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夏の神楽坂


 神楽坂と云うと、地方の方には東京の花街として知られているのではなかろうかと思います。じゃあ東京の人が神楽坂を知っているのかと云うと、じぇ~んじぇん知らないと思います。

何故東京の人が知らないのかと云うと、交通の便が地下鉄しかなく新宿区と云う都心部としては交通の便があまりよくなくて、小さな店の商店街であり、出掛けて行く用事が無いからではなかろうかと思います。更には道路が狭くて午前と午後で方向が替わる一方通行であり、トラックの宅配業者が頭を抱えてしまう場所だからです。

さりとて、藪さんが学生の頃と比べると現在の神楽坂商店街は、大きく様変わりしています。外堀通りの向こう側には法政大学の高層ビルが出来ました。まだ探索してませんが文京区のシビックセンターよりもデカいんじゃないの?(^ω^)

つまりお茶の水と同じように、数万人の学生の顧客がいる。当然ながら現在の神楽坂にはお茶の水や神保町と同じように、学生たちの腹を簡易的に満たすファストフードの店が多くなりました。

超辛口文化評論家の藪さんから云わせると、神楽坂商店街の外堀通り側の下の方は終ったね。文化の欠片もない。でも大久保通り側の上の方はまだまだ捨てたもんじゃない。昨日の動画の最初の方にあるように、八百屋のおやっさんが店先で塩振ってキョウリ揉みをやっていた。

夏の縁日のスナックはキュウリ揉みだよね。水分も塩分も摂取できて、熱中症対策には最適です。八百屋さんなんだから一本百円以下で売って欲しい。合羽橋などの縁日では割り箸に指して一本二百円で売るのが普通です。藪さんが小言を云いたくなったのは、靖國神社の売店。

屋台を禁止にしたから独占状態でやりたい放題。キュウリ一本三百円はどう考えたって高過ぎるだろう。誰も買ってなかった(^ω^)

こう云うお祭りではなくて静かな時に神楽坂の裏道の料亭の探訪をしてみたいね。とにかく道が狭くて曲がりくねっているので、iPhoneのGPSが必要になるかもしれません(^ω^)


 撮影データ・・・平成29(2017)年7月26日(水)午後六時半 神楽坂

コメント

No title

石立鉄男、三ツ矢歌子、秋野大作、水沢アキ、山口いづみが出演、脚本が松木ひろしのテレビドラマ、
「気まぐれ本格派」のロケ地でもありました。神楽坂の貸衣装店の話。

No title

こんばんは。(*^-^*)
(・0・*)ホ,(゚0゚*)ホ--ッッ!!!
神楽坂と言うと、高級な料亭が並び板前さん達がお料理の腕を振るうイメージでしたが、ファストフードが多くなったのですね。
福島ビールは飲んだ事がありませんが、https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/100.png">
飲むと無気力になりますよね。(*'艸`)
「子供達よろこび~の。外人さんき~の。若い娘さん浴衣き~の。」
。゚( ゚^∀^゚)σ゚。 ケ゛ラケ゛ラ
相変わらず藪さんの呟きは面白いです。o(*⌒―⌒*)oにこっ♪
腰を痛めてのご取材お疲れさまでした。
お大事に・・・https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/088.png">

No title

*盆町子さん。。
そのドラマは藪さんは見てませんでした。石立鉄男さんは、最初のアフロヘアーのスターだったのではなかろうか? チー坊って云ってた頃は若くてパワーがあったのですが、晩年はボロボロになって亡くなりましたね。

藪さんが思うに、神楽坂の面白さってのは神楽坂商店街の通りじゃなくて、裏通りにあると思います。戦中には神楽坂に寄席があって、初代 桂小南がその寄席でサーカスをやってました。その追っかけをやっていたのが、大東文化大学に入学して東京に下宿していた桂米朝です。

もちろん戦後、早稲田大学に入学して最初の大学落研を立ち上げた若き日の小沢昭一も、初代 小南の追っかけをやっていたようです(^∇^)

No title

> 藪井竹庵さん
神楽坂に寄席があったんですか。
小沢昭一さんは、亡くなる2年位前に、新橋の喫茶店でお見かけしたことあります。お一人で競馬新聞を研究してました。日曜の朝でした。貴重なトリビア情報教えて頂きありがとうございます。

No title

*まーぶるさん。。
神楽坂の料亭と云うのは、外堀通りから大久保通りへ繋がっている神楽坂のメインストリートにあるんじゃなくて、裏通りに現在も健在です。数ある散歩番組でも神楽坂通りは取材してるんですが、狭い裏道にほとんど看板も出さずに営業している、今だに芸者さんを呼べる料亭の取材はやってません。

なぜかと云えばお茶屋の古い慣習で一見さんお断りであり、テレビ取材なんかはNGだからです。藪さんもご常連の紹介がないとお茶屋さんの取材は出来ません。十万円用意して突撃取材するってってもあるんですが、そんな邪道をやったら余計に嫌われる世界なんです(^ω^)

今回の取材で、電信柱に寄り掛かって止まってカメラを左右に振ると云う撮影は、映像も安定するし身体も結構楽な事が判りました。歩きながらの撮影ってのは映像も乱れちゃうし、だんだん腰が痛くなってくる(^ω^)

No title

*盆町子さん。。
江戸時代には講釈場と云うのが盛んでした。現在の上野鈴本演芸場は、当初は講釈場としてスタートしました。

かつては落語の定席寄席ってのはなかった。二百年ちょっと前に初代 可楽が上野の下谷神社境内に最初の落語定席を作りました。明治期の東京には大小合わせて40以上の寄席があったようです。志ん生も女房おりんさんの実家から金を出してもらって巣鴨に寄席を作ったし、圓生も義父の五代目と一緒に品川に寄席を作りました。

戦前のかつての盛り場には、寄席や大衆演劇の芝居小屋があるのは普通でした。昭和30年代に入ってからでも、白山上には大衆演劇の芝居小屋がありました(^∇^)

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