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MATOI 小石川消防団

MATOI 小石川消防団 「纏(まとい)」と云うはなんなのか? 今の人は正確には理解していないと思います。現在では毎年1月6日に晴海埠頭で行われている消防出初式くらいにしか、江戸町火消し記念会の皆さんの纏振りや梯子乗りや木遣りを見る事ができません。

 つまり150年前の江戸時代のものであって、現代では江戸町火消し記念会の方が保存している日本の伝統であって、現代では実用化されてません。

 江戸と云う町は徳川家康が四百年前に作った、世界一の計画都市でした。それまでの大阪や京都や奈良とは違って大規模な土壌改革や建築を行い、秀吉が作った大阪堺を上回り、更にはロンドンやパリをもしのぐ新興都市を建築したんです。

 新興都市ですから様々な制度を作る必要がありました。京都所司代や大阪の東西奉行に倣って、警察組織として江戸では南北奉行を作りました。

 江戸は関東平野の中心にあり、そこにある平城の江戸城は謀反があった場合には簡単に攻め込まれてしまいます。そこで三代将軍 家光が考えたシステムが参勤交代でした。

 二百余藩の大名が一年置きに江戸屋敷に出仕するには莫大な金が掛かり、幕府を転覆する軍事費用が賄えなくなると共に、街道筋に多くの金が落ちますます江戸が発展したんです。

 それはさて置き、現在の東京の消防団と云うのは、八代将軍 吉宗の時代に南町奉行の大岡忠相が鳶の連中に命じて組織させたボランティアの江戸町火消しの伝統を引き継いでいるんです。

 かつての江戸町火消しには「いろは48組」とか、一番から十番などの他にも様々な組があったようですが、現在の東京消防団は、一~十くらいまでの分団に分かれているようです。

 藪さんローカルの小石川消防団は、東京消防団の第三分団です。かつての江戸町火消しの区分けで云うと二番組であり「な組」です。現在の小石川消防署の一階に入って行くと、江戸町火消しの壁画があり、左側に二番組の火消し纏が置いてあります(^∇^)

https://www.youtube.com/watch?v=8_nDmpEFA7A
 撮影データ・・・令和二(2020)年2月20日(木)10時45分 播磨坂下

コメント

おはようございます。(*^-^*)

体調は如何ですか??

(・0・*)ホ,(゚0゚*)ホ--ッッ!!!
東京の消防団は、八代将軍 吉宗の時代から続いているのですね。
....〆(・ω・。) メモメモ
掲示板に貼られた活動だよりが丁寧に作られてますね。
地域の皆さんに活動報告をしながら
「な組」が絶える事なく後世に続いていくと良いですね。

No title

何処かの大師匠の「火事息子」の枕からですと、纏は消火の際の目標も兼ねていたとか?
ここまでには必ず消火するという目標だったそうですね。もちろん何処の組が消火に関わってるのか一目瞭然だったのでしょうね(^^)

*ま~ぶるさん。。

 藪さんの現在の体調は・・・よく判りません。ずっと微熱が続いていてボーっとしています。元々藪さんは一日に3リッターのチューハイを飲んでいてボーっとしているので、どんな事があっても、あ~コリャコリャなんです(^ω^)

 地元の鳶の頭の個人情報をネットに公開しても問題ないと思います。以前は二番組の頭は半世紀くらい愛さん(保坂愛次)がやってたのですが、数年前に亡くなって今は、鳶の高喜興業の社長の高柳さんが、二番組と「な組」の組頭をやってます(^∇^)

 保坂さんの鳶を引き次いだ現在の藪さんローカルの鳶頭は澤さんです。まだ若いので、二番組の小頭をやってます(^∇^)

*菖蒲園さん。。

 纏持ちってのは火消しの花形で、エースしか持てませんでした。火事があったら一番最初に屋根に上って、消火する場所を纏を振って示したのです。だから焼死する人も多く危険な仕事をする花形でした(^∇^)

 志ん生は二本の映画に出ています。有名なのは引退した噺家を演じた「銀座カンカン娘」ですが、もう一本はほとんど知られてませんが、日本一の志ん生フリークだと自称する藪さんは当然ながらその映像を持ってます(^∇^)

 昭和25年、60歳時のガリガリに9痩せた志ん生が、なんと鳶の頭を演じました。纏ってのは藪さんは持った事はありませんが、20キロくらいある結構重いもので志ん生はヨレヨレしながら纏を持ってました(^ω^)

微熱

 こんばんは
 外出自粛要請がなくても、リハビリ以外、外に出られない私には、関係ないですね。逆に、15〜20人が同時に理学療法士のリハビリを受けるクリニックの方が「濃厚接触」の危険がありそうです。
 「微熱」は何度位を指すのでしょうか?政府のいう37.5℃だとすると、藪さんはそろそろ医師のところに行く時期では無いかと思いますが・・・

 纏は、消火の場所を示すものだとすると、江戸の消火は、炎そのものでなく、炎の先のまだ焼けていない家を破壊して延焼を防いだ、その場所を捜すために纏をもって屋根に上がる・・・火消しのエースが危険を顧みずに選んだ場所に当たったとしても、壊された家の大家も店子も諦めて再建する・・・という感じだと思うのですが・・・

*キャバンさん。。

 知ってる人なら濃厚接触しても、ウィルスの感染はしないと思います(^∇^)

 藪さんの家には体温計は多分二つくらいあると思うのですが、面倒臭いので探しません。自分が熱っぽいかどうかなんて体温計で調べなくても判ります(^∇^)

 70年も自分の身体と付きあってくれば、厚労省の基準がどうであれ、やばいかどうかくらいの事は判りますv。藪さんが微熱と云ってるのは多分、37,4度なんだと思います。微熱状態ってのはほろ酔い気分と同じで心地いいんです(^ω^)

 江戸時代の消防と云うのは現代のように放水で消火した訳ではなくて、もっぱら延焼防止で長屋を壊したんです。

 百万都市江戸の住人は、50万人が参勤交代で江戸屋敷に住んでいた田舎侍。50万人が九尺二間の狭い長屋に押し込められていた庶民なんですが、江戸東京博物館の資料によると、50万人のうち一万人以上がとび職(大工)だったらしい。

 江戸は火事が多かったので常にとび職には仕事があったんです(^∇^)

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