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町会のラジオ体操


 先輩にヨイショをするのが嫌いで、客が気に入らないとすぐに噺を切り上げて寄席の高座を降りちゃった若い頃の志ん生は、当然ながら寄席の席亭に嫌われて、客の入らない場末の席くらいにしか出られなくなってしまった。だから貧乏の限りを尽くします。

志ん生がプロの噺家になったのは二十歳の頃だと云われています。尋常小学校四年生の時に素行不良で退学になってからは、神田の実家を飛び出して浅草で放蕩生活をしていたようです。

♪ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と云われたよ・・・って歌がありましたが、あれって志ん生の事を歌ってるのかと思いました(^ω^)

でも志ん生は落語が好きだったので、浅草の見世物小屋で天狗連(セミプロ)の噺家として小銭を稼いでいたようです。三遊の大頭(おおあたま。朦朧車夫の盛さん=三遊亭圓盛)と云う人と親しくなって、その人の師匠の二代目 三遊亭小圓朝に入門して三遊亭朝太と云う、後に古今亭の亭号で志ん朝が名乗った名跡を名乗ります。

圓朝門下で師匠の小圓朝と同門だった四代目 橘家圓喬に心酔した志ん生は、圓喬スタイルの落語をやろうとしたのだが、技術が伴わなくてまったく受けなかった。同世代の噺家はドンドン出世して行くのに、志ん生だけは寄席から呼んでもらえなくて仕事がなくて相変らず貧乏。

アルバイト禁止の噺家の世界だけれども納豆売りまでやらざるを得なかった。でもその情無い経験は、ちゃんと唐茄子屋政談の唐茄子の売り声に生きているんです。

ちなみに一説には志ん生は18回くらい名前を替えたらしい。その理由は借金取りから逃げるためだったとも云われているし、談志なんかは名前を替えればなんとか陽の目を見られるんじゃないかと云う、志ん生の死に物狂いの思いがあったと分析しています。

久しぶりに志ん生の記事を書くとどうしても長くなって申し訳ない。本当はこの十倍くらい書きたいのだけれども、長い記事を読んでいただくのは申し訳ないので今日はこの辺にしておきます。

昨日のNHKテレビで、一之輔と三人の若手と、落研だったと云う女子アナが落語に付いて語ってましたが・・・まったく話にならん。あいつら落語のなんたるかに付いて判ってない。だから現代では落語とは云えないものが落語として紹介されているんだと思います。

本当は志ん生の転居暦に付いて書きたかったのだが、そんな事にまで言及できる人はヤフーブログには少ないので、面倒臭いから書くのはカットします(^ω^)

 撮影データ・・・平成29年7月31日(月)朝六時半 藪さんローカル

コメント

No title

おはようございます♪
志ん生の記事もっと書いて欲しいです( ・∀・)ノ☆

No title

おはようございます。(*^-^*)
尋常小学校四年生で実家を飛び出して
放蕩生活。w(゜o゜*)w
現代の子はいつまでも親のすねをかじって
ニート。“o( ̄‐ ̄*) プルプル
貧乏生活をしながら大好きな落語から放れないって
素晴らしい人生ですね。o(*’▽’*)/☆゜’

No title

路上ラジオ体操。ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
こちらでは見かけない光景です。
子供達のラジオ体操も夏休み期間中、
5日間だけらしいです。( ̄▽ ̄;)

No title

若い頃の志ん生師はかっちりとした噺だったと言われていますが、落とし噺ではなく、人情噺では淡々とした描写にその面影を感じる事ができます。勿論、三語楼流の爆笑落語も素晴らしいのですが、個人的にはあの部分に惹かれます(^^)

No title

たっぷり!!
小石川の師匠!(薮さん)

ページが破れて読めない、なんて仰
らずぜひ後篇もお願いします!

志ん生の生家は大身のお旗本なのに
ご実家は全く助けなかったんでしょうか?キュウリ切っての勘当だったんてしょうか?

