FC2ブログ

記事一覧

三月

i幾代餅 「三月」と云えば落語好きなら「幾代餅(いくよもち)」です。搗き米屋の小僧の清蔵が待ちに待った三月です(^ω^)

 医者の藪井竹庵を呼んで来い。医者は下手だが、女郎買いは上手ぇ~んだ。
 ・・・どうしましたな? 病人はどちらです?
 ・・・いや、病人じゃないんです。病人だったら、おまはんは呼ばない。おまはんに見せたら、殺されちゃう。

 日本橋浮世小路の料理屋「百川」、麻布の「おかめ団子」同様、江戸時代の両国広小路に実際にあった「幾代餅」を題材にした噺。CM落語の一つと云われています。・・・と云っても、この演目の骨子は「紺屋高尾」とか「搗屋無限」と同んなじですね。

 この演目は、「幾代餅の由来」と云う演題にする事もありますが、「藪井竹庵」と云うブログ名の由来でもあります。志ん生以前に誰が「幾代餅」をやっていたのかを調べたのですが、判りませんでした。それで、主だったところでは誰がやっているのかを調べたら・・・

 古今亭志ん生(1890~1973)、金原亭馬生(1928~1982)、古今亭圓菊(1928~2012)、古今亭志ん朝(1938~2001)、桂南喬(1947~)、柳家権太楼(1947~)、五街道雲助(1948~)、柳家さん喬(1948~)、古今亭志ん輔(1953~)、桂平治(現文治 1967~)、林家たい平(1964~)等々(生年順)。上方では、桂文太(1952~)。

 つまりこの演目は、一部を除いて主に古今亭一門がやってますので、古今亭の持ち根多と云う事になりますね。まあ、馬生も志ん朝もいいですけど、15分でやっちゃう志ん生の名演には、どんな噺家が逆立ちしても敵わない。この演目を人情噺風にやるのは、勘違いも甚だしい。人情噺風にやりたいのであれば、「紺屋高尾」か「搗屋無限」をやるべきであり、「幾代餅」をやるべきではありません。志ん生に対して失礼であり、だいたい、誰から「幾代餅」を仕入れたのか・・・

 「幾代餅」とは、どう云う餅菓子なのかを調べたら・・・江戸時代の名物菓子の一つで、吉原の花魁の幾代太夫が、数え年27歳の三月に年季奉公が明けて、搗き米屋の小僧だった清蔵と、元禄17(1704)年に両国広小路に小松屋と云う店を開店しました。花魁の源氏名にちなんで名付けた「幾代餅」は、一つ五文(百円)だったようで、焼いた丸餅の上に小豆餡をトッピングしたものだったようです。

 志ん生が語っているように、明治になってからは「幾代餅」は無くなったと云ってますから、たいたい百五十年ちょっと続いた餅菓子屋さんだったようです。「おかめ団子」も、似たようなものだったと思いますが、あちらは串刺しの団子で、みたらし団子と違って、串団子は焼いてないんですね。現代にも「幾代餅」と同じようなものがあるのかと思って探したのですが、私が調べた限りでは、同じようなものはありませんでした。

 餡子を中に入れて焼いた餅や、焼かないで餡子を乗せたりくるんだりする餅はあるんですけど、焼いた餅に餡子を乗せるってのは流行ってないようです。餅を焼いて、大根おろしに絡める「からみ(からめ)餅」や、きな粉をまぶす、「きな粉餅(安倍川餅)」ってのはありますね。

 上方では、小文枝(後の文枝)の弟子で、十年ほど前から病気で盲目になってしまった桂文太さんがやってますが、元々東京の噺なので、若干の変更箇所があります。吉原は新町の遊郭に変更。藪井竹庵は大藪竹山に変更。野田の醤油問屋の若旦那は、伏見の造り酒屋の若旦那に変更。東京の「幾代餅」は、その由来なのでサゲはありませんが、文太さんのは由来ではないのでサゲを付けていて・・・夫婦仲の良い二人に掛けて、幾代餅に焼き餅は無いとサゲてるんですが・・・誰から根多を貰ったのか? 本来の幾代餅は、焼餅です。でもまあ、「幾代餅の由来」とは云ってない訳で、上方バージョンとしては問題ありません。

http://ndos.up.seesaa.net/i/E58FA4E4BB8AE4BAADE5BF97E38293E7949F20E5B9BEE4BBA3E9A485.mp3 15:11 幾代餅 / 古今亭志ん生
 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 本名=美濃部孝蔵 紫綬褒章 勳四等瑞宝章

 一つの演目を、十人以上の噺家で聴いてみると、落語ってのはつくずく、噺家の生き様でありキャラクタだなって思います。八代目 林家正蔵は、前師匠の三代目 柳家小さんを尊敬し、小さんの心で居ろと云う戒めを込めて「小心居」を座右の銘としていました。同じ小さん一門の兄弟子だった五代目 古今亭今輔も同じでした。つまり、かつての大師匠たちってのは、武士と同じで、落語に命を掛けていて、自分の落語に関しては絶対的な自信を持っていたんですね。企業戦士だってそうであり、今の噺家とは大違いなのかな?

