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春の落語


 「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」とかと申しまして、新緑のシーズンになりますとあちらこちらに旅に出掛けると云う季節になってまいります。東京の「愛宕山」と云う落語演目は、東海道線が全線開通した明治中頃以降に東京から幇間を連れて京都の愛宕山へ登った演目であると時代考証出来ます。小判が通用した江戸時代の時代設定では、そんな長旅を幇間を連れて悠長には出来ないと思われます。

【愛宕山】(あたごさん)

【登場人物】
一八(いっぱち=幇間)
旦那
繁造(旦那のお供)

【概要】
 早蕨(さわらび)の 握りこぶしを 振り上げて 山のほおづら 春風ぞ吹く(蜀山人)

 幇間の一八(いっぱち)を供に連れて東京から上方へ来た旦那。京都で遊んでいるうちに思い立ち、愛宕山へ登る事になる。山登りなんて朝飯前ってんでねっ、登り始めるが、普段運動などとは無縁の幇間(たいこもち)には、登れる訳が無い。供の繁造(しげぞう)に助けてもらい何とか、先に登った旦那が待つ茶店まで辿り着いた。

 茶店で一休みすると、旦那は愛宕山名物の土器(かわらけ)投げを始めます。 旦那の腕はなかなかのもので、次々と的の輪を通過しますが、やがて旦那は土器の代わりに小判を投げ始めます。一八は気が気じゃない。「洒落になりませんよ旦那。投げるんなら、私を的にして下さい」

 三十両の小判は、一枚も的の輪をくぐらず旦那はくやしがりますが、一八はそんな事より小判はどうなるのか聞くと、拾った人のものだと云われ、茶店から傘を借り谷底へ飛び降ります。小判は回収したが、「どうして登る~。欲張り~。狼に食われて死んでしまえ~。先に帰るぞ~」。「待って下さいよ~」

 さあどうする一八! 着物を引き裂いて縄を作り、嵯峨竹に絡めて、竹の弾力を利用して、ヒラリと旦那のところまで駆け上がった。

 「ただいま帰りました!」
 「えらいやつだな! 貴様、生涯贔屓(ひいき)にするぞ!」
 「ありがとう存じます」
 「金はどうした!」
 「あっ、忘れてきた」

 映像データ・・・昭和41(1966)年5月 上野鈴本演芸場 文楽73歳時

 データ・・・八代目 桂文楽 明治25(1892)年11月3日~昭和46(1971)年12月12日 享年79 前名=翁家馬之助 出囃子=野崎 紫綬褒章 勳四等瑞宝章 本名=並河益義 通称=黒門町

【雑感】
 愛宕山(あたごやま、あたごさん)と云うのは、ざっと数えただけでも日本全国に120以上あり、約900の愛宕神社があって、その総本山が京都にある愛宕神社です。「あたごやま」と呼ぶか「あたごさん」と呼ぶかは、各地で様々ですが、「あたごやま」と呼ぶ地方の方が多いようです。成田山(成田不動尊)の事を「成田さん」と呼ぶように、山と云うよりも、寺や神社に対する親しみを込めて、「愛宕さん」と云う呼び方があると云う感じでしょうか・・・

 愛宕山は現京都市左京区上嵯峨北部にある標高924メートルの山。東京の港区芝にある愛宕山は、標高26メートルの丘ですが、京都の愛宕大権現を祀っています。だから本来は「愛宕さん」と云うべきなのでしょうが、「あたごやま」と呼び習わしています。NHK発祥(1925年)の地として、「あたごやま」で通っています。

 京都の山の噺ですから、本来は上方落語です。三代目 三遊亭圓馬(昭和20年没)が、東京に持って来たものを、圓馬に師事した八代目 文楽が受け継ぎました。上方落語では、繁造は繁八(しげはち=幇間名は東京は一八、上方は繁八が普通)となります。また、志ん朝さんの土器(かわらけ)投げは、輪をくぐらせますが、黒門町のは的に当てます。亡くなられた文枝さんや文珍さんなどの口演では、旦那が投げて的に当った時に、お囃子か前座が鉦を鳴らします。この方が、クレー射撃のようで面白いと思うのですが、実際の愛宕山ではどのようなスタイルなのか・・・私も一八同様、登るのがしんどいので調査はしていません(^ω^) 

 この演目は、力む演技が多いので、晩年狭心症の発作があった黒門町に、この演目のドクター・ストップが掛かりましたが、黒門町はそれを聞き入れず、最後の年まで上演しました。

 落語はろーさんのデータ http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/rakugodata/b002_01_bunraku.htm によりますと、文楽はこの「愛宕山」の音源を11バージョン残しているようです。一番多いのが「船徳」の17バージョン。その次が「富久」の13。「明烏」の12バージョンと続くようです。文楽と云う噺家は大師匠の割には音源として残っている演目が30数演目と少ないのですが、それぞれが皆18番であり、個々の演目のバージョン数の多さでは群を抜いています。

