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ハウンドドッグ

ハウンドドッグ 「ハウンドドッグ(猟犬)」と云う歌は、プレスリーが21歳の時の64年前の昭和31(1956)年に歌って、百万枚以上のレコードが売れました。時代背景を考えると現在なら一千万枚以上のCDが売れた事になるでしょう。

 1月8日はプレスリーの誕生日。存命ならば85歳で一時代の音楽を築いたレジェンドとして、グラミー賞なんかの審査員になっていると面白い。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley) 昭和10(1935)年1月8日~昭和52(1977)年8月16日 享年42・・・か?

 イランがイラクにある米軍の基地と都会の二ヶ所へ反撃として、15発程度のミサイル攻撃を行ったが、もちろんそれは第三次世界大戦への引き金にはならないのは当然。

 イランの最高指導者のハメネイ師も米大統領のトランプもバカじゃないんです。トランプは米兵の死亡者が出ない限り、ツイッターでは批難するかも知れないが、特殊部隊を動かすような事はしません。

 もちろんトランプの一存でイランと戦争できる事も無く、戦争するには米議会の承認が必要です。

 で、プレスリーですが、第二次世界大戦や朝鮮動乱で疲弊した米国経済社会に音楽で爆弾を落とした若者でした。昭和29(1954)年にナッシュビルローカルのサンレコードから19歳でデビューし、ルイジアナヘイライドのカントリー音楽のステージでスターになりました。

 しかしまだナッシュビルローカルのスターでしかなかった。パーカー退役大佐と云う米国の凄腕音楽プロモーターがプレスリーをナッシュビルのサンレコードから引き抜いてRCAビクターに移籍させて全米デビューしました。

 でも21歳のプレスリーは全米ネットのテレビで、以下のようなスタイルで歌うエナカもんでした(^ω^)

 動画の中のナレーションで云ってますが、このテレビ放映のあとにフォーティミリオン(四千万)もの苦情があったそうです。プレスリーは無能なパフォーマーとも。ルイジアナヘイライドのライブでは問題なかったのに、テレビで放映されると苦情が来る事にプレスリーは悩みました。

 そして23歳で米陸軍に志願入隊して歌うのをやめました。二年間の兵役のあと昭和35(1960)年に除隊したプレスリーは以前のスタイルをやめました。つまりロックンローラーをやめたんです。

 それを藪さんや多くの人は批判するんですが、もし若いプレスリーが音楽にあのようなスタイルを持ち込まなかったら、ビートルズやマイケルジャクソンはPTAの苦情で抹殺されていたかもしれません(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=VR_BV37BU1s

コメント

No title

おはよう御座います!
音楽に関しては知識が無いのでコメントは差し控えさせて頂きます(^^)

伝統音楽

もはや伝統音楽ですね。
Stray Cats のような追従者も居ますし。
https://ja-jp.facebook.com/pages/category/Musician-Band/Stray-Cats-1576129305971999/

革新が伝統になってゆく過程を経験できた人生は、幸運だったのかな~

伝説

 プレスリーには間に合わず、評価の分かれるラスベガスでのステージから改めて聞き出したという「にわか」ファンですが、ビートルズのご先祖様としてウオッチしています。
 腰振りスタイルのどこが問題かはしばらく分かりませんでしたが、この程度のことで騒がれたのは、時代が制約だらけだったのでしょう。
 その制約は歌唱スタイルだけでなくロックンロールという音楽ジャンルにも向けられたんですね。それを跳ね飛ばしたストレスが早死にの原因なんでしょう。惜しいことしました。

こんにちは。(*^-^*)

カッコイーですね。ヽ(´∀`)ノ .:。+゜。
私が当時のアメリカ人だったらTVの前で
キャーキャー騒いでたでしょう。(*⌒▽⌒*)
苦情に悩みロックンローラーを止めてしまったとは
勿体ないです。(ノω=;)。。。

バカなトランプのせいで一時は緊張しましたが、
ハメネイ師がバカではなく、ロシアの働きかけもあり落ち着いてくれて良かったです。ε-(´∀`*)ホッ




*菖蒲園さん。。

 通ってらした私立高校で洋楽は流行ってなかったんですか?

 藪さんの高校では結構音楽の派閥がありました。基本的にはクラシック音楽派とモダンジャズ派に分かれてました。石丸電気の黄色いレコード袋を半分くらいのヤツが持ってました(^ω^)

*かおるパパさん。。

 ストレイキャッツをご存知とは結構音楽通ですね(^ω^)

 浅草公会堂でのニューイヤーロックフェスティバルが、今年は47回目。内田裕也さんが亡くなっちゃったので、裕也さんへのトリビュートコンサートとなりました。

 来年の48回があるのかどうかが心配です。主要メンバーが皆さん亡くなっちゃって、談志が亡くなった立川流同様に誰が引き継ぐんだろうと思います。旧シーナ&ロケッツの鮎川さんか、Vシネマの帝王の白竜さんか?

 歌舞伎の中村獅童さんなんかも参加してるんですよね。

*キャバンさん。。

 実は藪さんもプレスリーには間に合ってないんです。この映像の1956年って藪さんはまだ小学校一年生です。プレスリーなんてまったく知らなかった。

 現代とは違って外国の音楽情報なんてまったく入ってこなかった時代です。日本でロカビリーをやっていたのは、日劇ウエスタンカーニバルです。プレスリーやチャックベリーのカバーをやってたのですが、そのオリジナルを知ったのは、小学校高学年になってFENの英語放送を聴き始めてからです。

 藪さんがビートルズの映像を最初に見たのは中学生の頃で、銀座七丁目の日本楽器のホールだったと思います。エドサリバンショーのカラー映像でシーラブズユーなどを四曲やってました。

 粗野なプレスリーとは違って、何と云う洗練されたバンドなんだと思いました(^∇^)

*ま~ぶるさん。。

 藪さんは中学生の頃にプレスリーファンクラブに入ってました(^∇^)

 三ヶ月に一度くらいファンクラブの会合があって、映画会などをやってました。プレスリーダンズと云うイベントがあって、プレスリーの音源を流して十人くらいのお兄さんが順番に踊りました。

 当事中学生だった藪さんは学生服を来て有楽町のイベントに通ってました。多分中学にばれたら停学になっていたかもしれません(^ω^)

No title

藪先生
私の世代はビートルズ世代の後なので中学の時にビートルズは解散してしまいました。一部の者がローリングストーンズに夢中になっていましたね。レッドツェッペリンが好きな奴もいましたが人に語ることはありませんでした。
プレスリーの「バーニング・ラヴ 」が流行ったのとハワイからのコンサートの中継がありました(^^)
私達の世代はその後の「フォーク」世代だと思います。(^^)

*菖蒲園さん。。

 そうですね。ビートルズは世界的に衝撃を与えたんですが、意外と活動期間は短かったと思います。

 日本ではビートルズのあとはフォークの時代になってましたね。フォークはなかなかメジャーになれなかったのですが、グループサウンズは日本の歌謡界のメインになりました。

 除隊後のプレスリーは、GIブルースやフルーハワイのような映画にばかり出ていて、映画で使う歌以外をほとんど歌わなくなりました。バーニングラブは久々に出た、映画とは無関係の激しい歌でしたね(^ω^)

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