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追悼 松之助さん


 「後家はいいなぁ。後家はまた一段と上がるよ。俺の嬶ぁも早く後家にしてぇ」・・・って、志ん生の有名なくすぐりがありますが、後家さんと云う未亡人を表す言葉は、現代でも使われております。
 
 「後家殺し」と云う言葉があります。これは、艶情家の名を馳せた初代 桂春團治(1878~1934)の異名です。つまり、色事師と云う意味であり、学校で教えるような言葉ではなく、人を揶揄(やゆ=からかう)する言葉です。しかしながら男と云うものは、実に不思議な生き物で、「後家殺し!」と云われて怒る人はいません。逆に一杯おごってくれるかも知れません(^ω^) 
 
 つまり、虻(あぶ)みたいな顔をして、間夫(まぶ=情夫)だと思ってる・・・ってくすぐりがありますが、「女に持てる」と云われて怒る男なんかいないんです。実にどうも怪しからんもんで・・・(^ω^) 
 
 東京の義太夫では、「日本一!」とか「待ってました!」とか「たっぷり!」と云った、落語と同じような掛け声が掛かるかどうかは知りませんが、大阪の浄瑠璃に限っては太夫に対して、「後家殺し!」と云う掛け声が最上位の褒め言葉のようです。

 データ・・・二代目 笑福亭松之助 大正14(1925)年8月6日~平成31(2019)年2月22日 享年94 本名=明石徳三
 
 この演目は、松之助さんも面白くない話と云ってるように、なんかごちゃごちゃしてて、良く判らない話です。それなのに何で落語になってるのかと云うと・・・サゲを云いたい一点だけなんでしょうね。東京では圓生さんがやってましたが、戦前に大阪で二代目 桂三木助から教わったようです。義太夫の口調で語る部分と普通に歌う部分。歌ってばかりでは良く判らないので、歌わずに歌詞を語る部分を使い分けるのが難しいそうです。

 笑福亭松之助さんが昨日、実家のある神戸の病院で亡くなったようです。享年94歳でした。米朝さん、笑三さんに続き松之助さんまで亡くなってしまったので、三平さんと同じ1925年生まれの噺家さんは、米丸さんだけになりました。

 大阪の落語家さんなので、東京の人にはあんまり馴染みがないのですが、テレビドラマや映画でいい演技を見せていました。明石家さんまが落語家として入門した師匠として有名です。

 笑福亭の亭号なのになんで、さんまが明石家なのかと云うと、さんまは若い頃にはほとんど落語をやらずに、三枝や文珍なんかと、ヤング・オー・オーなどのバラエティ番組に出ていたので、由緒ある大阪の笑福亭ではなく、自分の本名の明石を使って、明石家さんまとしたんです。

 松之助さんは上手い落語家ではなかったけれども、歳を取ってもチャーミングな落語家でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

コメント

No title

歳を取ってもチャーミングって良いですね~。https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/012.png">
ご冥福をお祈り申し上げます。

No title

そうですね。正直、あまり上手い噺家さんではありませんでした。でも味のある語り口で「もっと聴いていたい」と思わせる師匠でもありました。謹んでご冥福をお祈りします。

No title

今朝、スポニチで知りました。さんまの師匠ということしか記憶に無いのが残念です。
合掌

No title

◇後家殺し
私は、2015年九月に、六代目圓生の命日だからと、林家正雀師匠がやる『後家殺し』を生で聴いています。詳しくは下記で。

https://blogs.yahoo.co.jp/mars2007_mm/20313631.html

さて、松之助師匠。30数年前に、京都にいた時に、まだ当時は有った京都花月で、牛ほめと、遊山船を聞いた記憶があります。
まだ、六代目笑鶴が健在で、マクラでは二人で無茶した話や、まだ、小文枝だった先代文枝師匠を、虐めた話をしてはりました。
ご冥福をお祈りします。

No title

チャーミングな噺家であることは間違いないですね。
圓生はもう少し甲高いというか細い声でした。

No title

さんまの師匠が亡くなったんですか
知りませんでした
大阪落語はなかなか耳になじまないです
94歳とは大往生ですね
Nice

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*まーぶるさん。。
藪さんもチャーミングなお爺ちゃんになりたいな(^ω^)

No title

*菖蒲園さん。。
松之助さんはお世辞にも上手い落語家じゃなかったけれども、あのとぼけた味は独特のものがありました。

時間があったので「つる」を一時間やった・・・と云うギャグを飛ばす独特の感性を持ってました(^∇^)

