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根津八重垣町

根津八重垣町 元気なお子ちゃま
 東京落語の奇才と云われた立川談志は、文京区の白山上で生まれました。16歳で高校を中退して目白の小さんに入門しました。

 その後練馬に自宅を持ちましたが、寄席に通うのが不便だからか不忍通りの八重垣煎餅と云う戦前から続くお煎餅屋さんの老舗の上階のアパートに居住しました。

 根津ってのは公共交通網が発達しているので、どこの寄席に行くにもタクシーより早く行けます。談志はケチってんじゃないけれども無駄な金を使わない人でしたから、根津から地下鉄千代田線を使って移動してました。

 談志は八重垣町の住人だったので、食道がんを患った時にはすぐ近くの日本医科大学病院へ入院しました。談志の立川流は、毎年一月二日に根津神社で初詣でをやりました。そこへ集まった弟子や野末陳平さんなどの友人には、二万円入りのポチ袋を渡してました(^∇^)

 談志は藪さんと同じように祭り好きだったとは思うのですが、談志が八重垣町の神輿を担いだのかどうかの記録は調べても判りませんでした。もし担いでいたとしたら談志の事だから、絶対にお先棒を担ぐはずなんですよね。その写真って誰か持ってないかなぁ? (^∇^)

 それにしても八重垣町の子供たちは本当に元気で、山車を引っ張ってるのとか子供神輿を担いでいるのを見ると、藪さんまで元気になってきます(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=-VPedISlsrM
 撮影データ・・・令和元(2019)年9月21日(土)午後1時37分 根津二丁目

コメント

No title

談志師は落語はともかく、落語の評論を語らせたら超一流だと思っています。
知ってるようで知らない評論家どもとは時限が違いますね(^^)
黒門町が何だかんだと言いながらも実は矢来町と同じくらい評価していたそうです。

こんにちは。(*^-^*)

元気いっぱいの掛け声で可愛いですね。
山車を曳いた後はかき氷。🍨
(*⌒▽⌒*)
親子で楽しんでる様子がうかがえます。
!(●⌒ー⌒●)!
両サイドのお花と真ん中の丸い飾り。
何を意味してるのか判りませんが・・・
珍しい飾りですね。〃⌒ー⌒〃

家元

 私は、談志家元にかなり傾倒しました。「現代落語家論」を一番最初の「落語評論」として読み、これに「毒された」のかもしれません。ただ、理屈っぽい演じ方が段々鼻につき、そういうことの無かった「一人会」のCD60巻を随時そろえていった記憶です。
 談志家元が根津神社にお参りする映像は何度も見ました。「お先棒」を担いだかどうかは分かりませんが。
 菖蒲園さんが記載してますが、黒門町は家元を評価し、戦死した一人息子の跡に、家元を養子にするという話を進めたようです(「早起き名人会」の談志がゲストの際の発言)。
 根津神社には行ってみたいと思っているのですが・・・

*菖蒲園さん。。

 落語の背景解説はTBSの落語研究会の解説で山本文アナとの対談でお馴染みだった、劇作家の榎本滋民さんでしたが、落語周辺の解説では談志の論評は群を抜いてましたね。

 圓生も戦前の三語楼一門のように、東宝演芸場と云う仕事場を確保してから協会から離脱すべきだったのに、無計画に離脱しちゃったから落語をやる場所がなくなりました。

 志ん朝は一週間でそれを悟って、弟子の将来のために恥をしのんで小さん会長に頭を下げて協会に戻りました。その五年後に談志が立川流を立ち上げて協会を出たのは、談志流のいきがりだったんですかねぇ。

 立川流のお弟子さんたちは仕事場がないから本当に貧乏で、ひどい生活をしています。でも志ん生の極貧生活から比べたらまだマシなんです。もしかしたら談志はそこまで考えて弟子を厳しく育てたのかもしれません(^∇^)

*ま~ぶるさん。。

 この「カキ氷」の旗が下がってる甘味どころは、藍染大通りの有名な店なんです。だから根津のたい焼きのおっさんも挨拶をしてましたね。これは地元の人にしか判らない小根多です(^ω^)

 今の子供たちはみんな保護者同伴で、藪さんの子供時代には赤ん坊を抱えたお母さんは祭りには来ませんでした。今は子供よりも親が楽しんでいるようです(^∇^)

 今月からFC2ブログを始めた初心者の藪さんにFC2のいろんな事を教えてくださってありがとうございます。スポンサーへのリンクがやっと消えました。あれってやっぱり一週間掛かるんですね(^ω^)

*キャバンさん。。

 談志さんの落語評論は素晴らしいの一言に尽きます。彼以上に落語を理解していた噺家はいなかったと思います。

 談志は昭和22年に四代目 小さんが急死したので、小三治の襲名披露興行中だった九代目 小三治を預かり弟子にして、三年後の昭和25年に五代目 小さんにしました。その小さんの弟子が談志なので、黒門町の孫弟子です。

 志ん朝は志ん生の実子なので黒門町がどうこうする訳には行かないけれども、吉田茂や佐藤栄作などの政治家のファンがたくさんいて東京落語の天皇と云われた黒門町ですから、孫弟子の談志ならどうとでもできました。

 黒門町は1971年に79歳で亡くなっちゃいました。もし存命だったら左楽亡き後の柳派の最長老として君臨し、圓生の乱もその五年後の談志の乱も起きなかったと思います(^∇^)

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