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本郷も かねやすまでは 江戸の内


 文京区を東西に結ぶ春日通りと南北に結ぶ本郷通りが交差するのが本郷三丁目の交差点。その交差点に現在でもあるのが、かねやすと云う雑貨店の茶色いビル。

「本郷も かねやすまでは 江戸の内」と云う落首が江戸時代には立ちましたが、それの本来の意味は江戸の範囲を決めたものではなく、火事が多かった江戸の街の防火に関する決まり事だったのです。

江戸城への類焼を防ぐ為に、かねやすがある本郷三丁目までは、屋根の造りを火の粉が飛んでしまう板ではなくて、燃えない瓦葺にしろと云う意味だったのです。

 撮影データ・・・平成29(2017)年9月24日(日)午後一時 本郷櫻木神社前

コメント

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こんばんは。(*^-^*)
藪さんの更新をお待ちしてました。(*´꒳`*)ふふ♡
お疲れ様でした。( ^^) _U チュウハイドウゾ
半被姿で歩いてるだけでシャキとしてカッコイ~。
+.゚(*´∀`)b゚+.゚☆
都会のお祭りは大きな道路も止めなくてはならなくて
お巡りさんも大変そうですが・・・
大勢の方がお神輿さんを担ごうと集まるのですね。
ヽ(*´∀`*)ノ.+゚~♪.+゚

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本郷は『かねやす』で、芝の方は『兼康』なんですよね。これは、数少ない実在の大岡裁きらしいのですが、
現代の咄家から、川柳「本郷も かねやすまでは 江戸の内」との薀蓄で、この雑貨・小間物の「かねやす」が、本郷と芝に二軒存在した話は聞きません。

時代を感じます

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更新されてホッとしています。(^^)
本郷櫻木神社のお祭り、中々盛大でいいですね。
無理しないで下さいね!

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火事と喧嘩は江戸の日常だった様ですが、火事は延焼防止のために長屋を壊す事が当たり前の様に行われていました
壊される方も怒りの矛先が見つからずに火消しや奉行所に向けられた様ですね

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*まーぶるさん。。
動画のストックはまだいっぱいあるのですが、どうも体調がかんばしくなくて、動画編集や記事が書けなかったんです。

都会の祭りはどうしても交通が激しいので、地元警察に神輿の渡御ルートと時間のスケジュール表を提出しなければなりません。本郷三丁目のお巡りさんは信号を操作して、本郷三丁目交差点の信号を全部赤にしちゃってます。

本来なら各町会の神酒所に置いてある神輿を出すのですが、各町会がそれを一斉にやっちゃうと交通渋滞を引き起こすので、神田祭や三社祭でも、特定の道路だけを神輿が通るように交通規制しています。

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*Marsさん。。
兼安は京都の歯磨き粉屋が家康の江戸開府と共に本郷に店を開いた歴史があります。もちろん、三河屋とか伊勢屋とか駿河屋なんてのも家康に同行した、初期の江戸商人たちです。

今の噺家って本当に落語や落語の環境が好きなんだろうかって考えちゃいます。落研の学生の方がプロよりも落語を勉強しているんじゃないかと思います。火事の話をするんならこの川柳の薀蓄をマクラで語る必要がありますよね。圓生はちゃんと屋根に使っていた四角い板が燃えて飛ぶって語ってます。

もう一つの本郷関連の落首は、「本郷へ 行けばらくだの 尾まで聞け」です。三代目 小さんが大阪で教わってきたらくだを、本郷の寄席でやったのです。らくだをやるんなら、東京のらくだのルーツがどうなっているのかくらいは勉強して欲しい。

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*菖蒲園さん。。
71歳のトランプ大統領のパワーに触発されました(^ω^)

彼はもう一期、つまり78歳まで大統領をやる気なんですよね。藪さんも頑張らなくちゃ(^ω^)

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*右近さん。。
そうですね。江戸時代の火消しと云うのは、防火用水と云うのが街のあちこちにありましたが、その程度の水を掛けただけでは火は消えません。だからもっぱら類焼防止で建物を壊したんです。

家を持っていたのは大商人で一般庶民は長屋暮らし。自分の家じゃないからむしろ火事見物が庶民の娯楽だったんです。長屋はベニアのような簡易な作りだったから、すぐに燃えちゃうし壊す事も可能で、作るのも簡単でした。

南町奉行の大岡忠相が組織させた江戸町火消しは鳶職でした。長屋を壊してもあとで家主から金を貰って自分たちが建て替えるので、どんどん長屋を壊したんです(^∇^)

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