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*キャバンさん。。
松之助さんは東京では品川などの吉本興業の劇場で、年に数回落語会をやっていたようですが、東京のテレビでは放送していないので、大阪文化圏以外ではほとんど知られていない落語家だと思います。

高齢になれば亡くなるのは当たり前で、数え年で94歳まで生きたのなら大往生でしょう。残念なのは彼らの芸が失われてしまう事なんですよね。文化庁や国会図書館もその文化遺産を保存しようとしていません。

我々が公的機関がやらない落語と云う文化をネット上に保存しようとすると、著作権法違反だと云われてしまう。米国のライブラリー・オブ・コングレス(国会図書館のようなもの)が、積極的に米国の民謡を保存しようとしているのに比べると、日本の公務員は何にもしていない税金泥棒と云えます。

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*Marsさん。。
かつては落語協会が圓朝祭りと云うのをやっていて、圓朝が作った演目をやる落語会をやってたんですが、やがて落語協会のファン感謝祭のようなイベントになりました。大阪の米八祭りを真似たようです。

落語会をやっているのは、芸術協会が四月にやっている可楽祭りくらいですね。谷中のどこかでは小規模ながら八月に落語会をやっているようなんですけどね。

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*けんちゃん。。
圓生は四代目 圓蔵一門で子供義太夫をやってましたから、インチキな義太夫はやらないはずです。

三遊派の圓生と柳派の正蔵は生前は犬猿の仲でしたから、もし圓生の生前に正蔵の弟子が義太夫をやろう物ならば、圓生からケチョンケチョンに云われたでしょうね(^ω^)

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*右近さん。。
東京のテレビで確実に大阪落語をやるのは、月に一回、NHKの大阪ホールでやっている日本の話芸での上方落語会の収録ものだけですね。

松之助さんは落語家としてよりも、お爺さん役の俳優として演技が素晴らしかったと思います。米丸さんが最長老の噺家になりました。膝を悪くしているようですが、まだまだとぼけた落語を芸術協会の高座でやっているようです(^∇^)

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「柳派の正蔵」というのはいいですねぇ。
林家を継いでからというもの、本格派の三遊の芸を聴かせてくれました。
一朝おじさんからの遺産でもあったのでしょうね。
私のところには圓生とのリレーで聖天山がありますが、どちらも押しも押されぬ芸です。
いまは弟子が茶化して物まねをやっていますが、私には冒涜です。

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稲荷町の正蔵は元々は三遊派で、三代目 圓楽を名乗ったりもしましたが、師匠が亡くなってからは三代目 小さん門に移籍しました。

三代目が晩年に脳軟化症になると兄弟子の馬楽が四代目 小さんになりました。昭和22年に四代目が急死した後、稲荷町が小さん門を引き継いで、真打ち昇進と襲名披露興行中だった九代目 小三治の面倒を見ればよかったのですが、稲荷町は貧乏だったのでそれができなかった。

柳派の長老の左楽がそれを心配して、弟子の文楽に命じて小三治を預かり弟子にして襲名披露興行を続けさせました。目白の小さんはその時の事を思い出すと、文楽への感謝で涙が出てくると語ってます。

柳派の大看板の小さんが不在ではしょうがないので、三年後の昭和25年に小三治を五代目 小さんにしました。四代目 小さんの前名の馬楽を名乗っていた稲荷町は、弟弟子を小さんにした文楽に腹を立てて、黒門町の家に怒鳴り込みましたが、馬楽が小さん一門を引き継いでいない以上しょうがない。

No title

*続き。。
でもトンガリ馬楽の気持ちも判る柳派の長老の左楽は、六代目の正蔵が亡くなった後に預かっていた名跡を、昭和24年に七代目の正蔵が亡くなったので、一代限りで貸し与えていた正蔵名跡を、一代限りの八代目としてトンガリ馬楽に貸し与えました。

七代目 正蔵の短いSP音源が幾つか残ってますが、実に上手い軽妙な語りです。七代目 正蔵は戦前の東宝名人会で金馬さんと共に二枚看板として客を呼びました。

そう云う関係で金馬さんは七代目が亡くなった後、セガレの三平の面倒を見ました。金馬さんの釣り好きは有名で、和竿作りの名人とも親交があり、その娘のカヨコを三平に紹介したのが金馬さんでした。

すいません。藪さんに落語の話をさせるとどんどん横道にそれてしまいます(^ω^)

しかしトンガリ馬楽が小さんではなく正蔵を襲名したのは、結果的には良かった。正蔵と云う名跡が稲荷町の芸風にピッタリでしたからね。

今の九代目はまったく話にならない。目白の小さんの弟子たちが三遊派の話をやってるのと同じで、臭くて聞く気になりません。

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