No title

*ポイさん。。
いつもナイスをありがとうございます。コメントがないのでどう云う事に興味をお持ちなのかが判りませんでした。44年も前に亡くなった志ん生がお好きなんですね(^∇^)

藪さんは生意気にもかつては日本一の志ん生フリークだと豪語していました。志ん生の記事だってこのブログに二百以上書いているはずです。志ん生の美濃部家の墓がある小日向の還国寺にも何度も墓参して、その記事も書いてます。ツバメの記事同様に藪さんブログ以上に志ん生の事を詳しく書いているブログはありません(^-^)v

既に過去記事に書いてありますが、改めて志ん生の「何」に付いてお知りになりたいですか? 榎本滋民さん亡き後、藪さんは二代目 榎本滋民を名乗ると豪語した事もありました。志ん生に付いての疑問ならば誰よりも詳しくお答えいたします(^∇^)

No title

*まーぶるさん。。
志ん生本人が晩年に語ってる事なんで本当かどうかは判りませんが、志ん生の美濃部家は江戸時代には三千石の旗本だったようです。

何故美濃部家代々の墓が小日向の還国寺にあるのかを調べたら、美濃部家の領地は水道橋にあったらしい。志ん生は明治23(1890)年生まれ。明治期の日本は富国強兵で産めよ増やせよでした。志ん生は美濃部家の五男坊でした。

明治になって武士から巡査になったお父ちゃんの家にいたって、五男坊の孝蔵少年は何も得られないんです。浅草でチンピラをやっていた頃の志ん生と会ってみたい(^ω^)

笑っちゃうのは、志ん生は自分が貧乏だとは思っていなかった。家族の支えがあったんですよね。志ん生の成功はまさにアメリカンドリームであり、志ん生の記事を書くと藪さんはいつも涙が出てきちゃう(^ω^)

No title

*まーぶるさん2。。
この記事のタイトルと記事内容がまったくマッチしていない(^ω^)

藪さんローカルの町会では60年前もこの場所でラジオ体操をやってました。それを志ん生の転居歴に絡めて記事にしようと思ったのですが、残念ながら校了できなかったので中途半端なまま記事上げしちゃいました。すいません(^ω^)

No title

*菖蒲園さん。。
志ん生は本当は講談が好きだったんだと思います。晩年の映像でも噺を憶えるのが好きだったと語ってます・・・

圓喬スタイルの本格落語を20年やったんだけれどもまったく受けないので、落語じゃ飯が食えないので一年間講談に転向しました。

あまりにみすぼらしい40歳の志ん生を見かねた、兵隊落語で人気絶頂だった30歳の金語楼さんが、自分の師匠の三語楼に志ん生を紹介した時から、志ん生の落語が変わりました。三語楼一門に加わって、落語とは笑わせなくちゃいけないんだと、噺家になって20年も経ってから志ん生は学んだんです(^∇^)

No title

*盆町子さん。。
ご通家のコメントは嬉しい(^∇^)

この先本が破れてまして・・・って客を引っ張っておいてエロ話をやめるのが志ん生の常でした。弟子のさんしょう(現川柳)にはエロ話を禁じたのに、自分では随分エロ話をやったのが圓生。その点志ん生は上品で、エロ話はやらなかった。

No title

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♪ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と云われたよ・・・って歌がありましたが、あれって志ん生の事を歌ってるのかと思いました(^ω^)
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居残りでは「抜け詣り(ヌケメェリ)からぐれだして。。。」とありますが、志ん生は伊勢神宮にはいかなかった。

No title

おはようございます♪
ご丁寧なコメントありがとうございましたヽ(・∀・ )ノ。
名人の落語は今でもいろんなところで聴くことが出来ます♪
同じ落語を今の落語家が演じるのを聴いてガッカリすることしきりです(´・д・`)
なんで古い名演を聴いて勉強しないんですかね( `д´)b
コメント控えていましたがいつもツバメのヘルパーさんの話、楽しく拝読していました(*´∀`*)

No title

*けんちゃん。。
志ん生は東京大好き人間で旅行へ行ってもすぐに帰ってきちゃったんです。旅館に泊まってたくさんの皿が出されるといやになっちゃう。根っからの貧乏性と云うか贅沢が嫌いなんです。

圓生の居残りや、小さんの湯屋番に於ける白浪五人男のフレーズは抜群です。一之輔にその語りを期待してるんですが、残念ながら経験不足と云うか、客を納得させるだけの語りができてません。

No title

*ポイさん。。
フォローコメありがとうございます(^∇^)

今の噺家・・・ホントにがっかりしちゃいますよね。藪さんがチューブに上げている数百の名人動画に比べて心に響くものがないんです。何でそうなっちゃってるのかを考えると、今の落語家って簡単に飯が食えちゃうから、死に物狂いで落語の稽古なんてしてないんだよね(^ω^)

噺家は落語以外のテレビ出演禁止にしないと、名人なんて生まれてこないと思います。

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