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本郷櫻木神社


 皆さんのローカルには、果たして幾つくらいの神社があるだろうか?

藪さんローカルには、かつて藪さんが取材したお寺だけでも、小石川七福神を含めて20ヶ所以上あると思います。それに比べると神社の数は意外に少なく、文京区で藪さんが取材した事のある神社は、簸川神社、白山神社、根津神社、湯島天神、牛天神、駒込富士神社、小石川大神宮です。

日本は八百万の神の国ですから結構あるんですが、祭りの氏子中を考えたら、まだ取材していない地域の神社がたくさんあるはずです。その中で、近いのに藪さんが知らなかった、見落としていた神社が本郷櫻木神社です。
 
太田道灌が旧江戸城内に作った神社を、現在の地に移転したらしい。櫻木神社の社紋が何で梅鉢なのかと云うと、菅原道真公が御祭神だからです。それ故、櫻木天神と云う事もあるらしい。

櫻木神社の氏子町会は全部で11あり、上中下の真砂町会、本一会、本郷二三丁目町会、本郷同四会(以上それぞれ本郷の丁目会)、弓一文化会、本郷二丁目弓二会(かつては弓町と云う地名があった)、台町町会、菊坂町会、田町町会です。

本郷通りを北に行き、言問通りを過ぎると根津神社の管内。南へ行って外堀通りまで行くと神田明神の管内。東へ行って本郷通りを過ぎると湯島天神の管内。西へ行って白山通りを越えると、東京ドームを含む牛天神の管内。だから本社神輿を渡御するルートが限られる。

作家の樋口一葉(1872~1896)は、24年間の短い生涯の中で、12回も転居したらしい。志ん生も真っ青だね(^ω^)

幼少時代から晩年まで、合計で十年間くらい本郷菊坂周辺に居住したらしい。現在でも一葉が使用した井戸だとか、一葉が通った伊勢屋と云う質屋の建物が菊坂に残されている。

一葉記念館は台東区浅草の鷲神社のそばにあって、酉の市の取材に行くと11月23日の一葉忌の幟を歩道に目にします(^∇^)

一葉は24歳と6ヶ月で肺炎により死去しましたが、一葉が最後に住んだ丸山福山町(現西片一丁目)の白山通りの洋服屋さんの敷地には一葉終焉の地の碑があり、11月23日の命日の前後には文京区長や文京区教育委員会が手向けた小さな花束が飾られてます。

それよりも藪さんが考えるのは、一葉は勉強ばかりしていた訳じゃないと思います。子供の頃にはお祭りの縁日や盆踊りが楽しみだった筈です。そのお祭りってのが、本郷櫻木神社の祭りなんですよ。

う~ん。最近の藪さんの発想はコロンボ刑事に近付いているかも知れないなぁ。だって、誰も一葉の辛かった子供時代の楽しみの事なんか考えないでしょ?(^ω^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年9月23日(土)午後六時 櫻木神社

コメント

No title

さほど広くはなさそうな境内ですが、雰囲気がありますね。ビルの谷間にあるのが良い感じだと思いました。
「大祭」と言う事は本祭りなのですね(^^)

No title

おはようございます。(*^-^*)
ビルの谷間でひっそりと地域を守っている神社なんですね。
小さいけど趣があります。〃⌒ー⌒〃
お神輿さんは煌びやかなので地域住民に愛されている神社だと思います。
一葉さんが神社の境内でお祭りを楽しんだと想像すると・・・(*˘︶˘*).。.:*♡
大発見ですね。ヽ(´∀`)ノ .:。+゜。

No title

一葉の小説は素晴らしいですがそれより興味深いのが一葉日記です

私の記憶に間違いがなかったら櫻木神社は日記の中にありました~?(^_-)-☆

No title

お久しぶりです。たまに東京に行くと、どこかの神社には立ち寄ってしまいます。神社、好きなんですよねぇ。
佐渡には、200以上の神社があります。ただ人口が減っていて、維持が大変な神社もあります。祭も少人数でやっているところばかりです。でも寂しくなったと現状を嘆いていても何もなりません。自分たちのできることをしっかりやっていきたいと思ってます。

No title

*菖蒲園さん。。
櫻木神社はこの取材の時まで藪さんが知らなかった神社です。一葉が菊坂に住んでいた百年以上前には、当然ながら周囲にビルはなく、本郷三丁目のかねやすと、この櫻木神社だけが目立つ建造物だったと思います。

藪さんローカルの祭りは、9月の二週末が簸川神社。三週末が白山神社と根津神社。四週末が櫻木神社の祭りなんですねぇ。幾らなんでも祭りをやり過ぎ(^ω^) 藪さんが知らなかったと云う事は、文京区のホームページにも紹介されてないのかも知れません。

