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林家九蔵


 先代の五代目 三遊亭圓楽一門の噺家の三遊亭好楽さんが実子の弟子に、自分が八代目 林家正蔵一門だった時に名乗っていた林家九蔵と云う名跡を継がせようとしたらしい。

そしたらどう云う訳か、現在の林家こぶ蔵から苦情が出てその襲名はボツになったらしい。まったくアホらし(^ω^)

何でアホらしいのかを説明するには、戦前の四代目 柳家小さんと柳家本家を飛び出した初代 柳家三語楼の小三治名跡に関するトラブルから書かなくてはならないので、原稿用紙50枚は必要と思われ、残念ながら現在の藪さんにはそんな事を書く体力がないので、過去記事を参照してください。

ワイドショーでは小三治名跡問題を知らないキャスターがトンチンカンな事を云ってるので頭に来る。黒門町の師匠の五代目 柳亭左楽があの世でビックラこいて座りションベンしちゃうよ。

江戸時代から続いていた東京の初代 三笑亭可楽の弟子だった初代 林家正蔵の名跡は、五代目の沼津の正蔵で終ったんです。その時から林家の本家は大阪に移りました。桂文治名跡や桂三木助名跡が大阪から東京に移ってしまったのと同じです。

今の林家こぶ蔵はそもそも林家の屋号を名乗る資格はありません。引退していた沼津の正蔵に金を払って一代名跡として正蔵名跡を借り受けたのが六代目 正蔵でした。六代目は柳家の一門だったので亡くなってからは柳家本家の預かり名跡になりました。

その後、小三治名跡問題と五代目 小さんの襲名問題が起こり、柳家の長老だった左楽が正蔵名跡を一代名跡として貸し与える事で当座の問題を解決したんです。

こぶ蔵の海老名家はそれを勘違いしてるんです。七代目 正蔵が亡くなった時点で正蔵名跡は柳家本家に帰属してるんです。だからこそ左楽は四代目 小さんが亡くなった後に弟子の文楽が預かり弟子にしていた九代目 小三治を五代目 小さんにした時に文句を云った、 四代目 小さんの筆頭弟子の五代目 蝶花楼馬楽に一代名跡として正蔵名跡の八代目を与えたんです。

あ~疲れちゃった。こんな当たり前の事を今の落語界やマスコミが判ってないのがしゃくにさわるのだが、こぶ蔵を正蔵師匠だなんて云ってるようじゃ落語界も終わったね。

本当はこれの百倍くらいの記事を書きたいのだが、藪さんの体力と気力が続かない。疑問がある方はドンドン質問して下さい。落語の歴史に付いては誰よりも詳しく解説できると思っている藪さんです(^∇^)

コメント

No title

> 藪井竹庵さん
林家こぶ蔵の落語が、本当に面白ければ、金を払って寄席に行く客も居るでしょう。
話家としての修行をどれほど、こぶ蔵がしたのでしょうか?
いっそのこと、海老名こぶ蔵で良いと思います。

No title

*say*ku*ash*n*38さん。。
こぶ蔵は父親の先代 三平に入門し、子豚のようだったからこぶ平と云う高座名を貰いました。三平の死後は三平の弟子のこん平門に移ったのですが、落語はまったくやらずにテレビタレントに転身しました。

そのこぶ平が何で師匠でもない正蔵名跡を突然襲名したのかは、落語界の七不思議でした(^ω^)

法師さんが贔屓にしていた亡くなる前の喜多八さんは、噺家は上手い下手ではなく客の好みに合うかどうかだと云ってました。まことにその通りで、芸人は客に好かれなかったらどうしようもない。

こぶ蔵を批判する以上、藪さんはこぶ蔵の落語をちゃんと聴いてます。感想は・・・臭い。淀五郎と云う演目を思い浮かべます。

とは云え落語ファンも様々なので、落語初心者の中にはこぶ蔵ファンもいます。もちろん落語のご通家はこぶ蔵なんてまったく無視してますけどね。はっきり云って前座でもこぶ蔵より上手いのがたくさんいます。あんなのが鈴本でトリを取る真打ちだなんて云ってるようじゃ、落語協会も終りです。

No title

この記事を転載させていただきました。
その際に藪さんから頂いたコメント:
===
じゃあ木久蔵(現木久扇)は? もちろん稲荷町が期待した弟子ではないので、自分が死んだら無くなる林家の屋号をそのまんまにしたんです。
===
実は昨日正雀師の四段目を聴きました:
https://blogs.yahoo.co.jp/higashidake/66493375.html
時蔵、正雀、やはり林家ですねぇ。

No title

*けんちゃん。。
落語界の名跡問題ってのは難しいですね。

師匠名跡は筆頭弟子が受け継がなくてはなりません。それが出来ないのならその名跡は廃名跡にすべきなんです。メチャクチャな襲名を繰り返している落語の団体は、公益財団法人の指定を取り消すべきです。

