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不思議な神輿渡御


 まあ、普通の神輿渡御と云うのも変だが、神輿を氏子町内で巡回するスタイルと云うのはいつ頃できたのだろうか?

日本各地にはいろんなスタイルの神輿渡御があると思います。日本の戦国時代。信長や秀吉の時代に神輿渡御ってあったのか? 少なくとも藪さんは時代劇ではその時代の神輿を見た事がない。

調べてみると、奈良時代の元正天皇の時の養老4(720)年に、九州に起こった「隼人の乱」を治める為に宇佐八幡宮に祈願し、八幡神の神霊が乗る神輿を作らせたのが最初らしい。

その後、聖武天皇が東大寺に毘盧舎那仏(るしゃなぶつ=奈良の大仏)を建立して国の象徴とする時に、宇佐八幡神は、屋根に金色の鳳凰が輝く天皇の乗り物(鳳輦)に乗って奈良の都へと渡御した。この鳳輦こそが、1300年の歳月を経て今に伝わる神輿の原型と云う事。

平安時代になると、近江の日吉大社や京都の祇園社(現・八坂神社)・今宮神社・北野天満宮や、大阪の大阪天満宮などでも神輿が作られた。鳳輦をもとにして、これに魔除けの巴紋や神紋を飾り、ミニチュアの神社のように鳥居や玉垣、高欄などが付けられた。こうして、主に奈良・京都を中心にして神輿が一般化された。(ウィキペディアより抜粋)

「渡御(とぎょ)」と云うのは、天皇や皇后や将軍がお出ましになる事。神輿は神様を乗せる乗り物。

神輿の担ぎ棒の上に乗って、担ぎ手に声を掛けている人がいるのだが、そのスタイルは先人から受け継がれたのだろうか? 神輿は神様を乗せる乗り物です。自分を神様だとでも思ってるのでしょうか?

残念ながら今年の神田祭でも、旧神田市場の神輿の担ぎ棒の上に三人ものおじさんが乗っていた。それを注意する人がいないんだから、神田祭の伝統も碌なもんじゃないね。

藪さんは以前に「暴れん坊将軍」のエンディングで、徳田新之助が神輿の担ぎ棒の上に乗っているのを見て、テレ朝に電話して注意しようとした。でもよく考えたら、新さんは将軍吉宗の仮の姿なので、新さんだけは神輿の担ぎ棒の上に乗ってもいいのだ。江戸の神輿ってのは、税金を免除してくれている将軍家への庶民の感謝の神輿だからね(^∇^)

で、櫻木神社の土曜日夜の部の神輿渡御なのですが、藪さんはこう云うコスプレとコラボした神輿渡御なんて今まで見た事がなかった。お神楽の一種とも思えます。来年も取材ができたら、本郷田町の神酒所にいる長老にその由来を聞いてみようと思います。

 撮影データ・・・平成29(2017)年9月23日(土)午後六時半 清和公園

コメント

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どうも、江戸時代あたりまでですが、山王祭や神田祭では神輿よりも山車の方がメインで各町内で色々と工夫を凝らしていたそうです。(江戸博物館で見ることが出来ます)その頃はお神輿と言うと白装束に黒烏帽子の者がしずしすと担いでいたみたいですね。幕末になるとかなり変わって来たみたいです。(^^)

No title

神田祭りについて調べたのですが、面白い事が判りました。
その昔は秋に行われていたそうです。ところが、明治17年の祭りが大嵐に見舞われ、神田多町などの山車が倒れてけが人が続出。以来、神田祭は比較的天候の安定している5月に行われるようになったそうです。

