美津子さんですね。芸能人ではないので詳細は不明ですが、関東大震災の時におりんさんは妊娠していたらしいので、長女の美津子さんは大正13(1924)年生まれだと思います。

つまり現在、93歳かな?

文京区小日向の還国寺にある美濃部家の墓には、最近は行ってませんが、少なくとも二年前には志ん生と志ん朝の追善法要の卒塔婆が美津子さんの名前で出ていました。

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野田は、一之輔師匠で有名です。父親は醤油問屋に勤めてますし、後援会長も醤油問屋!!

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*Marsさん。。
一之輔は師匠の一朝さんローカルの文京区から、実家のある野田に引越したんですね。旧町名ですが、文京区に住んでれば柳町と云う粋な呼ばれ方をしたかも知れないのにね。

そう云えば根津のアパートを拠点にしていた談志は、地名で呼ばれる事があったのかなぁ? 藪さんの過去の根津神社の祭りの取材記事を読めば判るけど、「八重垣町」だね。根津のたい焼きの隣にある、現在は三代目店主ですが戦前からあった八重垣煎餅のビルのアパートに住んでました。

根津裏門坂にある日医大病院はすぐそばなので、談志はそこで手術をして亡くなりました。同じように文京区の住人だった勘三郎も日医大病院で亡くなりました。

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談志師匠を、大泉学園!と呼ぶ洒落はやりました。

根津の師匠じゃ、立川談志らしくないですよ。志ん朝は、矢来町!と呼べるけどね。

呼ぶなら、私も大泉学園!です。練馬!は失礼、手塚先生繋がりの大泉学園!

志らくが今は大泉学園!先は石神井公園!

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*Marsさん。。
掛け声と云うのは単なる地名ではなくて、黒門町に代表される語呂の良さと江戸落語伝統の粋な名称って事にあると思います。稲荷町とか柏木とか田端ってのは、その意味でいい掛け声だと思います。これは東京の落語に限った事で、大阪の落語にはないのかも知れません。

大泉学園と云うのは語呂が悪いし粋じゃないので談志なら嫌う筈です。談志は戦前の小石川區の生まれなので、「小石川」なら喜んだはずです(^∇^)

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