 いまだに藪さんは熱っぽくて(37.4度と思われる^^だから0.1度差で検査はしてもらえない^^)志ん生と同じで臆病な藪さんは、怖くて取材に出掛けられません。たまにはこう云う落語記事もいいでしょう。リンクを付けた音源が聴取可能なのかどうか判りませんが(^ω^)

コメント

No title

音源は見事に再生されました!(^^)
焼いた餅というと、日暮里の羽二重団子が焼いて醤油と海苔をまぶした団子を串に刺して売っていますね。
貰った事が何度かありますが、少し時間が経過してるので固くなりはじめていました(^^)
お大事にしてください!

No title

結構な音源をありがとうございます。朝から一丁入りなんてぇのは乙なもんです。
===
この演目を人情噺風にやるのは、勘違いも甚だしい。人情噺風にやりたいのであれば、「紺屋高尾」か「搗屋無限」をやるべきであり、「幾代餅」をやるべきではありません。志ん生に対して失礼であり、だいたい、誰から「幾代餅」を仕入れたのか・・・
===
まさにおっしゃる通り。誰だか想像はつきますが。
しかし元気なころの志ん生は何とも言えないですね。
おさえるところはきちっとおさえているのが清蔵と幾代との会話ですね。
これがまさに江戸流の落語なんですよ。
「屋根に飛行機でも落っこちたか?」などと言うくすぐりはまさに志ん生ワールドです。
いまでも一丁入りとともに高座に現れる時に後ろの金屏風に頭が反射してピカッっと光るような風景が思い出されます。

*菖蒲園さん、、

 しかしすんごいスピードですよね。志ん生は決して活舌は良くないけれども、過不足なくこれだけの落語を語れるってのは、よっぽど稽古している証拠です。最後の部分の語りなんて凄いとしか云いようがありません。

 何で今の噺家にこれができないのかと云えば、努力不測で稽古をしていないからなんだと思います。志ん生はぞろっぺだなんて云われてますが、誰より9も売れなかった志ん生は死に物狂いで誰よりも稽古をしていたんです。

 その努力には文楽も圓生も正蔵も敵わなかった。まあ藪さんは酒飲みだから餅菓子はほとんど食いませんけどね(^ω^)

 藪さんの特効薬のバーボンをグビっとやれば、ほとんどの細菌やウィルスは退散するんですが、今回のはちょっと厄介で長引いてます。それほど深刻な事態になっていると思いますので、感染防止のために戒厳令をしいて外出禁止にしてもおかしくない状況だと思います。

*けんちゃん。。

 もう酔っちゃってミスタイプばっかりでリコメ不能なので寝ます。起きてからリコメします(^ω^)

幾代

 こんにちは
 当地は、暖かな日曜日です。今日は長男の誕生日ですが、二人の子持ちの息子に何かするということはないですね。
 幾代太夫の噺は、江戸の若い男の夢なんでしょうね。志ん朝師匠で聞いてきましたが、清蔵の帰った後の表情が良いですね。

*けんちゃん。。

 ちょっと飲み過ぎてダウンしてしまい失礼しました(^ω^)

 シーサーブログの音源は生きてますね。確か10メガまでのファイルを上げる事ができたと思いますので、このスタイルでOKならば、動画は容量不足で無理ですが短い音源なら上げる事ができますね。

 確かに朝から一丁入りは志ん生ファンにはたまりません(^∇^)v

 この音源の志ん生は何歳頃なのかを調べてませんが、60~65歳頃で志ん生の絶頂期ですね。云い淀みや間違いもあるんですが、屋根に飛行機なんぞと云うとんでもないくすぐり。「強情灸」でもやってる独特の志ん生スタイルです。

 教科書通りに語る無難な圓生とは違って、志ん生の落語にはピカソ的なひらめきと輝きがあると思います。しかも志ん生は常に下根多はやらないけど色っぽい語りを意識していた(^∇^)

*キャバンさん。。

 お父さんの長男さんは、お爺ちゃんのキャバンさんから誕生日プレゼントなんて貰ってもうれしくないと思います。

 長男さんがうれしいのはお孫さんからの「お父さんありがとう」のプレゼントです。キャバンさんのウチはもう世代交代してるんです。お爺さんは静かにみんなの行動を見守るだけでいいんです(^∇^)