現在の東京の林家や、橘家。照蔵の柳朝の弟子たちが名乗っている春風亭も、本来ならば名乗ってはいけない屋号・亭号です。

No title

はじめまして。
初対面(と、ネット上でもいうのでしょうか?)にして、揚げ足を取るようでまったく失礼とは承知しておりますが、一点だけ。
それも、細かい点ですが、

>先代の五代目 三遊亭圓楽一門の噺家の三遊亭好楽さんが実子の弟子に、自分が八代目 林家正蔵一門だった時に名乗っていた林家九蔵と云う名跡を継がせようとしたらしい。

九蔵を継がせようとした弟子は、三遊亭好の助さんですが、ナポレオンズのボナ植木さんの息子さんであって、好楽さんの息子さんではありません。好楽さんの息子さんで、先代の圓楽師匠に入門された王楽さんと混同されているのでは?
訂正お願いします

No title

*bun*****さん。。
すいません、間違えました。好楽さんの実子は王楽さんですよね。何で間違えちゃったんだろう? 多分一年前のマスコミ報道を適当に聞き流したからだと思います。

そもそも屋号を三遊亭から林家に変えるなんてのは無理な話なんですが、好楽さんは稲荷町の正蔵のかつてやった事と同じ事をしようとしたんだと思います。照蔵を真打ちにする時に、五代目の沼津の正蔵以来たらい回しにされた正蔵名跡は、柳家本家から一代名跡として貸してもらったものだから、いずれ柳家本家に返さなくてはならない名跡なので、芸術協会の会長だった柳橋に頭を下げて、春風亭の柳朝名跡を借りたんです。

それと同じ事を好楽さんがやるためには、稲荷町の正蔵の弟子で今も林家の屋号を名乗っている木久扇さんの了解が必要です。こぶ蔵は三平の弟子であって正蔵の弟子ではないので、林家の名跡に関してとやかく云う資格はありません。

それほど噺家の名跡に関してお詳しいのでしたら、ブログを立ち上げて記事を書いてください。他人の記事を批判するだけなら単なる荒らしですよ。

No title

*内緒さん。。
ブログと云うのは、ネット上にそれぞれの意見をオープンで公開するものです。個人が内緒でやり取りするような情報ツールではありません。

それ故内緒の質問にはお答えしません。どうしても私の意見をお望みならば、公開で質問してください。

No title

> 藪井竹庵さん

何度もすみません。上の内緒になっていたのも、その前に好の助さんの指摘をしたのも、どちらも私です。いえ、荒しになると言われまして、確かに恥をかかせてしまうような内容だったと思い直しまして、ブログには表示されないようにご連絡しました。他意はございません。
ただ、藪さんの記事を読みながら、亭号のお話をされていて、分からない部分がありましたので。改めて質問させていただくなら、落語家を志す立場から、相応しくないかどうかは抜きにして事実として、今、三遊亭圓朝を継ぐことができる人間がいるのか?あるいは方法があるのか?小朝師匠ならばどうだったのか?そんな辺りを考えていました。
妙な時間に申し訳ありません。

No title

> 藪井竹庵さん

なろうとしてなれるものではないとは重々承知しています。また当代の噺家では、大きな名前を継いでいない人の方がまだマシな噺をしているよう思いますから。それでも、私は圓朝の名跡に憧れるところがありますから。これからの為に参考として聞いてみたく思いまして。
今は、藪さんが鼻で笑うような噺家に入門を断られた、いち大学生に過ぎませんが

No title

*bunさん。。
圓朝が亡くなったのは、明治33(1900)年ですね。その年に奇しくも六代目 圓生が生まれてます。

圓朝は確か二代目 圓生の弟子だったと思いますが、圓朝が何故、自分で落語を作ったのかと云うと、圓朝が客受けするのを妬(ねた)んだ同僚が、同じ高座で圓朝の持ち根多を先にやったんです。つまり圓朝はいじめられて、やる演目がなくなっちゃったから、仕方無しに自分で新作の落語を作ったんです。

三題噺を即興で作るのも上手かったらしく、芝浜とか鰍沢とか大仏餅などの演目が150年後の現代にも残ってますね。

噺家を志しているとの事ですが、既にプロの師匠に弟子入りなさったのですか? それともまだ落研の段階なのか? セミプロの天狗連なのか?

