FC2ブログ

記事一覧

湯島の啄木の碑


 二晩おきに 夜の一時頃に 切通の坂を上りしも 勤めなればかな  石川啄木

なんで春日通りの湯島切通しに、岩手県出身の石川啄木(1886~1912)の碑があるのか?

明治42(1909)年頃、23歳の啄木は切通し坂上の本郷三丁目に下宿し、当時切通し坂下の上野広小路にあった東京朝日新聞に、この年の3月1日に校正係として入社しています。

つまり最初の文言は、二晩おきに残業して夜中の一時頃に切通し坂を上って歩いて下宿まで帰ったと云う事なんでしょうね。と藪さんは推測しました。当時からサービス残業ってのはあったのかも知れません。

もしかしたら、啄木が26歳で亡くなったと云うのも、過労死だったのかも知れません(^ω^)

啄木の死因は肺結核で、小石川久堅町で亡くなりました。播磨坂の横道に啄木の碑があります。

 撮影データ・・・平成30(2018)年5月26日(土)午前九時半 湯島切通し

コメント

No title

おはようございます。
石川啄木の碑の由来が分かりました。
藪さんの推測のとおり、過労死が死因だったのではないでしょうか。

No title

石川啄木に関して言えば「社会的不適合者」だったかも知れません。
詩人として注目される以前に小説や戯曲を書いたそうですが(本人は人身満々だったそうです)全く認められず故郷岩手に帰ってその時の己の気持ちを歌った詩が認められたのが皮肉です。
この歌碑の状況は二晩とも残業では無いかも知れません。かなりお遊びもやっていたようで、奥さんをかなり困らせたそうです。
(^^)

No title

おはようございます。(*^-^*)
せつないですね。(/ω\*)ウゥ…
と思いきや
菖蒲園さんのコメからお遊びもお盛んだったようで
良かったです。(*´꒳`*)ふふ♡

No title

啄木の真筆をそのまま碑にしたのでしょうね。
素朴でかわいらしい字ですね。

新聞社は当時はブラック企業だったのかも???(>_<)

No title

*キャバンさん。。
啄木は明治23(1890)年生まれの志ん生よりも四歳年上なんですよね。志ん生の生きた時代の事を知っていると時代考証ができます。

神田生まれの志ん生の子供時代の遊び場は、不忍池でした。志ん生がマクラでよく云ってたのは、切通しにはガス灯がなく真っ暗だったと云ってました。啄木も真っ暗な中、歩いて帰ったんでしょうね。

藪さんは学校を卒業してアパレルメーカーに就職しましたが、その仕事に驚きました。デパートの土日商戦に合わせる為に、縫製工場からギリギリの金曜日に商品が上ってきて、夜中まで納品準備をするんです。

月の実際の残業時間なんか軽く百時間を超えました。でも50時間くらいしか請求できませんでした(^ω^)

No title

*菖蒲園さん。。
世の中に認められるか認められないかってのは紙一重ですからね。数億円以上で取引される画家の作品にしたって、生前に評価された人は少ないです。

かつては湯島には遊郭がありましたからね。現在でも裏通りにはラブホテルがあります(^ω^)

No title

*まーぶるさん。。
明治大正期の文人の逸話をあれこれ推察するのは、落語の解釈同様に非常に面白いんです(^∇^)

善意にも悪意にもいろいろ推察しちゃうのが面白くて、藪さんはかつては落語の記事ばっかり書いてました(^ω^)

No title

*安寿先生。。
多分啄木の真筆でしょうね。じゃなかったら「な」をこんな風な子供の字みたいには書きませんね(^ω^)

またまた藪さんの推測ですが、当時の東京朝日新聞には夏目漱石が小説を連載していました。その小説の原稿を校正するのに啄木は残業を強いられていたのではないかと考えると、楽しくなりますね(^∇^)

No title

確かに疲れがたまって肺結核を引き起こしたとも考えられますね

No title

> 藪井竹庵さん☆
啄木の時代では普通に変体仮名を使っていましたのでこの「な」は「奈」の変体仮名です。啄木の名誉のために子供の字じゃなかったと云っておきます。
(*^^)v

No title

*右近さん。。
明治大正期の文人の死因って、肺結核で若死にするってのが多いですね。樋口一葉も肺結核だったと思います。漱石は胃潰瘍ですけどね。

この動画の後ろで木遣りが聞こえますが、神幸祭のパレードが切通しを降りてきているところです。

No title

*安寿先生。。
アチャ~(^ω^)

云われてみれば確かに「奈」を崩した字ですね。失礼いたしました(^ω^)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

藪さん

Author:藪さん

月別アーカイブ