実は種明かしをしますと・・・久しぶりに大人神輿を撮影できるって事で、日曜日は朝と昼過ぎに二回も取材に行っちゃいました(^ω^)

取材に行ったら、各町会の神酒所には神輿は置いてあるのですが、担ぎ棒がセットされてないので、展示してるだけ。この本社神輿を各町会の半纏を着た人たちが交代で担いでました。金を使わない省エネ祭りになっているんだと思いました。

No title

*続き。。
神輿渡御のルートが面白かった。朝は櫻木神社前から春日通りを東へ行き、本郷三丁目の交差点を左折して本郷通りに入った。そのまま本郷通りを北上してまっつぐ行くと、東大正門から赤門を越えて、言問通りの弥生町に出る。その先は根津神社管内だから、本郷三丁目を左折してすぐに菊坂を左折した。

菊坂を降りて言問通りに至ると本郷田町。そこを左折して白山通り。白山通りを右折しちゃうと白山神社管内。まっつぐ行ってこんにゃくゑんままで行くと簸川神社管内。と云う事で、白山通りを左折して春日町の交差点を左折して春日通りから櫻木神社。

午後は、櫻木神社前から本郷三丁目。まっつぐ行くとそっちは湯島天神の氏子町会なので、右折した。そのまま本郷通りを南下してお茶の水まで行くのかと思ったら、そっちは神田明神の氏子町会だから途中で右折してまた神社まで戻ってきちゃった(^ω^)

文京区の地名をご存じない方は、グーグルなどの地図を表示してどう云うルートだったのかをご覧下さい(^ω^)

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*まーぶるさん。。
藪さんは一葉の井戸を今だに発見できていません(^ω^)

なぜかと云うと藪さんは調べないし、スマホのGPSの使い方もよく判らない。あの地区ってのは、階段公園の清和公園と同じ斜面なんです。斜面なんて電チャリで簡単に走れるじゃないかと思ったら大間違い。階段になっているところがあるんです。斜面なら走れるけど階段は電チャリでは走れない(^ω^)

一葉が通ったとされる質屋さん。今は茗荷谷にある藪さんの母上の母校の跡見大学が管理しているようですが、一葉が住んでいた120年以上前とは同じものではない筈です。客から預かった品物を燃やさないための土塀の蔵。木造の家。一葉が住んだ時代の120年以上前の菊坂は、すべて木造の一軒家だったと思います。

コンビニなんかなかった時代ですから、子供時代の一葉の遊び場は、この狭い櫻木神社だったと思われます。藪さんだって子供時代の思い出として、祭りや正月に縁日の屋台が出た簸川神社があるんです(^∇^)

No title

*安寿先生。。
菊坂に住んでいた時の一葉日記に櫻木神社が出てこなかったらおかしいと思います。

だって、子供の頃の遊び場って、ほとんどの人は神社の境内だったと思うからです(^∇^)

No title

樋口一葉は、西黒門町二十二番地に三年くらい住んだそうで、その後、この二十二番地には八代目桂文楽が住むことになります。

現在、この西黒門町二十二番地は空地でペンペン草が生え、ご近所さんが、ちょっと自転車を停めて置くのに使われているとか。

ならば、都は是非買い上げて石碑の一つでも建てたら?と小満ん師匠が提案されておりました。
一葉と文楽共同の石碑!男女同権時代に相応しいかと、小池都知事是非検討して下さい。

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*けんぱさん。。
ご無沙汰しました。その後、お子さん達はお元気ですか?(^∇^)

藪さんも神社のいろんな行事が好きです。11月23日の靖國神社の餅搗き大会なんか素晴らしいと思います。各地から奉納されたもち米を蒸かして、参加者に餅を搗かせて無料で配布するイベントです。

どう云う訳か、そう云うイベントは朝日新聞のような左翼系の新聞はまったく報道しませんね(^ω^)

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*Marsさん。。
文楽没後に、文楽が住んでいた黒門小学校の南側の場所は、建物が取り壊されて駐車場になり、その後、二階に黒門亭と云う40人程度の人が入る寄席を作った落語協会の事務所のビルが出来たと聞きます。

小満んさんは文楽が存命中に弟子入りしたので、黒門町の自宅の通い弟子だったはずですが、文楽の様々な粋な話を聞かせてくれます。文楽は通称曼荼羅と云っている手拭いは使わなかった。ハンカチを使い、そのハンカチに香水を垂らしていた(^ω^)

戦後昭和の大師匠ってのは、その逸話を話したらキリがないほど粋だったんだよね。今の噺家ってそう云う粋を持ってるのだろうか?(^∇^)

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