まあそれはどうでもいいのですが、もしプロに弟子入りなさっているのなら師匠にお聞きください。噺家の世界では師匠は神と云う徒弟制度です。私は子供の頃からラジオで金馬さんや柳橋さんを聴いてきて、65年近く落語を聴いてきましたがあくまでも素人です。素人の意見より師匠の言葉を大事にしてください。

No title

*続き。。
圓朝名跡が何故引き継がれていないのかと云うと、弟子の圓右が圓朝の23回忌だったかに二代目を襲名する予定だったのですが、その前に病没してしまいました。

圓朝は外弟子を含めると五百人からの弟子を抱えた大家(たいか)です。次郎長親分同様に出費が多くて懐は火の車。噺家の洒落で、圓朝名跡をかたに藤原なにがしから金を借りました。その借金を返済できないうちに圓朝は没しました。

小朝は柳朝の弟子ですね。軽妙な語りで出世頭でした。小朝なら金を持ってるだろうと、藤原なにがしの子孫が圓朝名跡を一億円で売ろうとしたんです(^ω^)

圓生名跡の七代目争奪戦同様にまったくの茶番です。かつては噺家がご通家の客を育て、ご通家の客が噺家を育てたんです。ウチのご常連のMarsさんによると、現在では東京に六百人もの前座を含む噺家がいるようです。

No title

*続々。。
了解(^∇^)

プロの噺家に入門を断られた落研レベルの大学生さん。そうやって自己紹介してくださらないと藪さんとしても対応のしようがありません。荒らしだなんて云ってごめんなさい。落語を真剣にお考えの若者なんですね。

歌舞伎の海老蔵が来年五月に團十郎を襲名しますが、それは家の名跡であって世襲制です。噺家の場合は世襲制ではなく本来は師匠の一番弟子が襲名するものなんです。その人が襲名できないのなら、そんな名跡は廃名跡にすべきです。

何で圓朝の二代目を名乗りたいのですか? 噺家の名跡ってのは、その人が大きくするものなんですよ。小三治の弟子の亡くなった喜多八さんが云ってましたが、噺家ってのは落語が上手いか下手かじゃないんです。客に好かれるかどうかなんです。

その意味では志ん生は落語が下手だったけれども、最も客に好かれた噺家でした。Marsさん情報では圓菊さんの弟子の菊之丞さんが、六代目 志ん生を襲名するらしい(^ω^)

No title

> 藪井竹庵さん

返信ありがとうございます。
65年!あっさりおっしゃられてますが、凄い話で。
私が噺家を志したのはつい最近のことで、それも夏に桂歌丸さんが亡くなられた頃ですから、まだ半年経つか経たないか。落研などにも所属していない、完全な素人です(苦笑)。まったく予備知識がなかったとはいいませんが、寄席にもそう何度も足を運べていませんし。動画で圓生師匠や志ん朝師匠を見て、この方々の生きている時代に立ち会えなかったことを悔しく思いながら、日々を過ごしています。
私の圓朝へのこだわりはふたつありまして。
ひとつは歌丸さんが晩年に取り組んでいた圓朝ものの掘り起こしが、亡くなられてはやる方がいらっしゃらなくなるのでは?との懸念といいますか。流行り廃りがあるから仕方のないこととは思いますが、矛盾はあれど、難解であれど、圓朝ものにはならではの味わいがあると私は信じていますので。途絶えさせたくないという意味で。まあ、それなら名前は関係ないと言われてしまいそうですが

No title

> 藪井竹庵さん

続きです。
文楽師匠が芝浜をされなかったお話、読ませていただきました。確かに噺家は笑わせるもの。それはそうかもしれません。ただ、私はそれだけじゃないだろうと思うのです。
私は圓朝に感じたのは尊敬と共感でして。中国古典文学を学んでいて牡丹灯篭の原型となる話に触れた。日本文学の世界で二葉亭四迷に与えた影響を教えられた。私に志ん生師匠や圓生師匠の若き日の苦悩・葛藤のような強烈なエピソードはありませんが、それでもそれなりには人間関係のもつれ・周囲からの不理解など孤独や閉塞感に苛まれる中で、二代目圓生に苛められたという圓朝の思いに勝手ながら共感を感じてしまいまして。なれるものなら圓朝に。それが無理なら橘家小圓太、それも無理なら小圓朝にでも……と思った矢先、先日、小圓朝師匠も亡くなられてしまわれましたし。

No title

> 藪井竹庵さん

……と熱弁されてもお困りとは思いますが、圓朝の名跡なら、もう100年以上も手をつけられておりませんし、かえって圓生師匠のような反発もなかろうて。
圓朝師匠の亡くなられた六十余歳の年齢に私がなるまでには、そのお名前をいただけたらと思いながら。そもそも弟子にしてくださる師匠もいまだ見つからないのではありますが。
上方の桂米朝師匠も、志ん朝師匠も三代目らしいと聞きまして、どうせなら敬愛するお二人にならって三代目圓朝……と考えていましたが、初代圓右は結局襲名されていないようですね。そもそも圓右師匠の弟子筋もよくわかりませんでしたので、ちょっと考えを改めることにします。

