FC2ブログ

記事一覧

大晦日の伝統

大晦日の伝統 ライブドアで落語ブログを長年やってくださっている菖蒲園さんが「掛取り漫才」の記事を書いてくださいました。

 藪さんの子供時代にも掛売りと云うのがあって、帳面に何月何日にどう云うものを売ったというのを書いておき、節季と云う三ヶ月ごとなどの決算期にまとめて支払うと云うシステムがありました。今のカード決済と同じようなものなのかな?

 晦日(みそか)ってのは月末の事で、それの大きいやつが一年の最後の日って事で大晦日なんでしょう。昔は「大つごもり」とも云ったそうです。都合が漏るから大つごもりってやるのが志ん生流のくすぐり。

 今年も藪さんはめでたく、たいした障害もなく大晦日となりにけり。簸川神社、白山神社、こんにゃくゑんま、牛天神、湯島天神、根津神社、靖國神社、神田明神等々に取材に行ったおかげでしょう(^ω^)

 で、最近は落語ブームだそうです(^ω^)

 若いサラリーマンが落語にはまってるらしい。更には落語女子ってのもいるらしい。もちろん彼らはライブ主義だから、藪さんが知らない名前の噺家の高座を「面白い」から聞いているらしい。

 藪さんは「えっ?」と思ってしまう。落語って笑い話なの?

 もちろん藪さんが子供の頃にラジオで聞いた先代 金馬や柳橋の落語は面白いから聴いたんです。でもその後いろんな噺家の落語を聴いてみると、名人と云えるような上手い噺家が何人かいる事が判りました。

 ただ面白いってだけなら落語より漫才の方がはるかに面白い。落語の名人と云うのはなるほどなと感じさせる落語をやっていて、ただ単に客を笑わせているのはたいした落語家じゃないってのが判りました。

 志ん生や文楽や圓生を聞き込むと、他の噺家とのレベルの違いを感じました。

 その中でも、六代目 三遊亭圓生は往時は東京落語の第一人者でした。40年前の1979年に亡くなったので、今の高座第一主義の若い人は、圓生の高座を知りません。圓生に比べたら今のどんな噺家もゴミでしかない(^ω^)

 子供義太夫から9歳で落語家に転向して芸歴70年。どんな噺家も圓生以上に努力してないと思いますので圓生には勝てない。奔放な落語をやった志ん生は別にして・・・

 大晦日に聴くべき一席の落語と云われれば・・・藪さんは圓生の掛取万歳だと答えます。この演目をやるには様々な芸事の稽古が必要なんです。今の薄っぺらな落語家の落語で満足しないで、どんどんダメ出しをして名人を育てて欲しいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=sZF-258a9So
 データ・・・六代目 三遊亭圓生 明治33(1900)年9月3日~昭和54(1979)年9月3日 享年79 前名=六代目 橘家圓蔵 出囃子=正札附 本名=山崎松尾

コメント

藪さん、無理ですよ

今の落語ファンと称する連中は「落語はさんまやたけしの亜流」くらいにしか考えてはいないのですから。

こんにちは。(*^-^*)

落語ブームなんですね。 !(●⌒ー⌒●)!
噺家さん達が上手くなろうと芸を磨くので良い事だと思います。
電チャリに乗れるようにまでご回復されて
各神社の神様さまですね。o(*⌒―⌒*)oにこっ♪

定番

こんにちは
 菖蒲園さんのところでもコメントしましたが、「掛取萬歳」は六代目圓生師匠にとどめを刺します。この高座を聞いてしまったら、他の落語家のは聞けないですね。
 昭和49年に大学入学してお茶の水の学校に通ってましたが、新宿末広に顔を出し、ホール落語やラジオの公開録音に出かけていました。志ん生・文楽には間に合いませんでしたが、圓生師匠には間に合いました。落語協会分裂後、三遊協会を旗揚げした圓生師匠が渋谷パルコで「パルコ寄席」と題して初席をやったとき、客がまばらで、私は、最前列、真ん中〜つまりマイクの前〜で圓生師匠の「阿武松(出世力士)」を聴くことができたという幸運に恵まれました。
 圓生師匠を上回る落語家は、もうでてこないでしょう。

*けんちゃん。。

 確かにそうなんです。落語がお笑いのジャンルになっちゃってる。

 藪さんが60年以上聞いてきた落語は面白い話には違いないが、漫才のように単なるその場しのぎのお笑いではなかった。

 「電車混むね」・・・それでいいんです。考えられた笑いだから何度やっても面白い(^ω^)

*ま~ぶるさん。。

 落語ブームらしいですね。東京には落語家と称する人が五百人もいるそうですから(^ω^)

 噺家は上手くなる必要はないんです。志ん生なんて下手糞の権化です。落語と云うのは面白く作られた話です。藪さんや落研(学生の落語研究会)の素人さんだってできます。

 志ん生や圓生と今の噺家のどこが違うのか? 落語ってのは噺家の個性を語る話芸なんです。藪さんがこぶ蔵をぼろ糞に云うのは、アイツは自分の人生を語ってないからです。つまり偽者なんです。本当の噺家じゃありません。

 藪さんが何故志ん生に心酔するのか? 志ん生は自分のどうしようもない人生を語っているからです。

 電チャリに乗れるようになったと云うだけで、まだアチコチ出歩くのは不安です。坂を上る脚力はまだありません。

*キャバンさん。。

 圓生が落語協会を脱退してからは、残念ながら定席寄席から排斥されて落語をやる場所がなく落ち目の三度傘でした。

 名古屋の大須演芸場にまで行くドサ回りの一年間でした。パルコ寄席をご覧になったキャバンさんの経験は誰にも味わえない。圓生は落語界の最後の名人と云えるでしょう。

 もちろんその後に談志や志ん朝がいるんですが、藪さんは彼らを名人とは思ってません。何故なら談志は師匠の小さんを超えてないし、志ん朝も師匠の志ん生を超えてないからです。

名人と上手

あけましておめでとうございます(^^)
今年も宜しくお願いします。
圓生師が生前語っていましたが噺家には「名人、上手」とあるそうです。圓生師や志ん生師が名人なら談志師や志ん朝師は「上手」ですね(^^)

*菖蒲園さん。。

 早っ!(^∇^) おめでとうございます。今年もよろしく。

 除夜の鐘の取材に行ったのはいいのですが、植木の大きなプランターが横倒しになるほどの強風で寒くて参りました。そのせいか初詣で客も去年より若干少なかった。

 喜多八さんが生前に云ってましたが、噺家は上手い下手じゃなくて客に好かれるかどうかなんです。どんなに上手くても客に好かれないとマイナーな存在になるし、テレビに出ている連中は下手糞なんだけど、好感度は高いんです。

 志ん生のような下手糞な噺家が何で受けたのかと云うと、志ん生と云う滅茶苦茶な生き方が庶民に愛されたからなんです。大阪の松鶴も同じです。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

藪さん

Author:藪さん

月別アーカイブ