また、明治7年、明治天皇が同神社に行幸するにあたって、政府から「平将門は平安時代に朝廷に敵対し、関東に独立国を建てようとした逆賊。配慮せよ」との意見が出たそうです。
しかし、逆賊とはいえ、平将門は東国の人気者。そこで神社ではやむをえず将門のご神体を末社に移し、代わりに茨城県大洗の磯崎神社から少彦名命のご神体を移しました。この措置に、神田っ子が猛反発して祭りのボイコットまでしたという話も伝わっているそうです。
将門が再び主祭神の座に戻ったのは、昭和59年のことで、神田祭では大己貴命の一の宮鳳輦、少彦名命の二の宮神輿とともに、平将門公の三の宮鳳輦が出るようになったのだとか。面白いですね(^^)

No title

おはようございます。(*^-^*)
(・0・*)ホ,(゚0゚*)ホ--ッッ!!!
奈良時代がお神輿の起源なんですね。
平安時代に今のお神輿さんの形になった。
....〆(・ω・。) メモメモ
衣装から、このお祭りは古くから大切に継承されてきたお祭りだと思います。
ヽ(´∀`)ノ .:。+゜。
担ぎ手さんも若い方が多いので伝統文化を大切にしている事がうかがえます。
こんなに珍しいお祭りですので、これからも保存してもらいたいですね。
+.゚(*´∀`)b゚+.゚☆
寒くなるまでご取材お疲れ様でした。

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*菖蒲園さん。。
江戸でも基本的には山車だったんでしょうね。でも山車はロープで引っ張るので長くなっちゃうから、その場に留まって左右の段差を付けたり回したりするパフォーマンスが出来る神輿が好まれたんだと思います。

幕末になると物価は高騰するし、まともな庶民生活が出来なくなってきたので「ええじゃないか」の自暴自棄の踊りが流行りました。神輿も将軍様への感謝ではなくなって、神様とは無関係の喧嘩をするためのパフォーマンスになってきたようです。

今の神田祭は、以前に喧嘩で死者が出た事から、現在は神田警察の生活安全課の刑事さんが午前八時前から五人くらい参集殿に集合して、祭りの役員さん達と会議をしています。藪さんはそこまで取材してるから凄いなぁ(^∇^)

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*菖蒲園さん2。。
神田明神の本殿の裏側に安置してある、一~三之宮の神輿のご説明ありがとうございます。今年の神田祭りは雨が降っちゃったので藪さんはサボって取材に行きませんでしたが、神幸祭をやりました。一~三之宮の三基の本社神輿が、雨除けのビニールを被せて、氏子町内を渡御しました。

神田明神の氏子町会の多さには驚かされます。神保町から秋葉原周辺まで百町会くらいあって、昌平橋通りの神田明神の表参道へ宮入りするのに、いつも中央通りが氏子町会の神輿で渋滞します(^ω^)

もちろん、山王神社の氏子町会も広大で、今年の神幸祭は外堀通りの市ヶ谷から東京駅まで皇居周辺を回ったのですが、藪さんは暑くてダウンしていて取材せずに、エアコン掛けて寝てました。神幸祭に参加した人たちはペットボトルで水分補給してましたが、本当にご苦労様でした(^∇^)

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*まーぶるさん。。
コンビニに入って、藪さんは何を呑もうか考えちゃいました。まずは定番のスーパードライの350。普通は500を呑むんだけど、取材の時には酔っ払いたくないので350にしてます。

それと午後六時過ぎなんで、若干寒さを感じたからワンカップ。懐かしいなぁ(^∇^)

芦ノ湖は、12月から2月まで3ヶ月が禁漁。3月1日に解禁になって釣り大会が行われるんですが、まったくの冬景色で表水温は6度です。解禁になる朝六時には気温は零度に近いので水温の方があったかいから、水面から湯気が立つ。

そんな寒さの中、十人くらいの若い衆と夜中っから釣り場に出かけている藪さんは、寒くてしょうがないからワンカップくらい飲んだっていいじゃないか。

藪さんたちが通っていた環八高井戸にあった釣具屋さんの店長と藪さんは同じ苗字だったので紛らわしいから、ワンカップの方の○○さんと云われるようになり、その後、ワンカップさんと云われ、単にカップさんと云われるようになった(^ω^)

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