藪さんのブログなど覗いていても、生きておられる方で名前が上がるのは、三三さんやら一之輔さんやら、広義に柳派と呼ぶべき皆さんばかり。私は圓生師匠をはじめとする三遊派に思い入れがありますので、百数十年ぶりの圓朝となって、三遊派を盛り上げていきたいなんて生意気に志を持っていたりします。

今度とも、様々お話をお聴きできたらと思います。よろしくお願いいたします

No title

> 藪井竹庵さん

長々と失礼しました。確かに師匠に巡り会えれば、それに越したことはないのですが、今のところあてがないもので(苦笑)。
また何か面倒な質問を投げ掛けることがあるかも分かりませんが、よろしければお答えいただきたらと

No title

*ぶんさん。。
昨年、歌丸さんが亡くなった頃から落語に興味を持たれたのですね。それで噺家になろうとした。入門

を許可する師匠は皆無だと思います。

落語が好きなのとプロの噺家になるのは、まったくの別物です。
歌丸さんは晩年に圓朝の牡丹灯篭の連

作を鼻に酸素吸入気を着けてまで、各地で最後まで一作ずつ演じました。

歌丸さんは五代目 今輔に入門しました。今輔は若かった頃に稲荷町の正蔵や、ちりとてちんの作者の小はんと共に落語改革派を立ち上げたのですが、それに追随する噺家がいなくて半年でポシャリ、その後冷や飯を食う事になります。

現代でも語られる圓朝の名声と云うのは、噺家としてよりも落語作家としてだと思います。圓朝作品は落語だけではなく、幾つもの作品が歌舞伎で演じられています。

その意味で圓朝は、単なる噺家ではなくシェイクスピアや近松門左衛門と同等の物語作家なんです。

No title

*続き。。
歌丸さんが今輔に入門して今治を名乗った時に師匠から云われた事は、歌舞伎を見なさいだったそうです。

歌舞伎は舞台装置を含めて多くの俳優さんが物語を演じます。噺家は一人でそれらすべての情景を語るんです。落語とは如何に難しい芸なのかと云う事です。

落語は単なる面白い話ではないって事はご理解いただけているようですね。落語を理解するためにはかなりの勉強が必要です。

日本史、特に江戸時代の風俗を勉強しなくてはなりません。言語や庶民生活について学んでください。歌舞伎や講談や邦楽の知識も必要です。

もちろんそれらは一朝一夕にマスターできるものではなく、それを教えてくれる先生もいません。落語は生涯学習なんです。

小圓朝が亡くなったって、四代目なのかな? 藪さんは近年の落語の事は知りません。ウチのご常連のMarsさんや菖蒲園さんのブログを覗いてみてください。

No title

> 藪井竹庵さん

御返事いただいてましたか。こう何度も聞き返したりするのも失礼とは思いますが。

何かパソコンが不調だそうで、聞いてみた途端にそうなる辺り、まったくついていないと我ながら思ったりしますが。藪さんの返答を待っている間、Marsさんや菖蒲園さん、兼坊法師さんなど、皆さんのブログ等々覗かせてもらいました。私が適当に弟子入りしようかと思っていた方についても書かれていて、変な話、断られてよかったのでは?なんて思いまでいたしましたが。三遊派にこだわりがあったもので、圓楽一門会で……などと軽く考え、寄席に出れないという状況の深刻さも心得ていませんでした。

圓生師匠も歌舞伎は見るよう六代目の圓楽さんにおっしゃられたそうですね。大学で受講したり、映像で見たりはしています。到底そんな程度ではいけないとは重々承知しておりますが。

無謀なのはご指摘の通りなのですが、誰もが誰も落研や噺家の子息という訳でもございませんし、21歳の私より高齢で入門される方もいらっしゃると聞きます。皆さんのお話を参考にしつつ、諦めずに勉強していこうと思います。
ひとまず、ここまでありがとうござ

No title

*ぶんさん。。
まったく問題ありません。藪さんの体調が悪かったりパソコンの具合が悪くない限り真面目な質問には何でもお答えしますので、遠慮なさらずに質問してください。

Marsさんは現代の落語会の決死隊。彼以上にライブで落語を聴いている素人は滅多にいません。菖蒲園さんは落語演目の解説をしてくださってます。

三遊派と仰ってますが、圓生が1979年9月に亡くなった時点で三遊本家は消滅したと思います。圓生は三遊本家を志ん朝に継がせようと思ってたらしいのですが、落語協会から脱退して一年で亡くなってしまったので、圓楽さんも二億円の借金をして頑張ったのですが、三遊本家の維持はできませんでした。

現在、三遊亭の亭号を名乗っているのは、落語協会の三代目 圓歌一門と、芸術協会の遊三一門と、フリーの五代目 圓楽一門です。でもそれらは三遊本家とは云いがたい。

今一番三遊本家に近いと思うのは、五街道雲助一門だと思います。

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