(*´▽`)ノ ・゜:*:゜★こんばんわ~☆・゜:*:゜

病人だったら、おまはんは呼ばない。(*⌒▽⌒*)
(。゚ω゚) ハッ
幾代餅は食べた事も見た事もありませんが、
餡の乗った焼いたお餅が箱根神社のお茶屋にあります。
権現(ごんげん)餅
https://tomei-info.com/rn-f/ukaiitabi/points/a02_08.html
リンク先の写真では焼いたように見えませんが、
古いお店の時に焼いたお餅の上に餡子が乗ってるのを見ました。
まだ微熱があるのですね。ヾ(・ω・`;)ノ
お大事になさって下さい。

(o・。・o)あっ

思い出しました。
新しくなったお店でもお餅を焼いて
上に餡を乗せてます。
「お餅を焼きますからちょっと待ってて下さいね」
ってお店の方が言ってました。〃⌒ー⌒〃

No title

===
志ん生の落語にはピカソ的なひらめきと輝きがある
===
これですよ、これ。
私には圓生命ですが、彼がシャッチョコ立ちしたって志ん生ワールドは語れない。
この「屋根に飛行機が落っこちたか?」でストーリー全体がすっ飛んでしまうのです。
だから高座で何度接しても印象に残るのは志ん生ワールドだけです。
五目講釈で、いまだに強烈に印象に残っているのですが、「観測船に乗って南極へ行ってしまう」などと言うサゲは強烈でした。焼ける前の鈴本でした。あの時代だからこそのサゲでした。
替わり目など高座で何回も接しましたが、当時20歳台の半ばのカミサンは「志ん生ってかわいい」と言っていました。かわいいのは酔っ払いのカミサンなのですが志ん生ワールドでは志ん生がかわいくなってしまうのです。
60代の禿げ頭の志ん生がかわいいわけはないのですが、そういう色気があったのですね。
いまそういう色気がある噺家がいるか?私が知る限りいません。
志ん生は別格なのです。

*ま~ぶるさん。。

 お餅とかお饅頭ってのはお土産には最適なので、温泉饅頭など実に様々なパターンがありますね。

 時代劇の峠の茶屋で供されるのは、お茶とお菓子。そんぽお菓子は団子や饅頭ですね。餅を焼いて醤油味にしたのは、江戸時代には砂糖が高価だったためと思われます。

*けんちゃん。。

 上手い東京落語の第一人者と云ったら間違いなく、六代目 圓生なんです。

 志ん生は文楽や正蔵とはまったく違うタイプの噺家だったと思います。落語は決して上手くなかったんだけれども、客に最も愛された噺家でした。客は志ん生が高座にいる姿を見ただけで満足したんです。そんな噺家は他にはいません。

 精選落語会を主催した作家の矢野誠一さんは「志ん生のいる風景」と云う本を書きました。客は志ん生が語る落語を愛でたのではなくて、志ん生が語る志ん生と云う作品を愛したんです。それはどんな落語演目にも勝る素晴らしいものでした。

 志ん生はたった一度だけ酒に酔って人形町末廣の高座で寝ちゃいました。それを見ていたのは歌奴時代の圓歌と早稲田の学生時代の小沢昭一さんでした。客席が静かになっちゃったので前座が高座を見たら志ん生が寝ていた。

 前座はあわてて志ん生を起こしに行ったら、「寝かせとけ!」って客席から声が掛かった。客は志ん生の寝姿を楽しんでいたんです。そんな噺家っていませんよねぇ(^ω^)

志ん生が語る志ん生と云う作品を愛したんです。

そこなんですよねぇ。私もカミサンも志ん生が高座で座っているだけで満足でした。
これは映像や録音では決してわからないことです。
志ん生がトリで現れて「お馴染みさんばかりで。。。」と言われたときには言葉に言い表せない幸福感を感じたものです。
高座に座っての最初の一言で、幸福感を感じさせてくれた噺家、あとにも先にも五代目古今亭志ん生だけです。

*けんちゃん。。

 志ん生は確か、美濃部家の七人兄弟の五男で、尋常小学校四年生の時に素行不良で退学を命じられたチンピラでした(^ω^)

 神田の家に帰って来れないように朝鮮にまで奉公に出したって話もありますが、自宅では厄介者だったのでハイティーンの頃には浅草にたむろして、落語が好きだったので天狗連の仲間に入って素人落語をやってました。

 志ん生がプロの噺家になった経緯を書くと長くなりますのでこの辺でやめますが、二十歳でプロになった志ん生は40歳になるまで20年間まったく売れなかった。でもその経験が志ん生と云う素晴らしい個性を産んだんだと思います。

 藪さんは志ん生が高座を降りた78歳の時には19歳で、フォークソングやブルーグラス音楽に夢中になっていたので、志ん生の事は実時点では知りません。でもその後落語を研究してみると、志ん生と云うとんでもない噺家がいた事に気が付きました(^∇^)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

藪さん

Author:藪さん

月別アーカイブ