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ふるさと探訪


 日本全国夏休みらしく、例年のように高速道路などが大混雑しているようです。どうして日本人は分散して休みを取ると云う事をしないのでしょうか。みんながいっせいに休むからどこへ行っても混むんです。

藪さんはお盆休みが好きです。なぜかと云うと、皆さんふるさとに帰省するので、藪さんのふるさとがガラガラになるからです。藪さんには帰省する場所はありませんからね。できれば帰省した人たちは二度と東京に戻ってきて欲しくありません。

文京区の関口に芭蕉庵があります。全国各地に芭蕉に関した施設がありますが、それらのほとんどは俳諧師としての、中年以降の芭蕉関連の施設です。

しかし関口芭蕉庵の特殊性は、芭蕉が俳諧師になる前に、河川工事の現場監督として三年間居住した場所と云う事なんです。

江戸時代初期の神田川は、今年の豪雨で氾濫した西日本の川同様に、いつも氾濫していた暴れ川でした。当然ながら江戸幕府は、神田川の治水事業を幕府の行政の最優先事業にせざるを得ませんでした。

その治水事業を33歳から36歳までの三年間、この地に住んで現場監督をやったのが、俳諧師になる前の松尾芭蕉だったんです。

 撮影データ・・・平成26(2014)年9月2日(火)午前7時 文京区関口

コメント

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おはようございます〜動画をみますともと田中光顕邸宅とありましたが、わが町蒲原にも田中光顕公の別邸があります今は日本軽金属が所有しています。

No title

本郷にある水道記念館には行ったことがあるのですが、ここはまだ行ったことがありません。
年に数度ですが直ぐ傍は通ってるのですが……
(^^)

No title

私の会社は、七月最終週から夏休みで、既に夏休みを消化して、今週は休みなく働いております。

No title

東京駅の駅長さんが住んでいたところとか?
一度行ってみたいところですが・・・

帰りにには江戸川橋の橋本っていううなぎ屋に行きたいな~。(*^▽^*)

No title

おはようございます。(*^-^*)
まさに「胸突き坂」
急な坂道ですね。w(゜o゜*)w
大雨が降ると勢い良く下の町に水が流れそうです。https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/136.png">
お江戸は坂が多いので
神田川の治水事業を最優先した訳が分かります。
芭蕉が現場監督だったとは意外です。
....〆(・ω・。) メモメモ

No title

芭蕉が、治水工事の現場監督とは驚きですね。

江戸は、水路によって発達したものの、治水も大変だったんですね。

No title

芭蕉が現場監督ですか
驚きです^^
Nice!
勉強になりました

No title

*さくらさん。。
田中光顕(たなかみつあき 1843~1939 享年95)さんの事は、さくらさんに言及されるまで知りませんでした(^ω^)

調べたら土佐藩士で明治の元勲で、文京区の護国寺に墓地があるんですね。涼しくなったら豊島岡墓地を探索してみるかな(^∇^)

No title

*菖蒲園さん。。
本郷の裏通りにある東京都水道歴史館は、実は藪さんは去年まで知りませんでした。

こんなところに本郷給水所があるんだと知ったのは、去年の桜木神社の本社神輿の渡御を追っ掛けていた時でした。結構広い道だけどあんな道初めて通った。まだまだ藪さんは文京区の事を知らないな(^ω^)

関口芭蕉庵は神田川沿いにあるのですが、新目白通りのどっから入るのかが判らないので、スマホのGPS機能を使わないと、かなり迷います(^ω^)

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*Marsさん。。
ご苦労様です。政府は地方創世だなんて云ってますが、そのために何かやってるんですかねぇ。何で東京に人が集まっちゃうのかと云うと、地方には仕事が無いからなんです。

最低賃金だって東京が一番高い。石破さんが地方創世を云うんだったら、東京の最低賃金を全国の平均値以下にすべきです。石破さんは安倍さんに討論を挑んでるけど、具体的な政策が何もないのに党首と討論だなんて、ちょっと考え方が甘いな。

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*安寿先生。。
芭蕉がこの場所に三年間住んだのは、もう三百年以上前の事なんですよね。

