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なっちゃんの楽しみ


 現在の五千円札(2004~)の肖像画は、樋口一葉(1872~1896)と云う、わずか24歳半で肺結核で亡くなった小説家です。女性の肖像画としては、明治14(1881)年以来、123年ぶり二人目の採用でした。

米国のお札の肖像画は大統領、英国は女王。日本の場合はヒゲのある政治家や文学者の肖像が多く女性はほとんどいない。ヒゲと云うキーワードは、偽造する場合に画像がより複雑になるためだと聞いた事があります。

それ故に樋口一葉はロマン主義の小説家として重要な人物だったと云えます。一葉はその短い人生の間に、本郷菊坂周辺に合計で十年間くらい居住した事があるらしい。

藪さんの子供の頃の楽しかった思い出と云うと、まず地元の簸川神社のお祭りが浮かびます。それと近所の狭い空き地で行われた盆踊り。こんにゃくゑんまの六の日縁日。藪さんローカルの文京区にはJRの駅が一つもなく、デパートも一つもない。盛り場は後楽園くらいしかない。でもその遊園地は観光客が来るところであり、地元の子供はほとんど行った事がない(^ω^)

現在でこそ菊坂は舗装された道路になってますが、一葉が住んでいた120年以上前には、夕方になれば真っ暗になってしまうような土の地面の坂だったでしょう。

少女時代の一葉は貧しかったけれども小学校を首席で卒業するほどの天才少女だったようです。藪さんも同じだったとは云わないけれども、小学生時代に藪さんのようにテストで百点ばかり取ってる奴はクラスにはいなかった(^∇^)

でも藪さんは勉強なんかまったくしなかった。落語が好きだったのでラジオで落語を聴く習慣ができていた。授業では誰よりも先生の云う事を集中して聴いていた。藪さんが小学校を首席で卒業したのはラジオで聴いていた落語のおかげです。

子供の頃の一葉が、学校の勉強ばかりやっていたとは思いたくない。120年以上前の明治中期の一葉の時代だって、夕方になると真っ暗な菊坂に菊坂町会の神酒所には祭り提灯が明るく燈り、祭囃子が流れていたのではなかろうかと思います。

当然ながら「なっちゃん(一葉の本名=奈津)」は、今年の白山神社の盆踊りに集まった子供たちと同じように、地元のお祭りを楽しんだのではなかろうかと思います。そう云う感性が無ければ、人を感動させるような文章なんか書ける訳がない(^∇^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年9月23日(土)午後七時過ぎ 菊坂

コメント

No title

確かに子供の頃から落語を聴いていると集中力はつきますね(^^)
わたしも聴いていましたが、元の素養が無いので大した成績ではありませんでした(^^)

No title

おはようございます。(*^-^*)
大人になったなっちゃんは・・・
趣のある質屋さんから
遠くに見えるお祭りの灯りを眺め、
かすかに聞こえてくる祭囃子に
子供の頃楽しんだお祭りを思い出していたのかもしれません。
藪さんの動画から
なっちゃんからいろいろな情景を想像できますね。
ヽ(´∀`)ノ .:。+゜。

No title

*菖蒲園さん。。
テレビが藪さんの家へやって来たのは昭和33年頃だったと思いますが、当時のテレビは一日中やっていた訳ではなくて、相撲とかプロレス放送以外は、ほとんどテストパターンしか出ていなかったので、茶の間の団欒時には真空管のラジオ放送でした。

当時のラジオ局ではテープレコーダーは一般的ではなかったので、ラジオでもほとんどがライブ放送でした。歌謡曲の番組はオーケストラを用意しなくてはならないので金が掛かるから、少人数でも出来る演芸番組や朗読番組が多かった。落語や浪曲は昭和30年前後のラジオ番組の花形でした。

小学校入学前の藪さんは落語に熱中しました。判らない言葉やサゲは、一緒にラジオで落語を聴いていた親父の妹のおばさんに徹底的に聴きました。

柳橋先生と金馬さんは当時のラジオ落語のスーパースターでした。柳橋先生の「大山詣り」のサゲ。「どちらもおけが無くてよかった」。入学前の藪さんはおばさんになんで面白いのかを質問しましたよ(^ω^)

No title

*まーぶるさん。。
樋口一葉の来歴を調べてみると、明治女ってのはそうだったのかも知れませんが、あまりにも悲惨なんですよね。文才がなかったら120年後にも誰にも認められずに、ただの貧乏少女で終っちゃったんだと思います。

それじゃ詰んないかなと思って、こんな記事を書いて見ました。一葉だって普通の女の子で、祭りの縁日や盆踊りを楽しんだ女の子だったと思います。

漱石や談志だってそうです。ただし彼らが根津神社の神輿を担いだかどうかは、藪さんにはまだイメージができてません(^ω^)

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