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猿田彦大神

猿田彦大神
 以下は五年前の根津神社の神幸祭の時の貴重な動画です。

 何故貴重なのかと云うと、六代将軍 家宣(いえのぶ)が根津神社に寄進した三基の本社神輿は、四年に一度の神幸祭の時に一基ずつしか出てこないからです。しかも全部神輿のデザインが違う。

 去年の神幸祭の時の本社神輿のセッティングは、午前六時から取材に入ったのでご常連さんなら十分にご覧いただけたと思います。神輿には鳳凰がセットされました。

 以下の動画の神輿の屋根には鳳凰ではなく擬宝珠(ぎぼし)のようなものが乗ってます。つまり根津神社の三基の本社神輿をすべて見るには12年掛かると云う事なんです。

 藪さんは取材する前に何も調べないで、目にしたものを自由に呟きますから、動画の中で数々の間違いを呟いてます。以下の動画の冒頭でも「神社と天狗はどう云う関係にあるんだ?」などと、とんでもない事を呟いちゃってます。

 あれは天狗ではなくて、天照大神(あまてらすおおみかみ=日本民族の総氏神)から邇邇藝命(ににぎのみこと)が授かった三種の神器をたずさえて高天原(たかまがはら=神様が住んでいる場所)から葦原中国(あしはらのなかつくに=人間が住んでいる場所)へ天降った(天孫降臨)時に道案内をした猿田彦(さるたひこ)と云う神様なんです。

 猿田彦は7尺(210センチ)の長身の赤ら顔で目が大きく鼻が長いと云う風貌でした。つまり現代で一般的に知られている天狗のようなご面体だったらしい。ですから猿田彦は神幸祭のパレードには必ず登場するキャラクタなんですが、しばしば天狗と混同されていて、調達しやすい天狗のお面を被っちゃったりしてるんです。

 根津神社の神幸祭の場合は猿田彦の人形を台車に乗せてパレードしてましたが、湯島天神の神幸祭では人間が天狗のお面を被ってました。藪さんは湯島天神を出る時に右側に天狗のお面を被った人が座ってたのでビックリしました(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=B-zvEFan-6I
 撮影データ・・・平成26(2014)年9月21日(日)午後 文京区根津神社

コメント

こんにちは。(*^-^*)

12年に一度しか見れない貴重な映像なのですね。
ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
大きくて煌びやかで立派なお神輿さんですね。
ご撮影された場所もベストポイントでしたね。
ヽ(´∀`)ノ .:。+゜。

猿田彦大神

こちらの猿田彦大神は白髪ではなく、
長い黒髪でした。
地域によって違うのですね。

No title

普通はお祭りに猿田彦大神が登場するのですね。
ウチの方は例の大祭の時には本祭りの時だけ出ますね。陰では出ません。
睦に入るまでは、そんな事も知りませんでした。
来年は子供の山車の写真をブログに貼り付けます(太鼓の向きw)(^^)

猿田彦

    神話の上の登場人物と思われていますが、戦前の抑制的天皇制保存主義者らによるクーデター未遂事件のことを考えると、日本人の中に血気盛んな人もいたのだと、強く訴えたい。
    根津神社と湯島天神の行き来は羨ましいです。

*ま~ぶるさん。。

 根津神社の本社神輿には、一の宮から三の宮まで三基あるのですが、どれが一の宮なのかってのは誰も記事にしてません。それほど三基全部を取材するには年数が掛かるんです。

 藪さんが調べたところによると、一基はこの動画のように屋根の上が擬宝珠状になっていて、他の二基が鳳凰なんです。その二基の違いは、屋根の一面に三つ付いているマークが違うんです。でもどの神輿が一の宮なのかってのは江戸時代の三百年前から慣習的にやってきた事なので、今の宮司さんに聞いても判らないかも。

 本殿裏にある神輿庫を調べさせてくれれば判明するとは思うのですが、三百年も前に徳川家から寄進された国宝級の神輿を、藪さんのような無冠の帝王のチンピラには調べさせてくれません。

 成澤文京区長が藪さんを文京区名人に指定してくれれば、もっと詳しい文京区の情報を皆様に広報できるんですけどね(^∇^)

*ま~ぶるさん。。

 猿田彦大神は日本神話に登場する神様です。だから誰もその姿を見た事はない(^ω^)

 西洋の神様で天照大神に相当するのはゼウスです。ゼウスの絵画や彫刻はたくさん残ってますが、すべて後の芸術家が想像で作ったものです。

 日本神話の猿田彦大神にしても、各神社から神幸祭のパレードを依頼されたイベント業者の考え方によってかなり違うんです(^ω^)

 湯島天神の猿田彦大神はコスプレさんなんですが、20センチもの高さの一本羽の高下駄を履いてます。それってどう考えても天狗と混同してます。神様は高下駄なんて履かない(^ω^)

*菖蒲園さん。。

 この数年あちこちの神社の神幸祭のパレードを取材してますが、三社の鶴のコスプレさんが出てくるパレードや神田明神の鯨などの山車が出てくるのを別にすると、あのパレードは天孫降臨の状況を表現しているんだと藪さんは理解しました。

 だからこそ、その案内した神様である猿田彦大神が先導するんです。根津神社や湯島天神の神幸祭はもとより、下谷神社の神幸祭でも猿田彦大神のコスプレをした人がパレードを先導してました。

 ただし下谷神社の神幸祭のやり方は他の神社と若干違っていて、本社神輿を担いで渡御してました。本社神輿と云うのは町会や睦の神輿と違って、一番最初にその神社の御祭紳の御霊入れをして台車に乗せて静かに町内を渡御するものなんです。掛け声かけて担いじゃいけない(^ω^)

 根津神社の拝殿前の唐門の横幅は狭いので、舞殿前で横棒を外して十メートル以上ある長い縦棒二本だけで拝殿前に持ってきました。五年前の根津神社では拝殿の右横にその年の神輿を一基だけ展示してました。だから横棒を外したあとに静かに神輿置き場に持ってくるべきものなのですが、祭り好きはデカい神輿ほど担ぎたがるので、百メートルくらいは担がせてあげてもいいでしょう(^∇^)

 山車の太鼓の向き。進行方向の前後に置いてあるのを藪さんは見た事がないので、是非その写真で記事を書いてください(^∇^)

*キャバンさん。。

 軍部は戦前の天皇独裁主義(思想)を利用して戦争を遂行したんです。天皇は政治にはタッチしてはいけないと云う原則がありました。

 天皇が戦争責任者だと誤解している左翼や外国人が多いのですが、天皇は御前会議で発言する事は許されておらず、戦争を中止する事はできませんでした。むしろ戦争遂行に反対してました。

 進駐軍の総司令官だったマッカーサーは、当初天皇を戦争責任者として処刑するつもりでした。多くの戦勝国の首脳もそうでした。マッカーサーは何度か天皇と会見するうちに昭和天皇の聡明さと日本の特殊事情を理解して、天皇を戦争犯罪人として訴追する事に反対しました。

 そればかりか戦後の日本の復興のために天皇を利用しました。つまり天皇とは神武天皇以来日本人の心のよりどころであって、存在するだけでいいんです。

 天皇が戦争に利用された事は日本にとって最大の不幸でした。しかし何故文化人は軍部の暴走を阻止できなかったのか? 伊丹十三さんのお父さんの伊丹万作さんは、戦争が軍部だけの責任だとするならば、日本は延々と間違った戦争をし続けるであろうと云ってました。

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