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江戸の鬼門

江戸の鬼門 鬼門(きもん)と云う用語は、もはや落語の世界でしか語られなくなっているのかもしれません。正蔵が「五人廻し」で、江戸の鬼門の吉原に遊郭を作ったと語ってました。それじゃ鬼が喜ぶと思うんだが、落語ってのは藪さんの記事と同じで面白おかしくするためにわざと話を作っているので信用してはいけません(^ω^)

 鬼門と云うのは平安時代に流行した陰陽道の考え方で、鬼が出入りする方向だと考えられてます。かつては十二支で方向を表していました。北方向が子(ね)30度ずつ右回りに表現されました。

 ですから、鬼門は丑寅(うしとら)の方向、つまり北東方向です。そればかりではなく裏鬼門と云う反対の方角もあります。未申(ひつじさる)の方向、つまり南西の方向です。

 神田明神の豆まきは、鬼門を封じると云う意味では、他の寺社の適当な豆まきとは違って伝統的な正しい事をやっていると思います。

 が・・・イラチ(短気ですぐにイライラすると云う意味の関西弁)の藪さんには、イベントがスムーズに進行しないのでイライラがつのります。藪さんにディレクターをやらせてくれれば、もっとスムーズに、客をイライラさせずにイベントを遂行するのになぁ(^∇^)

 藪さんも今回初めて気付いたのですが、神田明神の鬼門の丑寅の方向にはスカイツリーがあり、裏鬼門の未申の方向には東京タワーがあるんですねぇ。スカイツリーと東京タワーが東京への鬼の侵入を防いでいるなんて、神田明神以外ではどこでも云ってない(^ω^)

https://www.youtube.com/watch?v=5uL5Lyry918
 撮影データ・・・令和二(2020)年2月3日(月)午後2時18分 神田明神

コメント

スカイツリーと東京タワー

スカイツリーと東京タワーが江戸の鬼門にあるなんて、これは偶然ではないですね。
何か隠れた意向が感じられますね。やはり、埼玉(浦和)でなくて良かった(^^)

鬼門

 おはようございました。
 「鬼門」のことはお城や神社の関係でよく語られていますね。うろ覚えですが、日光の東照宮は江戸の鬼門に当たり、その門が沿道に直角ではなく斜めになっているのも鬼門の考えによる・・・静岡の久能山東照宮から江戸を見ると鬼門の関係で**意味がある。久能山東照宮には家康の墓があるがこの墓は西ではなく南を向いている、黄泉の国ではなく広く大海に向かおうとしていた・・・雄大ですねえ。

おはようございます。(*^-^*)

スカイツリーと東京タワーが東京への鬼の侵入を防いでいるのですね。(*′艸`)
という事は・・・
スカイツリーと東京タワーで豆まきをしないと!!
ですね。
・゜゜・。\(・o・ )オニハソト!( ・o・)/・゜゜・。フクハウチ

*菖蒲園さん。。

 東京タワーは、62年前の昭和33(1958)年12月に開業したんですよね。当事小学校三年生だった藪さんは、おばさんに連れられて二時間も行列して第一展望台へ行きました。その時の景色はまったく憶えてなくて、ただただ混雑していたと云う記憶しかありません(^ω^)

 東京タワーもスカイツリーも基本的にはビルではなくて電波塔なので、周囲に電波を遮る山がない場所ってのがロケーション選択の条件になりますね。

 NHKが昭和初期に芝の愛宕山に電波発信塔を作りましたが、東京湾に面した低地で周囲より標高が高い高台なので電波が飛びやすいと云う条件に合致したんでしょうね。

 鬼門とは無関係で、電波が飛びやすい場所と云う事なんだと思います(^∇^)

*キャバンさん。。

 家康伝説ですね(^∇^)

 いろんな研究者が日光東照宮のロケーションの事について語ってるんですが、四百年以上前の家康の時代にはそのような科学的思考をする賢人はいなかったと思います。

 日本のダーウィンと称される博物学者の平賀源内先生が登場するのは、家康の没後百五十年です。

*ま~ぶるさん。。

 東京タワーやスカイツリーの展望台から豆まきをやったらどう云う事になるのか・・・面白いですねぇ(^ω^)