コメント

No title

愛宕山は、この時期に限りますね。
そして、八代目文楽師匠にとどめを刺しますね。この映像をアップし、保持しておられる藪さんに感謝ですね。
一八のパラシュート降下と帰還は、物理的に無理と思いますが、そこは落語国の夢ですね。
一八と旦那、繁造のやりとりが最高ですね。
上方版は、江戸版(黒門町演出)には及ばないですね。

No title

最後わらちゃいました。ドジですねーー。自分のことみたいです。(*^-^*)

No title

(*´▽`)ノ ・゜:*:゜★こんばんわ~☆・゜:*:゜
良い景色を眺めた時の表情が良いですね~。
〃⌒ー⌒〃
かつらの文字のように流れる川の風景も
目に浮かびます。
一八さんが昇る力強さもすごくお上手ですね。
落ちもキレが良く面白かったです。(*′艸`)
貴重な映像ですね。(^_-)-☆

No title

黒門町が映像を残しておいてくれて本当に有り難いです。
でも、全盛期を知る人は
「本当はもっと凄かった」と語っていました。(^^)
これで衰えているというのですからね〜

No title

*キャバンさん。。
藪さんは過去に動画サーバのチューブには、15以上のIDを設置しました。それ以前にやっていた音源サーバの制限容量は一アカウントが50メガバイトだったので、なんと藪さんは50以上のアカウントを使って、ネット上に千演目以上の落語の音源ライブラリを構築しました。

それらの落語音源はすべてこのブログの記事にしています。残念ながらそのサーバは楽天に買収されて、儲からない部門は切り捨てる三木谷さんの方針で、潰されました(^ω^)

何でこの動画がチューブに残っているのかと云うと、IDを投網的に削除するチューブのパターンを解析して、どう云う落語動画が削除されるのかを、ID別に分けて検証したからです。

動画にクレームが入るのは、NHKとTBSとフジサンケイグループのポニーキャニオンです。噺家さんからのクレームは皆無です(^ω^)

つまり、噺家が演じている著作権ではなくて、その音源や動画を製作したと云う著作隣接権を放送局やレコード会社が主張してるんです。

No title

*続き。。
一切の利益を求めずに、落語文化を皆さんに広めようとしている我々と、自分たちには本来の著作権はないのに、著作隣接権で銭儲けしている連中の、どっちが正しい事をしているのか? いずれ閻魔大王が判断してくれるはずですが、現在の日本の著作権法では違反となっているので、藪さんは新たに落語動画をチューブに上げる事をやめました。

志ん朝や談志の動画をチューブに上げると確実にIDを削除されちゃいます(^ω^)

この文楽の鈴本でのフィルム映像は、ラジオ東京と云っていた時代の6チャンネルのTBSが撮影したものです。さすがにこの映像に著作隣接権を主張するのは無理があるので、いまだにIDが削除されずにチューブに残っていると云う事です(^∇^)

藪さんは晩年の文枝版の愛宕山もチューブに上げていて、それも削除されずに残ってます。先代の小文枝の文枝ですから華やかではあるんですが、関東の人が聞くとモッチャリしていて面白くない。今の文珍も同じようなモッチャリスタイルです(^ω^)

No title

*笑みさん。。
落語ってのは単なるお笑いじゃなくて、サゲとか落ちと云う、最後の決め台詞に持って行くために、様々な準備をしているんです(^∇^)

No title

*まーぶるさん。。
落語の難しい話になって恐縮なんですが、桂文楽と云う噺家は、ひとつの演目を高座で演じる前に数百回以上納得が行くまで稽古して完成してから高座に掛けた噺家でした。だからいつも同じように落語をやりました。

それと正反対だったのが古今亭志ん生と云う噺家です。ぞろっぺ(いい加減)な噺家と云われ、毎回違うやり方で落語をやりました。つまり志ん生は常にベストを求めて落語を作り変えたんです。

今の若い噺家さんが気の毒なのは、文楽がここまでやっちゃうとそれに勝る演出ができなくなっちゃいますよね。でも文楽や志ん生は、それまでの大師匠たちのやり方を変えて昭和30年前後に東京落語の全盛期を作ったんです。

その意味で云うと、今の噺家はアイデアや努力が足りないと思います。藪さんから云わせたら、面白くもなんともない(^ω^)

No title

*菖蒲園さん。。
まあこの映像は、黒門町が映像を残そうとした訳ではなくて、当時のラジオ東京の番組制作スタッフが、鈴本に複数台のフィルムカメラを持ち込んで撮影した、半世紀以上前の当時としては画期的な映像だと思います。

文楽は志ん生より二年早く亡くなったのですが、TBS専属だった事もあり、志ん生よりも長く高座にいたので映像が残っているんですね。

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