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藍染町

藍染町 令和元年例大祭
 根津権現坂を下って、根津神社の表鳥居の前の道を東方向へ真っ直ぐに、不忍通りを越えたところが藍染大通り。

 藍染町と云う旧町名は、現在は祭りの時にしか出てきません。何故藍染町と云うのか? 藍染大通りと交差し、不忍通りと平行に南北に走っている細い道路は、現在は暗渠になってますがかつては川が流れてました。

 近所には藍染職人がいて、藍で染めた布をその川で晒していたんです。現在でもかつての名残で藍染町には呉服屋さんがあります。

 文京区と台東区の区界は不忍通りだと思いがちなんですが、実はそうではなくて現在暗渠になっている藍染川が区界なんです。その細い道路を南下すると言問い通りにぶつかり、そこが終点。

 一方北上すると、鴎外記念館のある文京区の団子坂から降りてきた道路が不忍通りを越えて、圓朝の墓がある谷中の全生庵の三崎坂へ至る道路と交差し、よみせ通りへと至ります。

 よみせ通りの西側は文京区千駄木であり、東側は台東区谷中なんです。現在は暗渠になってますがかつての藍染川が区界になっているなんて、地元の歴史を調べてみるのは面白いですね(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=74vsSuBNL7g
 撮影データ・・・令和元(2019)年9月21日(土)午後一時過ぎ 根津藍染町

コメント

おはようございます。(*^-^*)

昔は川が流れてて染物をしてたのですね~。
(*˘︶˘*).。.:*♡
お江戸のお神輿さんは豪華で煌びやかですね。
遠くからお囃子が聞こえてきましたね。
お囃子を聞くとワクワクします。(*′艸`)
カッコイイポスターですね。

No title

東京の区と区の境は昔の川の流れが元になっている所が結構ありますね。
今は殆ど暗渠になってしまっていて分かり難いですが、先生の仰る通り面白いですね。
ウチの葛飾と足立の境も家康入府以前の江戸で大河だった「古隅田川」の流れが堺になっています。
亀有の上流で中川が西に曲がっていて綾瀬川や隅田川に合流していたそうです。
今は殆どが暗渠か親水公園になっています(^^)

*ま~ぶるさん。。

 今でこそ東京は、人口が1,300万人もいる世界一の大都市なんですが、家康が秀吉に命じられて江戸の開発をした頃は、江戸湾の漁師と農民しかいなかった単なる武蔵野の寒村でした。

 当時の人口は十万人以下だったと思われますが、江戸幕府によって開拓された江戸は、ロンドンやパリやニューヨークよりも早く百万人が居住する世界一の大都市になりました。

 藪さんはあまりにも東京に集中しちゃってる状況を心配しています。その事によってどんどん地方が過疎化しちゃうからです。首都機能を地方に移転して東京への一極集中を分散すべきだと藪さんは思います。

*菖蒲園さん。。

 菖蒲園さんローカルでは睦が中心になって祭りをやっているようですが、藪さんローカルでも町会の他に睦があって、白山睦や御殿睦と云う神輿も出ます。根津神社の祭友会も睦の一種だと思います。湯島天神にもそう云う睦の神輿があります。

 でも藪さんが好むのは、そう云う睦ではなくて旧町会名が書かれた半纏であり神輿なんです。旧町会名にはそれぞれに意味があって、今の無意味な住居表示とは違うんです。

睦の名の由来

ウチの地域の四つの睦の名ですが「御城」「宮本」「八幡」「神明」と言います。その由来ですが、私が所属している「御城」(みじょう、と読みます)は昔、葛西氏がこの地を納めていた頃に青戸に葛西城があったのですが、その支城(砦のようなもの)がある地域ですので「御城」と付いたそうです。
「宮本」は今の天祖神社の地元なので、「八幡」は昔、八幡様があった地域なのでこの名が付きました。
この八幡様のご本尊が洪水で流され、深川に流れて「深川元八幡」になりました。
「神明」だけは良く判っていません(^^)

*菖蒲園さん。。

 菖蒲園さんのところでは町会は祭りをやらないんですか? 睦の名前に町の歴史が残ってるんですね。

 町会と睦の両方があると、ちょっと厄介な事があります。東御殿睦と白山睦ってのがあるんですが、同時に東御殿町会と白山町会があるんです。それぞれ神輿を持ってるのですが、どっちの神輿なのかがよく判らない(^ω^)

 決定的な違いは、町会には神酒所があるけど睦には神酒所がありません。睦の神輿は材木屋さんの中だとか、土曜が休みの銀行の前のスペースに置いてるんです。

 神酒所がないから奉納金の貼り出しもないし、奉納金があるのかどうかも判りません。内部的には主導権争いをしているのかもしれません。睦の神輿は氏子町会の連合渡御には出てきません。

町会と睦

藪先生。ウチの方は釣果はお祭りには一切関知していません。せいぜい町会の役員が神酒所で酒を振る舞われているぐらいです。祭りの一切は睦が取り仕切ります。
町会の名前も「堀切中央町会」だの「東町会」だの「北町会」「南町会」とかですね。
「西町会」だけは神社が違っています。(隣の神社です。その理由は私が子供の頃までは堀切ではありませんでした。小谷野という町でした。今では無くなってしまった町名です。(^^)長くてすみません。

都電

昔伯父が根津片町に住んでいました。よく遊びに行ったのですが、20,37,40番の都電の停留所は宮永町(今の地下鉄根津駅のところ)でした。
車掌さんが「宮永町、藍染橋」と読んでいたのが耳に残っています。

*菖蒲園さん。。

 ところ変われば祭りも変わるってのを菖蒲園さんのコメントで感じてます(^∇^)

 地元の祭りばかり見ているとそれが基本的なパターンなのかと思ってしまうのですが、アチコチの神社の祭りを取材してみると、細かい部分が若干違うんですよね。でもそれを変えるのかと云うと代々地元で受け継がれてきた祭りのルーティーンなので、藪さんが助言をしても頑なにそのやり方を変えないってところが面白い(^ω^)

 祭りって今はなくなってしまった地元の歴史を勉強するのにいい機会だと思います。藪さんローカルの戸崎町にしても、現在の千川(改正)道路によって分断されて南戸崎町会ができるまでは、全部が戸崎町会だったんです。

 今の南北朝鮮みたいなもんかな? 藪さんはだてに神酒所でただ酒を飲んでいる訳ではなくて、地元の歴史を古老から聞き出しているんです(^∇^)

*けんちゃん。。

 よく都電の番号を憶えてらっしゃいますねぇ。藪さんは中学生の頃はラジオ番組のはがき職人でしたから、銀座や丸の内地区の映画の試写会場へ、週に三回は都電で25円の往復切符を買って通ってたんですけれど、何番の都電だったかぜんぜん憶えてません(^ω^)

 首都高の何号線ってのも判らない。多分番号に弱いんだと思います(^ω^)

 今の藍染大通りは、藍染川と交差していた訳だから、あそこには藍染橋が掛かっていたはずですね。暗渠にしちゃった理由は、藪さんローカルの千川通りもそうなんですが、下水道が整備されてなかった時代には、台風のたんびに洪水を起こしたからです。

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