 小さな軽い豆袋程度ならぶつかっても危険はありませんが、現在問題になっているのは、スカイツリーの展望台の上に積もった雪の落雪です。その落雪は高度があるのでニュートンの重力の法則を引用するまでもなく、下を歩いていてその落雪にぶつかったら危険なので、現在ではガードマンが出て歩行制限をしています(^ω^)

頭塔

奈良東大寺の真南に頭塔があります。玄昉の首が飛んできて埋められたというところです。「奈良学」(そんなものがあるかどうかは知らないですが)の権威が同級生だったので、奈良国立博物館と頭塔、新薬師寺を同窓会で案内してもらいました。
一説には東大寺を南からの外敵から守るためと言う説もあります。
東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武と言う四神は東北などと言うはすっかいの方角には無頓着でした。平城京では朱雀門が南の出入り口でした。
四神剣のかきゃぁにんと言うのはこれと関係あるのかも。「カメモジ」、「カモジ」は関係ないかも。
東北が鬼門なんていつ頃から言われ出したのかなぁ?
信長時代の比叡山の頃ではないのかなぁ?

*けんちゃん。。

 神社と云うのは日本神道の拠点ですよね。でも推古天皇の時代だったかに、聖徳太子が政治のトップの摂政をしていて、大陸の隋国に遣隋使と云う学生を派遣して、かの国の文化を学ばせ仏教と云う宗教を持ち帰らせた。

 聖徳太子の凄いところはその仏教を排斥せずに日本神道に融合させたところです。藪さんは神田明神でしか見た事はありませんが、神田明神には五色の吹流しが飾られます。それって仏教の木火土金水の五行思想からきているので、護国寺などのお寺にはありますが、神社にあるのは不思議で神仏混交なんです(^∇^)

 柴又帝釈天で行われている二ヶ月に一度の、道教の「庚申祭り(こうしんさい)」の縁日にしてもそうですが、日本て本当に八百万の神の国だと思います。何でもかんでも神様にしちゃうんです(^∇^)

 鬼門は平安時代の陰陽道の考え方ですね。陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい 921~1005)の世界ですね。だから信長よりはるかに古い。面白いのは安倍晴明の清明紋の紋所はイスラエルのダビデの星のマークと同じ(^ω^)

 イスラエルのルーツは陰陽道なのかもしれません(^ω^)

鬼門

奈良時代は平安京より前ですから、鬼門の考えはなかったのですね。
安倍晴明と言えば一条戻り橋です。
あのあたりを散歩していた時に、カミサンが急に具合が悪くなり、近所のホテルの布団部屋のようなところで休ませてもらったことがありました。
別のホテルに泊まっていたのですがそこまでは帰れなくて、そのホテルに宿を取ろうとしたのですが、満室だったので、しばらく休ませてもらいました。
今でも晴明の祟りだと思っています。神道の我が家が何で祟られたのかわかりませんが。

*けんちゃん。。

 江戸総鎮守の神田明神は当然ながら神社本庁に所属している訳ですが、御祭神は天照大神ではなくて、大黒様と恵比寿様と平将門の三体なんです。

 恵比寿大黒は庶民の呼び方であって、ちゃんとした神様名を持ってるんですが、恵比寿様や大黒様の方が七福神として庶民に親しまれています。

 ちなみに湯島天神の拝殿前に掛かっている幕には、四神の青龍・朱雀・白虎・玄武が描かれています。五月の例大祭の本祭りの神幸祭では、それぞれの四神旗を台車に乗せてパレードします。

 落語の「百川」に嘘があると思うのは、四神旗と云うのは神社の備品であって、本社神輿同様に神社の神輿庫に格納するものなので、町内会が持ち回りで四本の四神旗を一年間預かるなんて事は絶対にないはずです(^ω^)

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