ハッキリ云ってこの場所は、隣に胸突き坂があるように小日向台の斜面なんです。だからいつ崖崩れがあってもおかしくない場所で、この並びに民家はありません。

かつてはいろんな人が住んだらしいのですが、神田川にガードレールが無かった戦前には、神田川に自動車が転落した事もあったらしい。

うなぎの相場が最近藪さんには良く判らなくなってます。何千円出せば美味いうな重が食えるのかが判らない。大して美味くもないのに四千円以上払いたくないしね。

その点、とんかつとかてんぷらなら四千円出せば確実に美味いものが食えます(^∇^)

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*まーぶるさん。。
伊賀上野9に生まれた芭蕉は幼い頃から伊賀忍術の修行をしていたので身体が丈夫であった。だからこそ40歳を過ぎでから江戸をたち、幕府の隠密として俳諧師を隠れ蓑にして諸国の情勢を探っていた(^ω^)

まあ諸説ありますけど、そう云う展開の方が面白い。NHKが大河ドラマで取り上げて欲しい人物の一人です。

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*キャバンさん。。
芭蕉は江戸前期の一流の俳諧師の一人なんですが、謎の多い人物です。

水戸のご老公が越後の縮緬問屋の隠居と偽って諸国を漫遊したなんてのは完全にフィクションですが、芭蕉が40歳を超えて江戸の深川を旅立って、東北地方の旅に出てそれが奥の細道になったってのは信じがたい(^ω^)

伊能忠敬が日本全国を測量して日本地図を作ったのは幕末です。それより二百年も前に芭蕉が東北地方を旅してのんきに俳句を作っていたなんてにわかには信じがたい。

正確な地図が無かった時代ですから、未開の地への旅です。街道筋の関所を通過するには手形が必要です。俳句の旅なんて理由じゃ旅行手形は発行されません。それでも関所を通過できたと云うのは、芭蕉が幕府発行の特別な手形を持っていたに違いない。

それは芭蕉隠密説の根拠の一つです。

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*右近さん。。
面白いですよね。いろんな場所の探訪をするのも結構なんですが、ブログと云うメディアの本質と云うのは、地元の情報発信だと思います。それって、地元の人間にしかできない事ですからね。

藪さんが徳島へ行って現地の阿波踊りのレポートをしても、その記事はほとんど無価値だと思います。例え小規模であっても、地元の祭のレポートをする事こそ、ブログの記事として相応しいと藪さんは思っています。

No title

横レス失礼します
江戸時代の俳句についてですが、芭蕉の功績か、当時は日本中が俳句ブームでして、芭蕉の死後から100年ほど経った文化文政時代はかなり僻地の農村でも庶民が俳句をやっていたそうです。
小作農などは米こそ食べられませんでしたが、雑穀や蕎麦などで腹を満たしていたこことが判っています。
そこで余暇に俳句をやっていたそうです。
だから有名な俳句師が近くの村にやって来ると村の有力者が村に招き、俳句の指導を頼んだそうです。勿論、その節はは歓待したのは言うまでもありません。
芭蕉も自分の弟子の所に寄っていますね。そこではやはり俳句の会を開いて指導も行ったのでしょうね。勿論、弟子たちは地方の有力者であった事は言うまでもありません。(^^)

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*菖蒲園さん。。
江戸時代は電話も無ければ電報も無い時代でしたから、現代のような情報社会ではありませんでした。最速の情報伝達手段は飛脚が走って届けた手紙か、早馬を飛ばして命からがら情報を伝えるしかありませんでした。

しかしそれは特別な場合で、一般の人に情報が伝わるのは風の便りであって、その情報が伝わるのは数年以上掛かったと思われ、芭蕉や甚五郎さんの名声が一般人に伝わるのは、一部の関係者を除いたらその死後だったと思われます。

芭蕉の幕府隠密説が完全には否定できない理由は、豪商でもなかった芭蕉が何で長旅をする資金を捻出できたかと云う事です。俳句を作っても金になる訳じゃないですからね。

金がなくても長旅ができた理由は、地方に芭蕉の崇拝者がいたと云う事ですね。

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